*Kai-chanの鉄道旅情写真館・異次元のページ* |
心に残るこの1枚・第10回
サー・ゲオルク・ショルティ指揮 モーツァルト:レクイエム ジュスマイヤー版 (1991年録音/デッカ=ロンドン) |
中学生のとき自分の小遣いで初めて買ったレコードは、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」のLPであった。現在、棚には同じ録音のCDがあり、今でも好きな演奏のひとつで、少なくとも半年に1回はプレーヤーにかけていると思う。20年の付き合いということになる。
それが芸術というものだろう。簡単に色褪せて貰っては困る。
あらためてCDの棚を眺めてみると相当に偏りがあって、何百枚単位(正確な数は自分でも分からない)の中で、モーツァルトが2枚しかない。MDを加えても4枚。最も多いブルックナーの100枚超に比して、1曲当たりの所要時間を考慮しても差が大き過ぎる。
理由は簡単で、あまり「いい音楽だ」と感じたことがないからである。
なぜわざわざこんなことを書きだしたかと言うに、巷間、モーツァルトを賛美した文章がやたらに多い。初めて聴いたのが交響曲の第何番で、それがどういう具合に心へしみ込んで、云々……。
音楽にしても文学にしても、受容などというのは所詮好き嫌いなのである。好きな作曲家について語れと言われれば、それはいくらでも美辞麗句を並べたくなるし、また事実を描写するとそうなってしまうのだから仕方なかろうが、読まされる方は趣味が一致しない限り迷惑でしかない。言い換えれば、モーツァルトの愛好者が多過ぎるから、自然とモーツァルト礼讚の文章が増産されるのであろう。
かと思えば、曽野綾子がエッセイにこんなことを書いている。
私の体質がモーツァルトを受けつけない、と思うまでに、私はずいぶんモーツァルトを聴いた。いつかよさが発見できるかと思ったがうまくいかなかった。モーツァルトの音楽では私は嬉しくも悲しくもならない。そしていつのまにか音楽が在ることさえ忘れて、全く他のことを考えている
私は文学でも音楽でも哲学を感じられないものは全くダメで、それは言葉を換えていえば、悲しみと陰影のないものには心がついていかない、ということになる。モーツァルトの音楽は、私にとっては、実人生の割には明るすぎ、平板過ぎて私を戸惑わせる
『二十一世紀への手紙』集英社文庫
なにしろ、好きな作曲家が『ワーグナー、R・シュトラウス、ブルックナー、シベリウスなど』というのだから、ブルックナーとシベリウスの信奉者たる筆者とモーツァルト観が一致するのもむべなるかな、ということになろうか。
ただし、モーツァルトという作曲家は若くして亡くなった割にずいぶんたくさんの作品を残し、あまりたくさんあり過ぎて、どれか一曲くらいは大方の「モーツァルト嫌い」の好みにだって合致してしまう。
かく言う筆者も、正確には未完作の『レクイエム』K626だけは大好きなのである。4枚しかないモーツァルトのディスクのうち、2枚が『レクイエム』である(CDは表記のもの1枚たけで、もうひとつはFM放送をMDに収録したジュリーニ指揮のもの)。
従って、全体としてモーツァルトの音楽があまり好きではなくとも、この大作曲家に対して、あんなのたいした存在じゃない……などと切り捨てる勇気はない。
20世紀の作曲家、芥川也寸志によると、モーツァルトの最晩年・1ヶ月半のうちに書き上げられた全作品(ここには、いわゆる三大交響曲が含まれる)を筆写すると、その作業に専念したとしても1ヶ月はかかるだろうという。つまり、創造と記譜が同時進行しているばかりか、「書き直し」もほとんどなかったらしい。
こうした「歴史的事実」を取り上げるだけで、モーツァルトの「天才ぶり」は認めざるを得ない。これは好き嫌いを超越した話である。
実はもうひとつ、筆者には「モーツァルト嫌い」を宣言しにくい事情がある。皮肉なことに、信奉する作家の中に二人も「モーツァルト信者」がいるのである。
一人は三浦哲郎。
なにしろ、連作小説『モーツァルト荘』の作者である。ただ、連作小説だけなら一向に構わないし、文庫のカバーも順調に擦り切れつつあるのだが、随筆集『下駄の音』にしっかりと『私のモーツァルト』なる作品が収録されている。短い文章ではあるけれど、モーツァルトに惹かれたきっかけはこの曲、母親を亡くした前後の数日間を除いてモーツァルトを聴かない日はまったくなくて、仕事中はこの曲、寝る前はこの曲、と並べられると、文章が流麗なだけに困ってしまう。
もう一人が紀行作家の宮脇俊三。
三浦哲郎の『モーツァルト荘』が絶版の文庫を古本屋でようやく入手したのと対照的に、宮脇俊三はある時期から新刊を単行本で欠かさず買う「現在進行形」の受容をしてきたため、全作品の九割方は読んでいる筈だが、なにぶん、
勤めを辞し、文筆家となってからは(中略)かつて「中央公論」「婦人公論」の編集責任者として培った万般の知識教養を、書くものの中に一切のぞかせない。本書(筆者注。『旅の終わりは個室寝台車』のこと)で、百鬼園阿房列車のヒマラヤ山系にあたるのは「藍色の小鬼」なる人物だが、小鬼相手に、政治を語らず文学美術を語らず、女を語らず風俗について語らず、もっぱら汽車の話と弁当の話ばかりしている。それも、やや面倒くさそうに、いくらか憂鬱そうに話す。
阿川弘之「普段着の阿房列車」(宮脇俊三『旅の終わりは個室寝台車』新潮文庫解説)
というお人柄だから、作中にモーツァルトが登場することは滅多にない。鉄道旅行に同行した編集者がヘッドフォン・ステレオでモーツァルトを聴き始めても、芸術論に脱線したりせず、笑い話でさらりとかわしてしまう。
ところが、そんな宮脇俊三でさえ、
私はモーツァルトに心酔してしまい、レコードを買い集め、ピアノに向かってソナチネK五四五やソナタK三三一を弾こうとし、『年刊モーツァルト』なる同人雑誌を編集したりした、そのために、どれだけ金と時間を費やしたか量りしれない。だが、ちっとも後悔していない、モーツァルトを知らずに一生を終わる人を気の毒だと思うだけだ。
『古今東西の音楽家、いや芸術家で、これほど多くの人を魅了した人物はいなかったのではないか。それは釈迦、キリストの域に近い。私など神も仏も信じない人間であるが、モーツァルトを聴いていると、彼は神と人類との通路であったかと思うことがある。
『旅は自由席』新潮社
というようなことを書いている。この箇所だけを読むと、とても宮脇俊三の文章とは思えない。あらためてモーツァルトの「偉大さ」を思い知る。
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