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マニアの戯言
ブルックナー:交響曲第8番

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は相対評価によるランク付け。最高は4つです(異稿盤・珍盤コーナーは対象外)。

 

 最初にこの曲を聴いたのは中学生のときであった。80年代半ばのことで、もちろんLPである。その頃、第4楽章の冒頭部がテレビ・コマーシャルに使われていたから、まったく知らない曲という訳てはなかったけれど、ブルックナーの作品に接したのもそれが初めてだった。ひとつの楽章がレコードの片面全部を占める巨大な作品に、やはり最初はついていけず、金管楽器の活躍するトゥッティの部分だけが断片的な形で頭に残って、よく第3楽章を飛ばして聴いたりしたものである。その後、高校生になったある日、何の気なしに、しばらく聴いていなかった「ブル8」をプレーヤーに載せた。するとどうだろう、スピーカーの前からまったく動けなくなり、第4楽章のコーダに差しかかると涙がぽろぽろ出てきた。音楽を聴いて泣いた最初の体験である。
 そのLPは、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーンPO(1982年録音/Dグラモフォン)。CDの時代になると、当然のように同じ録音を買いなおし、ブルックナーの他作品を色々な演奏で楽しむようになっても、「8番はジュリーニじゃないと駄目」と長い間思っていた。
 ひとつの転機になったのは、大学を出て間もない頃に読んだ、金子建志の「ブルックナーの交響曲(音楽之友社)」であった。
 第4楽章の583小節、練習記号Ppのところを、ジュリーニは完全なレガートで演奏する。しかし、他のCDを聴くと、音をぶつ切りにしてしまうのが気にいらない。第1楽章の主題が回帰する「頂点」の後、626小節からの下り坂も同様である。ところが本に載せられた譜例をみると、レガートにしないような指定がちゃんと書かれてあったのである。583小節にはわざわざ「nicht gebungen…スラーにしないで」という注釈がつけられているではないか。ずっと手前、183小節からのトゥッティで小節線直前の32分音符を線の後ろへ持ってきているのもジュリーニ盤だけ。さあ困った。
 一方、「頂点」の622小節で、小節の真中に書かれた「langsam…ゆっくりと」という指定は、ジュリーニほど忠実に守っている演奏はほかにあまりない。語学に譬えれば片言レベルの読譜力で無謀にもミニチュア・スコアなど買いこみ、20点以上のCDを揃えた結果、指揮者それぞれ苦心の解釈をしているようで、得た結論というのが「やっぱりベストはジュリーニ」★★★★とスタート地点に逆戻り。特に第1楽章は他の追随を許さない。225小節、練習記号Lの辺りで金管の刻みを速くして、枠にはめこんでしまう感じの演奏が多い中、ジュリーニはあまりテンポを動かさず、巨大な頂点を築いてゆく。369小節からのトゥッティではトランペットが埋もれることなく響き、その悲壮感はマーラーの「6番」で象徴的に登場するティンパニのリズムを先取りしている感さえある。
 とはいっても、昔と違って「ほかは駄目」とは思わなくなり、現在は気分次第でいろんな演奏を楽しむ贅沢を味わっている。

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮フィルハーモニア管(1983年録音/BBC Music)★★処分済
 ウィーンPOとのスタジオ録音翌年に収録された放送用ライヴ録音のCD化。オーケストラが違うため各所で「響き」が異なるのは当然として、解釈の点でスタジオ録音との違いにまず気づいたのは第2楽章の練習記号M~N。楽譜どおり弱音で特にアクセントもなく入っていたティンパニに、ここではヴァント/北ドイツ盤のようにクレッシェンド~ディミヌエンドを加えている。第3楽章の出来映えはスタジオ録音に匹敵するけれど、ただ1箇所、254小節でブルックナー休止の直前に当たる弦の「語尾」がはっきりしないのは、演奏時たまたまそうなってしまったのか、指揮者の意図なのか、これがライヴの泣き所かもしれない。終楽章183小節からのトゥッティでは、スタジオ録音と違い「前打音」は楽譜どおり小節線の手前である。最大の問題はコーダで、スタジオ録音と比べかなり基調テンポが速く(しかも652小節付近まで弦のテンポが指揮者の指示よりさらに速くなってしまったらしく、管楽器セクションとの間で多少の混乱が感じられる)、667小節からの「ff」が妙に弱いのも気になる。696小節後半の四分音符ふたつを極端に強調するのがスタジオ録音での特徴だったが、これまた弱い。特に生演奏やライヴ録音の場合、終わり良ければすべて良し、という気分にさせられるものだけれど、逆もまた真で、締めくくりの物足りなさが★★評価に止めた最大要因。

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ベルリンPO(1984年録音/TESTAMENT)★★★処分済
 2009年発売。放送用ライヴ録音のCD化と思われ、音質は良好ではなく、特にティンパニは靄がかかったような響きになっているのが惜しい。しかしながら、生演奏を壁ひとつ隔てて……例えば舞台裏で立ち聴きしていたらこんな音になるのではないかという、ある種の生々しさを有する不思議な音質である。
 各楽章ともウィーンPOとのスタジオ録音よりやや速い印象なのに、調べてみたら第2楽章だけは演奏時間がほぼ同じだった。いきなり聴かされたら指揮者を当てるのは不可能と思われるくらい、上記2点とは全体的に雰囲気が異なる。中でも第2楽章主部は弦の打ち込みが強く、流麗さを前面に出したウィーンPO盤とは対照的、ということは即ち「一般的なブルックナー・スケルツォ解釈」に近い。第3楽章では「頂点」の5連音符をこれでもか! というくらい強調。本来は一発勝負の生演奏であり、オーケストラの技量からしても、色々と思い切ったことが出来るということなのだろう。第4楽章では各所でルバートのような動きが現れ、初めて聴いた時には何度か「おっと!」と仰け反った。183小節からのトゥッティはフィルハーモニア盤と同じく楽譜どおり、逆に言えばウィーンPOとのスタジオ録音だけなぜ手を加えたのだろう? との興味をそそられる。コーダはフィルハーモニア盤よりさらに速めではあるものの、テンポの動かし方 -揺らせ方という表現の方が近いか- にはちょっとベームを連想させる「曲線美」があり(特に練習記号Xx)、速さが気にならない。ただ、ファンファーレを裏打ちするティンパニが何となく変だと思って、靄のかかった録音状態のせいかと注意して聴き直したら、休符になる直前の696小節が前打音リズムからトレモロに改変されているのが分かった。ここは音質が明瞭だと逆にひっかかったかもしれない。
 「初めてのブル8」としてはあまりお薦め出来ないけれども、「ジュリーニのブル8」に否定的な向きには、それをひっくり返す可能性を秘めた録音であろう。

サー・ゲオルク・ショルティ指揮ウィーンPO(1966年録音/デッカ=ロンドン)★処分済
 あまり評判のいい録音ではない。確かにあっさり味の乾いた演奏で、曲の本質を突いていないと言われればそれまでである。しかし、もし仮に、この演奏で初めて「第8番」を知ったなら、かなりの感銘を受けたのではないかと思われる。第00番(ヘ短調)に始まるブルックナー交響曲群の中に、ある意味では最も違和感なく収まる演奏ではないかとも考えるのである。
 最大の特徴として第4楽章のコーダを挙げておきたい。687小節、練習記号Xxからのトランペットを猛然と加速させるのはショルティのオリジナルではないけれど、670小節、練習記号Vvからのピアノになる部分を煽る演奏は珍しい。初めて聴いた時には「ここで速くしてどうすんねん」と憤慨したものだが、終楽章のコーダは既に解決されたものという理屈を付ければ、トランペットの加速を含めてポリシーは見えてくる。初めて聴く曲のつもりで接すれば、悪い演奏では決してない。
 なお、ショルティはシカゴSOとブルックナーの交響曲全集(0~9番)を完成させており、第8番は1990年に録音しているが(言うまでもなくデッカ=ロンドン★)、ウィーン・フィルとの旧録の方が持ち味が出ていていいような気がする。

ゲルト・アルブレヒト指揮チェコPO(1994年録音/キャニオン)★処分済
 楽器編成の大きなマーラーやブルックナーの場合、オーケストラの「性能」は大きな問題になってくる。トゥッティの中で数本のホルンやトランペットが重要な旋律を担当したりすることが珍しくないからだ。ウィーンPOなどから一段も二段も劣るオーケストラの演奏として、これはなかなかよく出来ている。例として、第4楽章633小節を指摘しておこう。ここは弦の旋律がピアノで続く途上、急に音価が半分になるポイント。ジュリーニ・クラスのスロー・テンポなら問題ないのだが、少し速い演奏になると、ここで突然音が大きくなるように聞こえてしまう(不細工な典型例が朝比奈/大阪PO。ウィーンPOともなるときちんとピアノを持続する術を心得ているが)。アルブレヒトはこの部分で、ずっと続いているティンパニのトレモロに着目、スコアにないクレッシェンド・ディミヌエンドを加えて弦に生じる音量の段差を消している。初めて聴いたときには思わずニヤリとしてしまった。
 ここに限らず、唸らせる箇所こそ見当たらないものの、全般に上手くまとめあげた演奏として推しておきたい。

セルジウ・チェリビダッケ指揮ミュンヘンPO(1993年録音/EMI)★★
 録音を拒否し続けた異才の遺産。初の正規盤として注目を浴びたディスクである。これを聴くと、チェリが録音を拒否した理由が分かる気がする。第4楽章のタイムで見ると、ショルティ20分台、ジュリーニ24分台のところをチェリは32分台と世界が違う。生で聴いたらさぞかし感動しただろうと思うけれど、スピーカーの前に座っていると、特に第3楽章などとても集中力がもたない。このCDは、交響詩のようなつもりで専ら第4楽章だけ聴いている。極限的なテンポの中、これ以上遅く出来ないだろうと思っていたら、622小節の「langsam」でもっと遅くなるオーケストラ(特に金管楽器奏者)の技術は驚嘆に値する。後から一切の修正を加えないライヴ録音で、最後の残響が途絶えた後、拍手が始まるまで30秒あまりの沈黙が続く演奏会場の空気を記録した一大ドキュメントでもある。広く一般に薦められる演奏とはいえないが、ブル8マニアを自認する人は是非どうぞ。1994年、筆者は来日公演(メインはブル8!)のチケットを買っていたが、キャンセルになったのがおおいに悔やまれる。

セルジウ・チェリビダッケ指揮シュトゥットガルト放送SO(1976年録音/Dグラモフォン)★★★★
 初めて接した「チェリのブル8」は、シュトゥットガルト放送SOとの海賊盤(録音年不詳・音質は良好)。その印象は「ジュリーニ盤を越える録音があった!」という強烈なものであった。「初めて聴いたブル8」がジュリーニ盤である筆者の「ジュリーニ評」はいくらか割り引いて考える必要のあることを自覚しているが、それを塗り替えたのだからたいしたものだ。ただ、海賊盤であること以上に残念だったのは、終楽章のコーダでティンパニに大きなミスがあることだった(詳細は割愛)。
 しかし、ついに正規盤による決定打が出た。
 シュトゥットガルト盤は、ミュンヘン盤と違い「常識的」な演奏タイムである。第4楽章以外はジュリーニ盤より短い。だからという訳ではないが、第1楽章については「もう一息」の感がある。特異なミュンヘン盤では何となく納得させられてしまう冒頭の楽器法改変もひっかかるし、練習記号Lの前後はジュリーニ盤の壮大さに及ばない。しかしながら、練習記号Sからの悲壮感、リタルダントしながら諦念の底へ消えて行く結尾はチェリの真骨頂だろう。第2楽章は13分台と(意外にも)かなり短い部類になるが、「短い=速い」とならないところは名指揮者の証である。第3楽章は、困ったことに海賊盤の方がよかった。とはいっても、CDという入れ物に収まりきらずベターッとした感じになってしまったミュンヘン盤と違い、スピーカーの前に座っていても十分語りかけてくるものがある。
 さて、いよいよ終楽章。……なのだが、何を書けばいいのか? ミュンヘン盤では弦と管のバランスが結果的にジュリーニと似てくるのだけれど、シュトゥットガルト盤はまったく違う。金管がしっかり主張しながら、弦が埋もれることなく聞き手の内面にしみ込んでくる。単なる音響の下支えになりがちな木管のパートがなんと表情豊かなことか。
 いかんいかん。書けば書くほど文章が安っぽくなる。練習記号Ppから先は、もう「音楽」の域を越えている(テンポはミュンヘン盤と大差ないのだが、ここまでがやや速めなので効果が大きい)。これは人間業ではない。畜生、語彙が追いつかん、助けてくれ!

ジュゼッペ・シノーポリ指揮ドレスデン国立歌劇場管(1996年録音/Dグラモフォン)処分済
 期待が大きかった分、落胆も大きかった。何が悪いのかよく分からないが、全体的に冴えないのである。解釈は全般に端正で、第2楽章のトリオが極端に遅いものの、だからマズいという訳でもない。結局、オーケストラに難があるのかもしれない。旧東独のオーケストラだけに、統一後はいろいろ問題があるのだろうか(表記の組み合わせが来日公演でブラームスの4番を演奏したことがあるが、これが実にひどかった。それより前、POとの来日公演で聴いたブラームスの1番はなかなかのものだったので、指揮者のせいだとは思いたくない)。スタジオ録音なのだからうまく事後処理しているように、表面的には聞こえるのだけれど、やはりどこかに不具合があるようだ。
 なお、この録音では第2ヴァイオリンを右手に置く両翼型配置を採用している。

リッカルド・シャイー指揮ロイヤルコンセルトヘボウ管(2002年録音/デッカ=ロンドン)★処分済
 どうにも評価の定まらない1枚。「上手くまとめあげた」などと評したアルブレヒト盤に比べても相当に優れた演奏ではあるものの、なぜか具体的な「誉め言葉」が出てこないのである。特徴としてはトゥッティを遅めに、弱音部を流したテンポ設定で、下の方にに掲載してあるヴァントの裏返しである(第4楽章・練習記号Mの前後など、ヴァント盤とはテンポ変動がまったく逆になっていたりして面白い)。耳につく点をいくつか挙げると、第1楽章369小節からのトゥッティでホルンの7・8番がやたら突出していること、第2楽章の主部が「反主流」のジュリーニ盤にそっくりであること、第3楽章の頂点、練習記号Vの辺りが少々演出過剰気味であること……
 唯一にして最大の疑問は「これが本当にシャイーの最終結論なのか?」の一文に尽きる。第4楽章の弱音部では接続が不自然になるほどのテンポ変動もあり、「レーベル側の要請で無理矢理ディスク1枚に収録したのではないか」との疑念が拭えない。

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 話がややこしくなるのを避けるため重要な問題にここまで触れなかった。それは「版」の問題である。まあ、このページを開いて、その上ここまで懲りずに読んでいる人なら心得ているだろうから、いちいち説明するのはやめるが、今まで小節数など記してきたのはすべてノヴァーク版による。これまでに挙げた演奏はすべてノヴァーク版を使っているから当然なのだけれども、それ以前に筆者はノヴァーク版のスコアしか持っていない。したがって、以降ハース版使用の演奏でもノヴァーク版の小節数で押し通し、必要箇所にのみ注釈を付けていくのでどうかそのつもりで。

ニコラウス・アーノンクール指揮ベルリンPO(2000年録音/テルデック)処分済
 このディスク、店頭で手に取ったままずいぶん長いこと迷っていた。ノヴァーク版と明記されており、それなら演奏タイムは各楽章妥当である。オーケストラには何の不安もない。願わくば、あまり好きではないアーノンクールが余計なことをしないでいてくれたら、きっといい演奏になっていると思うのだが……
 2枚組2200円台という手頃な価格に、結局は買ってしまい、不安と期待を持ってスピーカーの前に座った。
 結果は……もう散々。「余計なこと」の見本市であった。なぜか頂点で必ずティンパニが音量を絞る。14分台にしては出だしの遅い第2楽章は必然的にトリオが速すぎ、しかも第3楽章ともども滑らかにレガートで流れる「筈の」弦の旋律が、これでもかというくらいアクセントづけになっている(もちろん総譜にそんなものは書かれていない)。第4楽章は構造が堅固でいじくりようがなかったのか、弦の鳴らし方は穏健になるが、冒頭16小節でティンパニがダカンダカンと聞き手を驚かし、そのくせ中盤ではまたしても頂点で音量を絞る。これでは某有名批評家みたいなことを言いたくなってしまうではないか。
「指揮者ガぶるっくなーヲ分カッテイナイト、イカナべるりん・ふぃるデモコンナ演奏ヲシテシマウノデアル!」
(*原文はアッバード指揮「第5」の新譜月評で、ベルリンではなくウィーンPO)

ギュンター・ヴァント指揮ケルン放送SO(1979年録音/RCA=BMGビクター)★★★
      同       北ドイツ放送SO(1993年録音/RCA=BMGビクター)★★★
共に処分済
 自他共に認めるブルックナー指揮者。ヴァントは一途なハース版支持者で、表記の中間に北ドイツ放送SOと残した録音を含めすべてハース版による(途中で鞍替えする人が結構多いのだ)。傾向としてトゥッティは速めに、ピアニッシモはじっくり歌わせる演奏で、後年の録音ほど響きは「巨匠的」壮大さを帯びている。ジュリーニやチェリのところで触れた第4楽章622小節は意外なくらいあっさりと通過してしまうが、その代わりコーダが物凄い。練習記号Vv、ショルティが煽ってしまうところでグっとテンポを落とし、金管のスフォルツァンドも非常に効果的。少し変わっているのが、どの録音でも691小節のトランペット(前小節から続く旋律の高い1音)がまったく聞こえない点。
 演奏そのものは北ドイツ盤に軍配が上がるのだけれど、困るのが録音状態。オーケストラの特性か録音特性か、Dレンジが広すぎて、ppが快適に聞こえる音量だとfffがやかましく、これじゃ防音設備の完備したリスニング・ルームでもない限り十分に演奏を楽しめない。ケルン盤も演奏としては十分に完成されているものの、全体的にやや「パワフルすぎる」きらいがあって、両者どっちつかずなのは否めなかった。下記のベルリンPO盤が登場し、今後これらの旧録音はあまり聴かなくなるものと思われる。

ギュンター・ヴァント指揮ベルリンPO(2001年録音/RCA=BMGビクター)★★★★
 残念ながら、これがヴァント最後の「ブル8」ということになってしまった。1997年に同じ組み合わせの「ブル8」がFMでオン・エアされており、その快演ぶりからこの録音には以前から期待していたのだが、まさに期待どおり深みのある演奏である。冒頭部から「さすがベルリンPO」という厚い音がして、北ドイツ盤の広すぎるDレンジは弦の音量不足が原因であることを思い知らされた。
 ひとつだけ気になるのが第2楽章で、主部の練習記号Mから入るティンパニのトレモロがクレッシェンドをかけ、N(135小節)を頂点にディミヌエンドするヴァント独自の解釈について。北ドイツ盤からコンセプトの変化はないのだが、ここでは派手にやりすぎて134小節のフルートがかき消されており、魅力的な響きの箇所だけにやや残念である。話が逆戻りするけれど、第1楽章のコーダでは練習記号YからリタルダントしてZで一旦元のテンポに戻り、また仕切り直すのが印象的。旧録音を確かめたら、これも同じコンセプトをはっきりと強く打ち出したものらしい。旧録音ではよほど意識して聴かないと分からない程度だった。
 第3楽章以降は、やはり弦の鳴りっぷりが素晴らしい。象徴的なのが第4楽章のコーダで、Wwからの金管に聴かれるスフォルツァンドが旧録音よりずっと穏当なのである。理由は簡単で、金管をあまり抑えなくとも弦が埋もれてしまうことがない。的確な解釈とオーケストラの実力が揃った名盤である。

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーンPO(1988年録音/Dグラモフォン)処分済
 かつて、筆者の友人がこう評したことがある。「カラヤンとブルックナー? 水と油やろ」 けだし名言である。ただし、FMで聴いた限り、旧録音のベルリンPO盤はそう悪くない。いずれもハース版を使用。

ネーメ・ヤルヴィ指揮ロンドンPO(1986年録音/シャンドス)処分済
 ローカルな作曲家、マイナーな作品ならアシュケナージかヤルヴィを探せ、と言いたくなるくらいレパートリーの広い指揮者。「おお、ブル8も入れとるんか」などと感動して買ってしまったが、そのような動機でディスクを買うとロクなことがない。ロンドンPOの音も、残響の大きいシャンドスの録音特性も、この曲に合っていないような気がする。なにより、テンポが変動するたびに、えっ? ウーン…… と首を傾げてしまう演奏は困りもの。金管・木管・弦のバランスにも各所で疑問を抱かざるを得ない。第2楽章は比較的スムーズに聞こえるが、ブルックナーのスケルツォというのは、オーケストラがきちんと鳴って指揮者が余計なことをしなければマズくは聞こえないものである。ハース版使用。

朝比奈隆指揮大阪PO(1994年録音/キャニオン)処分済
 有名批評家がいくら褒めちぎったからといって過大な期待をするのはやめよう、という教訓を与えてくれたCD。はっきり言って買ってはいけない。ハース版使用。

オトマール・スウィトナー指揮ベルリン国立歌劇場管(1986年録音/Dシャルプラッテン)★処分済
 くない演奏なのだけれど、朝比奈シンパの書いたべた褒めライナーノーツを読むとかえって演奏がマズく聞こえる。ベルリン・クラシックスから出ていた輸入盤を買えばよかった。
 第1楽章練習記号Lのところで、よくあるように金管の刻みを速くするかと思いきや、途中でリタルダントをかけ、最後をかなり引っ張る辺り、ドラマティックと取るかわざとらしいと取るか。第3楽章には5連音符が頻出するが、これを2+3の「ブルックナー・リズム」にしてしまうのはショルティの旧録音と共通する解釈である。第4楽章に入ると、いわゆるブルックナー休止が極端に短く、休符の長さを守っていないのではないかと疑われるくらい、苛立たしげに次の音を鳴らす。そのため演奏タイムよりもかなり速く感じてしまう。練習記号Ppからは遅目のテンポとなり、頂点の「langsam」も実行しているが、それだけにコーダの練習記号Yyから猛然と加速するのが木に竹を継いだように聞こえる。最後の「ソーーっ、ミレド!」という締めくくりもやや滑稽。他の曲は概ねノヴァーク版を使うスウィトナーなのに、8番はハース版使用。

ミヒャエル・ギーレン指揮南西ドイツ放送SO(1990年録音/ヘンスラー・クラシック)★★★
 ギーレンという指揮者はまったく未知のヒトで、CD店のポイントカードによる値引きがなければこのディスクを買ったかどうか疑問なのだが、結果的には「思わぬ拾い物」ということになった。中でも第1楽章が素晴らしい。特筆すべきは340小節のフェルマータ。ここをこれほど極端に延ばす演奏に接するのは初めてで、その緊迫感には聴く度に背筋がゾクゾクっとする。他の楽章もなかなかの出来なのだけれど、なぜか曲の後半ではむしろフェルマータをあっさり処理しており、第3楽章の「頂点(ノヴァーク版で239小節に相当)」にももう少し粘りがほしいような気がする。また、第2楽章の主部がやたら遅い。そこだけをとって見ればさほど特異なテンポではないものの、曲全体の流れからやや浮き上がる感がなきにしもあらず。全般にかなり金管を強奏させており、全合奏ではもっと弦を聴かせてほしい箇所もあるが(特に終楽章)、演奏の品位を左右する程ではないと思う。
 使用楽譜は基本的にハース版ながら、第3楽章のコーダ(第1ヴァイオリンの旋律が2音だけ版によって異なる)はノヴァーク版に合わせてある。チェリビダッケ/ミュンヘンPOやショルティ/ウィーンPO(ともに基本はノヴァーク版)もここが使用楽譜と異なっており、指揮者としては気になるポイントらしい。

カール・ベーム指揮ウィーンPO(1976年録音/Dグラモフォン)★★★
 一言、名演である。が、じっくりと……というかマニアックに聴いていると変テコな演奏である。まず版がはっきりしない。ハース版の特徴である第3楽章・練習記号Qの手前にくる10小節は入っていないが、コーダの272・274小節第1ヴァイオリンはハース版に準拠している。第4楽章前半は完全にノヴァーク版。ところが、後半になってハース版にしかない部分(577小節)が顔を出す。339小節の後がカットされているのも不思議。コーダの691小節ではトランペット(ファンファーレの出だし)がまったく聞こえないし、練習記号Zzから第2・3トランペットがやたら突出しているのも珍しい。その他、第4楽章に頻出する「前打音」を完全に小節線の後ろへ持ってきているのが著しい特徴。それにしても、第4楽章22分台のタイムでここまで重みのある演奏を聴かせる辺り、さすがはベームである。

カール・ベーム指揮チューリヒ・トーンハレ管(1978年録音/PALEXA)★★処分済
 ベームは魔術師である。既知の曲でディスクを選ぶ際には、愛聴盤と演奏タイムを比較して内容の見当をつけるといいのだけれど、ベームの場合にはまったく参考にならない。ベートーヴェンの「7番」なんて、演奏タイムは平凡なのに印象としてはカルロス・クライバー並みのハイ・テンションなのだから。2001年になって新規発売されたこの「ブル8」、タイムを見ると滅法速い。しかし、第1楽章を聴くとさほど速く感じないのである。テンポ変動が決して鋭角にならないから、練習記号Lのところなんぞ相当「押し込んで」あるにもかかわらず、スウィトナー盤のようなわざとらしさがない。第3楽章も同様、お見事。しかし、ショルティ盤よりなお短い第4楽章はさすがにベーム魔術も効果が薄く、やっぱり速い。コーダのXxではショルティ同様の加速処理(それでも継目は滑らか)をしており、ウィーンPO盤のように第2・3トランペットが突出する「アクの強さ」もないため少々物足りなさが残った。
 版についてであるが、ジャケットに「ハース版」と明記してあるものの、実態はウィーンPO盤と同じ折衷型。ただし第4楽章339小節のカットはない。

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送SO(1993年録音/アルテ・ノヴァ)★★処分済
 これまたノヴァークとハースの折衷版による演奏である。このディスクは、ジャケットに「Apocalyptic=黙示録的」という謎の副題が記された怪しげなもので、ずっと敬遠していたのだが、2枚組950円という価格に惹かれてとうとう買ってしまった。実際、演奏の方もかなり怪しげで、普通は音響の下支えをするパートが表に出ていたり、ティンパニがやたらとクレッシェンドやディミヌエンドを繰り返したりする。特に第2楽章の主部はずいぶん変な響きがするのだけれど、これが結構面白い。かなりテンポの変動が大きい演奏ながら、ヤルヴィ盤のようにそれが裏目に出ることもなく、なかなかの怪演(快演の誤記ではないので念のため)といえる。第4楽章のコーダでも、ティンパニがとどめのごとく弱音で入ってクレッシェンドをかけるのには恐れ入った。ベームがハース版を基にカットを施しノヴァーク版に近い形で演奏していると思われるのに対し、こちらはノヴァーク版を基に一部ハース版を挿入したらしい。最初、第3楽章からノヴァーク版と判断して聴いていたから、第4楽章・練習記号Ooの手前で思わず「えっ?」という声が出た。
(2003年10月、この組み合わせによる来日公演があり「ブル8」が演奏されたのだが、大阪公演ではオーケストラのアンサンブルが悪く、★★を削除したくなるひどい出来であった。第三楽章の終わった後、見える範囲だけで3人が帰ってしまったほどである。どうやら楽団がホールの音響特性を掴み切れなかったらしい。あくまでCDの聴き比べということで評価は変えないけれど、実演では1990年に来日したショルティ/シカゴSOの足元にも及ばなかったことを付記しておく)

サー・レジナルド・グッドール指揮BBC-SO(1969年録音/BBC Music)処分済
 ジュリーニやチェリに惹かれる筆者としては、第4楽章の27分07秒(但し演奏後の拍手を含む)という演奏時間につられてこれを買ってしまった訳だが、「遅けりゃそれでいいってものじゃない」という、考えてみれば当然のことを再認識させられる結果となった。クナッパーツブッシュの悪影響(?)が感じられるけれど、クナの好きな人が聴けば「下手糞な物真似」という評価で終わりそうな気もする。ハース版使用、終楽章の締めくくりでティンパニにクナと同じ改変が加えられている。

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「異稿盤・珍盤」
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送SO[1887年版"第1稿"](1982年録音/テルデック)処分済
 ブルックナーの生前には一度も演奏されなかったとされる「第1稿」を広く世に知らしめた記念碑的録音である。しかし、ジャケットに「第1稿」である旨を大きく記してある訳でもないので、安いからといって(国内盤が\1,000で出ていた時期がある)このCDで初めて「ブル8」を知った人が勘違いしないかどうかつい心配になる。
 肝心の演奏だが、第2稿より160小節ばかりも長いこの稿がCD1枚に収録されており、大阪弁で「イラち」と評したくなる落ち着きのないテンポが気になる。

ゲオルク・ティントナー指揮アイルランド国立管[1887年版"第1稿"](1996年録音/ナクソス)
 同じく第1稿でもこちらはCD2枚組の一般的なテンポ設定。「いつまでも終わらない印象を与える(ブルックナー・マーラー事典/東京書籍)」第2楽章主部のラストは音量に段差を付けて解決するなど、紹介演奏の域は脱していると言ってよかろう。凡庸な感はあるものの、イラちのインバル盤よりはやっぱり聴きやすい。

デニス・ラッセル・デイヴィス指揮リンツ・ブルックナー管[1887年版"第1稿"](2004年録音/アルテ・ノヴァ)>
 第1稿による演奏にも、かなり選択の余地が広がってきたのは喜ばしい。同じような解釈を第2稿でやられたら「無し評価」になること疑いなしの荒削りな演奏なのだが、第1稿ゆえになかなか面白いものとなった。特に第2楽章の凄まじい推進力は一聴の価値あり。ティントナーが理詰めの解決法なら、こちらは力ずくといった感じである。第2稿との差異が比較的少ない終楽章はいくらか格調の高い解釈になっている点にも好感が持てる。

ライオネル・ロッグ編曲/演奏[オルガン独奏版](1997年録音/BIS)
 これより前にトーマス・シュメックナーという人による「4番」のオルガン編曲が発売され、これはなかなかよく出来た演奏だったが、「8番」ははっきり言って無謀な試みである。もっとも、これはロッグ氏の責任に非ず。委嘱したのは日本人である由。やっぱりねえ。あちこちカットしたり苦心の編曲ではあるけれど、お薦め出来ません。個人的にオルガン編曲をやってみてほしいのは「5番」である。きっと面白いと思うのだが……

「幻の録音」
若杉弘指揮NHK-SO
 1996年から翌年にかけて、表記の組み合わせによって、「二つの世紀のカトリック」と称する、メシアンと組み合わせたブルックナー・ツィクルスがプログラムに乗った。実演は好評だったようで、スタジオ録音によるブルックナー全集が発売されることになった。ところが、どうも予想に反して売れなかったらしく、「7番」と「3番」が出たところで止まってしまった(どこがツィクルスやねん)。1996年3月にFMで生中継された「8番」はストレートな解釈による名演で、筆者は「8番」の発売を心待ちにしていたのだが、残念ながら幻に終わったようである。第2楽章以降はMDに録音してあるので、ときどき寂しい気持ちでこれを聴いている。

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