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 徳和-多気 1987. 7

 関西本線や紀勢本線で国鉄末期から
よく見られた急行型+通勤型、"2両合わ
せてセミクロス"で、車両活用術としては
アイディア賞ものながら、冷房電源がな
いのは玉に瑕。といっても、今みたいに
気温が体温を越えるようなことはほとん
どなかった頃だから……。
 急行型の座席が6~7割埋まるまで、
通勤型の方は空っぽということが多かっ
た。

 
櫛田川橋梁をゆくキハ58とキハ30、1987年

 

 

 

 

多気駅で鳥羽行と新宮行を分割、1997年

 多気駅 1997. 6

 国鉄の「多層建急行」を思い出させる
鳥羽行と新宮行(共に普通列車)の解結
作業。この光景が1990年代後半まで見
られた。
 かつての「紀州」と「はまゆう」分割
作業もこんな感じだったのだろうなぁ。
(名古屋行の「紀州」だから隣の線路か
な……?)