*Kai-chanの鉄道旅情写真館・異次元のページ*

心に残るこの1枚・第14回

ロリス・チェクナヴォリアン指揮
アルメニア・フィルハーモニー管弦楽団

ハチャトゥリアン:交響曲第1番&
交響曲第3番「交響詩曲」

(1993年録音/ASV)

 

 先年(2014年)のある日、FMから教育テレビに移動したNHK交響楽団定期公演の曲目に「ウォルトン:交響曲第1番」なるものを見つけた。ウィリアム・ウォルトン、20世紀半ばに活動したイギリスの作曲家という以外のことは何も知らない。しかしながら、まったく予備知識のない状態で交響曲を聴く、という体験は40を越えた齢になるとかなり貴重なので、あえて何も調べないままスピーカーの前に座った。
 結果は上々、安っぽくなる一歩手前で踏みとどまった「カッコ良さ」を持つ面白い作品、という印象であった。早速amazonで探すと、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市SOのCDがあったのですぐ購入、こういうときにインターネットは便利である(どういうときに「便利でない」かというと"何か未知の曲が聴きたい"などと検索対象が不明確なとき)
 ただ、第1楽章の冒頭部が何かに似ている、という気がして仕方がない。あまり有名な曲ではない何かに……。
 かなりの時間を費やして「脳内検索」をやったところ、そうだ、と思い当たる曲があった。
 ハチャトゥリアンの「交響曲第1番」である。
 これを書き出す前、初めて第1楽章冒頭部だけを続けて聴いてみたら、そんなに共通点はなくて「なんとなく似てる」という水準ではあるものの、オーケストレーションには相通ずるものがあると思う。ウォルトンの方は曲目欄に作曲年が示されておらず、やれやれと思いながらブックレットの英文(輸入盤なので)に目を通してビックリ、なんとほぼ同時進行で書かれた曲であることが判明した (ハチャトゥリアンの「1番」は1934年完成、同じ年にウォルトンの「1番」は3つの楽章が先行して初演された由。要するに作曲が間に合わなかった?)。
 片やイギリス、片やスターリン時代のソヴィエト連邦、冒頭部だけの類似でもあり、完全に偶然の産物だろう。
 ……と、ここまで事前の構想通りに話を進めてはきたものの、ウォルトンとハチャトゥリアンの交響曲、どちらか一方でも(「第1番」でなくとも)ご存知の方がこのページを開く確率が果たしてどれだけあるのか、という不安は拭えない。
 実家で暮らしていた頃、気候のいい時期に風呂場から自室へ向かう途中、妙に上機嫌でクルト・ヴァイル作:交響曲第2番の一節を口笛で吹きながら廊下を歩いていたら、向かいから来た姉(悲しいことに故人)が、その曲なに? と訊くもので、とりあえず「ヴァイル」とだけ答えたら、相手は爆笑を始めた。
 笑いの発作が収まるのを待って……といっても数秒間だったろうけど、何がそんなに可笑しいのかと尋ねたら、
「だって、家の中でヴァイルを口笛で吹きながら歩いている人、滅多にいないでしょ (←標準語に翻訳)」
 それもそうか、と変に納得してしまったのだが、この少し後に、姉が「The World of Ketelby(ケテルビーの世界)」なんていうCDを所有していることが判明、しばらくの間、
「ケテルビーの癖にヴァイルを嗤うとはケシカラヌ」
 というのが家庭内流行語になった。
 考えてみると、ケテルビーには『ペルシャの市場にて』という、20世紀半ばには演奏頻度のやや高かった小品(近頃は耳にしたことがない)があり、一方のヴァイルにはそういう作品が見当たらない。とはいっても、作品全体を俯瞰した音楽史上の位置づけからすれば、逆にヴァイルが優位なのではないだろうか。
 本題に戻ってウォルトンとハチャトゥリアンを比べてみると、まだ演奏史が浅いためこの先どうなるか不確定要素は大きいけれど、現状では録音数や演奏頻度からしてウォルトンの方がやや格付上位のようだ。
 一方のアラム・ハチャトゥリアン、1903年生まれの1978年没 (アッ、筆者の生まれた頃はまだ存命だったんだ!)。不思議な位置づけの作曲家である。なにしろ、「ちょっとクラシックも聴きます」という人でも『剣の舞』の作者としてたいてい名前を知っているのに、『剣の舞』ひいてはバレエ音楽「ガイーヌ」以外の作品をいくつも列挙する人、例えば、
「交響曲は3曲、うち『第3番』は単一楽章ながらトランペット15本にオルガンを加えた"短い大曲"。協奏曲もピアノ、ヴァイオリン、チェロと一通り書いている。ピアノ協奏曲の中間楽章ではフレクサトーンなんていう特殊打楽器が使われ、形容しがたい音響世界が聴ける」
 などと言いはじめる(筆者のような)人を捜すと、今度は数が極度に少なくなる。この一曲突出ぶりは『ペルシャの市場にて』の比ではない。あまり自信のない英文読解力を駆使(英和辞典なんていうのは実家で埃を被っている)した結果では、『剣の舞』ばかり有名なのは意外にも日本固有の現象ではない模様。そんなにいい曲かねぇ。
 交響曲第1番は概ね"急-緩-急"という感じの3楽章、中間楽章を"緩-急-緩"として緩徐楽章とスケルツォを融合させた構成なのだが、なぜか後ろへ行くほど規模が小さくなり、第3楽章の演奏時間は第1楽章のほぼ半分しかないためあまりにもあっけなく、派手に終わる割に盛り上がりに欠けるという印象が拭えなくて、手前二つの楽章が魅力的なだけに惜しい。「第2番」と「第3番」は相当に強烈な個性を有する力作で、同世代のショスタコーヴィチ(1906~1975)よりも個人的には好きである。残念ながら世間一般の評価は芳しくないようで、録音もほとんど選択肢がない。
 なお「第3番」は後年に"付番"されたもので、初演時は単に『交響詩曲(Simfoniya-Poema)』という名称だったらしい。
 演奏時間20分台と、長さだけなら"小交響曲"の範疇。トランペットの大幅増員はヤナーチェク作「シンフォニエッタ」が有名(?)だし、交響曲にオルガンといえばサン・サーンスやマーラーの先例があるけれど、ハチャトゥリアンのこの曲は音響的に世界が違い、クライマックスで打楽器の強奏に乗って15本のトランペットを含む金管が咆哮するエネルギーの放出量には凄まじいものがある。なんでも、ショスタコーヴィチの交響曲がしばしば「勝利がない、力強さが足りない」と国家から文句を付けられのと反対に、こちらは「気狂いじみている」との酷評を受け、長らくお蔵入りになっていたそうである。
 この史実、今から見れば、むしろ「芸術性にお墨付きを受けた」も同然なので、機会があれば御一聴を。
 しかし、曲名がただ『交響詩』だけとはどういう意味か? シベリウスの「ある伝説(En Saga)」と同じような意図と取ればいいのか、口うるさい独裁共産政権に対して「これは交響曲ではなく、もっと自由な構成の音楽です、そこのところどうかよろしく」と予防線を張ったのか……(といっても、ショスタコーヴィチが政府の委嘱だか命令だかで書かされた「2番」も構成上は交響曲らしくない)。
 スターリン失脚後にこの曲も復権を果たし、現在では「交響曲第3番『交響詩曲』」というのが正確な曲名である。これもやっぱりなんだかよく分からない。  <2015年7月掲載>

蛇足。怪しげなジャケットデザインですが、MADE IN ENGLANDと書いてあります(笑)。

 

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