*Kai-chanの鉄道旅情写真館・異次元のページ*

心に残るこの1枚・第1回

サー・ゲオルク・ショルティ指揮シカゴ交響楽団

ブルックナー:交響曲第3番

1877年版第2稿

(1992年録音/デッカ=ロンドン)

 

 筆者をブルックナー・マニアにしたのは、そう、この1枚であったといってよい。
 もっとも、演奏内容がそうさせた訳ではなく、このディスクとの出会い方が問題だったのである。十代の頃、筆者は音楽作品の作曲背景や作曲家の伝記といったものに対し、頑なな拒否反応を示していた。そんなものを読むと、真の音楽鑑賞が歪められる……という理屈で、今でも概ねそれは真理だと信じている。
 そこへ衝撃を与えたのがこのディスクであった。
 もうひとつのページに記した通り、筆者は高校生のときにブルックナーの第8交響曲に取り憑かれ、必然的に他の交響曲をもぼちぼち集めだしていた。まだ外資系CD店などはなくて、CDといえば一枚2500円を越える国内盤を買わねばならず、いきおい、FM放送をカセット・テープに録るのが大きな楽しみとなっていた。
 あるとき、オトマール・スウィトナーがNHK交響楽団を指揮した「第3」のライヴ演奏がFMでオン・エアされた。それまでにもヴァントの指揮などをFMで聴いており、知っている曲……の筈だった。
 ところが、第1楽章の途中から聞いたことのないパッセージが頻出し、全体がやけに長い。演奏が終わった後、解説で「1877年版」というコメントがあったので、よく分からないままカセット・テープのラベルに1877年版と書いておいた。
 初めて買った「第3」のCDはベーム/ウィーンPOで、これには「ノヴァーク版」としか書かれていないから、1889年版というのもFMの解説で知ったのだろう、とりあえず「第3番には1877年版と1889年版があって、古い方が長い」と分かったつもりになっていたのである。
 そして筆者が大学生の頃、贔屓の指揮者ゲオルク・ショルティがシカゴ交響楽団とのブルックナー・ツィクルスに着手した。当時外資系は未進出ながら、大阪・梅田に割安な輸入盤を扱う店を発見しており、録音されたばかりのショルティ指揮「第3」を輸入盤で手に入れたのだった。
 さて、ケースを裏返すと「1877 version, ed.Nowak」とあり、正体不明のノヴァークとやらはともかく「ホウ、ショルティは長い方の版を選んだな」とこれまた分かったつもりになっていた。
 いざプレーヤーにかけてみて、ショルティとシカゴSOならではの絢爛たる音色に浸りつつ「そうそう、1877年版はここでこういうパッセージが入るんだよなあ」と妙な自己満足を感じていたのだが、第3楽章で思わぬことが起こった。
 主部-トリオ-主部ときて(実はそんな言葉もまだ知らなかったのだが、ブルックナー・スケルツォは厭でもA-B-Aという形式が頭に残る)さあ第3楽章が終わった……と思いきや、後にまだ何やら聴いたことのない旋律が続くではないか。
 いったいどうなっとるんじゃ、このブルックナーという作曲家は?
 スウィトナー指揮のカセット・テープを出して第3楽章を聴いてみたが、やっぱり主部-トリオ-主部で終わっているのだ。
 こうなるとポリシーも糞もない。いろいろな書物に当たって、第3交響曲に3つの稿があること、1877年版「第2稿」だけスケルツォ楽章がコーダを有すること、但し第2稿には複数の出版譜があって初期のものにはコーダがないこと……などなどを知ったのである。
 そうしているうちに、
「おっ、ティントナーが第8交響曲を第1稿で録音したぞ」
「よっしゃあ。ロペス=コボス指揮の第4交響曲第1稿(廃盤の在庫品)を発見!」
「おぉ! 第4交響曲1878年版の第4楽章がCDになったぁ」
「ロジェストヴェンスキー指揮の第1交響曲“両稿演奏”リンツ稿の方が遅いテンポとは面白い。比較演奏じゃないゾ……というポーズの意味もあるのと違うか」
 気が付いたら、我ながら呆れた「ブルックナー・オタク」と化していた。もしショルティがブルックナー・ツィクルスを手掛けずに亡くなっていたら、あるいは第3交響曲を一般的な第3稿で録音していたら、筆者は今ほどマニアックな方向に進まなかったかもしれない。

 

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