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 2003年10月、二日間限定で復活運転された気動車急行「きのくに」を撮りに行った(詳細はこちら)
通勤型に統一されてしまった区間へ撮影に向かうのは初めてで、目当ての撮影地は再訪とはいえ11年ぶり。
田辺市内のホテルを出て「単なる移動手段、タクシーよりラクだし速い」と何度も自分に言い聞かせつつ、
見老津まで不愉快な105系電車に乗る。そこからかつて2度ばかり歩いた国道路肩を周参見方面へ向かっ
たが……。
 あれ? 変だぞ。
 道路の曲がり方、海の見え方からして、明らかに目指す地点を通り過ぎている。
 回れ右、道なりにグイと右へ曲がった地点が目的地……の筈が……線路が全然見えない! 路肩に鬱蒼
と樹木が茂るばかり。
 十数年ぶりだものなぁ、と山手に目をやると、コンクリート擁壁の上に5人ほどの人影が。もちろん、
その手にはカメラ。
「そこ、撮れるんですかぁ?」
「イケますよ~」
 ヤレヤレ、と細くて急な階段を登って得られたのが下の構図。擁壁の上ということで"定員"は厳然と限
られ、残り二人分といった状況だったから、危なかった。"満席"になってからも、カメラを手にした人が
何人も眼下に現れたが、右往左往してから首を傾げて帰っていくばかりであった。
 通りかかったクルマのドライバーは、突然行く手の擁壁上に人が並んでいるのを見てそざかし驚いたろ
う。なにしろ右へ90度も急カーブする地点だから。  

 

復活運転の気動車急行「きのくに」2003年

紀勢本線 見老津-周参見 2003.10

 撮影後、見老津駅に戻り、田辺市内のコンビニで調達しておいた総菜パンを遅い朝食にしていたとこ
ろ、珍しく他にも公共交通機関を足にする撮影者が駅舎に姿を現し、筆者の姿を見るなり、
「おや、食事中ですか?」
 と声をかけてきた。筆者より5つばかり齢上と思われたが、最初の一語に人柄がにじみ出ていて、す
ぐ昔話が始まった。普通列車が急行型電車に統一されていた時期に話が及ぶと、相手はちょっと遠くを
見るような目になって、こう言ったのをはっきり覚えている。
「あぁ、あれは夢のような時代でしたね」
 そのとき、筆者はごく僅かに反発を感じた。
 あれが当たり前で、今が異常なんじゃないか!
 それから10年以上経ってみると「あれは夢の時代」というのが正しいような気持ちになっていた。年
号を示せば、急行型電車の天下は1986年から1997年まで、たった10年あまりである。
 それが随分と長く続いたかのように錯覚されるのは、高校3年間と大学4年間がちょうどその中へ収
まっていたからだろう。考えてみれば、さらに以前の「客車列車2往復以外は近郊型電車」という状況
など10年に満たない。幼稚園児の頃、白浜駅で80系気動車の「くろしお」を降り、次に乗った普通列車
がキハ35系という通勤型だったのを微かに覚えている(どうしてそんな幼い頃からこの地に縁があった
かについては、こちらで詳しく紹介)。はっきり物心ついてから大学を出るまで、和歌山から新宮まで
ロングシート車が1両もいなかった、というのは、生まれた時期が良かったというだけなのだ。
 でもそのお蔭で、幾度となく楽しい旅をさせて貰った。

それでは、ご招待しよう。紀勢西線「夢の時代」の旅へ!
多くが成年に達する前に撮った写真なので、青臭く苦い追憶が顔を出すのをお許し頂きたい。