*Kai-chanの鉄道旅情写真館・異次元のページ*

心に残るこの1枚・第11回

團伊玖磨指揮ウィーン交響楽団ほか

團伊玖磨:交響曲第6番「HIROSHIMA」

團伊玖磨 交響曲全集より

(1989年録音/デッカ)

 

 「好きな作曲家」にも様々な「程度」がある。例えば、シューマンの交響曲が聴きたい、と思い立つ。CDラックの前に立って、どれを聴くか思案する。もちろん、初めから「チェリビダッケ指揮の『3番』が聴きたい」と目当てが決まっていることもある。そして、実際に聴くことによって満足し、しばらくの間シューマンそのものから遠ざかってしまう。
 この水準に相当する「好きな作曲家」は数え切れないほどいる。
 愛好度がさらに深まってくると、逆の現象が起きてくる。例えば、しばらく聴いていなかった伊福部昭の「タプカーラ交響曲」をラックから取り出す。すると、何日も続けて「今日はヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲を聴こう」「今日はピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータを聴こう」という具合に、同じ作曲家の音楽に偏ってしまうのである。伊福部昭だと4日くらいでさすがに満腹感を覚え、他の作曲家に移行する訳だが、この「しばらく聴いていない」という「しばらく」の間隔が縮まり、満足するまでの期間が長くなってくると中毒症状に近くなる。
 幸いにして、中毒に近いほど惚れ込んだ作曲家はブルックナーとシベリウスの二人しかいない。
 どんな作曲家とも、当然ながら最初の「出会い」がある。面白いことに、ブルックナーの場合はさほど第1印象は強烈とは言えなかった。もっとも、こちらがまだ中学生だったという事情もあろう。シベリウスをまともに(というのは、中学校での音楽鑑賞に『フィンランディア』を聴かされた覚えがあるから)聴いたのは高校生のときで、曲目は平凡に「交響曲第2番」であったけれども、こちらは初めから「この作曲家、きっと凄いぞ」と直感し、CDが着実に増えていった。
 困るのは現代作曲家の場合である。
 これはいい、他の曲、他の演奏をもっと聴いてみたい……と思っても、録音の絶対数が極端に少ないのだから。
 團伊玖磨の交響曲全集を聴いて、まず「2番」に惹きこまれた。これはまさしく日本製のロマンティック交響曲である。20世紀の作曲家としての宿命で、この作風に腰を据えることはなく、3番では無調に移行するものの、その魅力が衰えることはなかった。最後の交響曲となった「6番」では、今度は日本製「復活交響曲」の様相を呈することになる。
 この交響曲には「HIROSHIMA」という表題が付されている。聴く前は、つい「広島」を冠したペンデレツキの作品みたいにドロドロした音楽を予想していたが、蓋を開けたらまったく違う内容であった。
 要するに「復活した街への賛歌」なのである。
 編成はオーケストラに篠笛と能管(持ち替え)が加わり、終楽章には英語のテキスト(イギリスの詩人エドマンド・チャールズ・ブランデン作)によるソプラノ独唱が導入される。HIROSHIMAというのは要するにそのテキストの題名で、最後の連は次のようなもの。

    訳:寿岳文章
Hiroshima! no finder pride
Did ever earthly city guide
Than yours, -to be the happy nest
Where the glad dove of peace may rest
Where all may come from all the earth
To glory in mankind's rebirth!
000000 ヒロシマよりも誇らしき
名をもつまちは世にあらず
君は平和の鳩の巣よ
をちこちびとはここに来て
よみがえりたる人類の
かがやく姿みるらむか
原詩および訳詩はCD解説書による

 最後の1行が二度繰り返して歌われる辺りの高揚感は、マーラーの「2番」で声楽パートを締めくくる「zu Gott wirt es dich tragen!」の箇所を連想させずにはおかない。
 もっとも、そこは現代曲。「復活」が声楽パートの終了後数分で全曲が結ばれるのに対し、「HIROSHIMA」では一旦頂点を築いた後に第1楽章に逆戻りしたような邦楽器との協奏風の部分が長々と再現される。しかも、それがまったく「余計なもの」に聴こえないのは見事である。
 3楽章構成で、中間楽章はA-B-a-C-A-コーダというスケルツォもどきの構成。aはAの部分的再現で、BとCはファゴットや邦楽器の独奏による日本民謡(広島由来)の引用が特徴。一般に、管弦楽曲に民謡の旋律をそのまま持ってくると諧謔的になりがちなのだけれど、この楽章はそれを逆手に取ったようなもので、Aの部分自体、真面目なのかふざけているのか分からない響きなのである。金管の強奏による「ばっぽっぽ、ばっぽっぽ、ばっぽっばっぽっばっぽっぽ」なんていうリズムに、初めは思わず小さく吹き出した。コーダも少々やり過ぎかと思われるくらい壮大なものが付けられており、これまた第1楽章に早々と終楽章の要素が顔を出すマーラーを連想させる。
 「日本製ロマンティック交響曲」の2番にせよ、「日本製復活交響曲」の6番にせよ、もっと色々な演奏を聴いてみたいと思う。6番については、邦楽器の問題(楽器と奏者の確保)があるだろうが、「2番」など極めてロマン的であるだけに、演奏によってかなり表情が変わってくると思うのだが……

 

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