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心に残るこの1枚・第17回
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮 ブルックナー:交響曲第3番 1877年版第2稿 (1983年録音/BBC Music) |
少々いわくつきの一枚、といっても録音内容とは関係なし。
実はこれ、遠距離交際の女性と「中間の都市」でデートした際、男性心理としてなるたけカッコイイ姿を見せたくて、最低限の土地勘を得るべく前日に待ち合わせ場所近辺の「下見」をし、そのとき入ったCD店で購入したもの。あくまで下見で何も買う気なく入店したら、特設の「BBC Legends」コーナーを発見、そこにこんな掘り出し物を探し当てたからには買わずにいられなかった。
マタチッチのブルックナーといえば、この録音から1年の後、最後の来日公演でNHK交響楽団を指揮した「8番」が歴史的名演として語り継がれている。といっても、借り物のCDを聴いた筆者の感想は「悪くない」止まりだったけれども、会場の熱狂は凄まじかったそうで、
あの実演の凄さは。残念ながらCDでは半分も伝わってこない。ヴィデオで体験すべきだ
(金子建志/『ブルックナーの交響曲』音楽之友社)
という評もあるから、録音があまり良くなかったのかもしれない。「N響アワー」で一部楽章の映像を見た際は、当時の地上波アナログ音質だから評価のしようがなかった。引用した書籍でも触れられているが、マタチッチは第4楽章でティンパニの譜面に手を加えている。本来『デン・ドン・デン・ドン・デン -休符-』となっているところを、同じ音型を叩き続けて「ゲネラルパウゼ」を埋めてしまったのだ。
一般に作曲家兼演奏家(彼は作曲家でもあった)にはこうした例が多いとのことで、
マタチッチ? 3番? しかも第2稿? こりゃ何かあるぞ……という、いささかマニアックな期待も抱かせた。
曲の冒頭は独奏トランペットを極限まで抑えた解釈で、どこかの批評家がショルティ盤を指して『トランペットが爽快かつ不適切に鳴り響く』と書いていたのを思い出させる(筆者は「どっちもあり」という立場)。
期待通りの異変(?)は、第2楽章に現れた。なんと、第3稿(1889年版)で書き加えられた金管の旋律線が高らかに響き渡る!
改良は採用、短縮は不採用、といったところか、だとすればスケルツォ楽章はコーダ有かな? 第3稿のアイディアを持ってきたということはコーダ無かな? とマニアックなことにワクワクとつつ聴き進んだら、正解は主部-トリオ-主部でおしまい。
ブルックナーはある時期からスケルツォ楽章にコーダを書かなくなった、というのが大雑把な史実。ここでは大雑把ではなく詳しく見てみよう。
以下はコーダ付スケルツォ楽章を持つ作品一覧。
●第0番 1864年 ただし作曲時期については不明な点多し
●第1番「リンツ稿」1866年
●第2番 1873年 後からの改訂箇所が多くどこで区切るべきかは異論多し
●第4番「第1稿」 1874年 *「第2稿」のスケルツォ楽章(1878年)は白紙から書き直されコーダは持たず
●第3番「第2稿」 1877年 *「第1稿」1873年、「第3稿」1889年はいずれもコーダなし
●第1番「ウィーン稿」 1891年
第3番と第4番の順序が入れ替わったりするのはいかにもブルックナーらしい現象だけれども、第3番だけは更なる注釈が必要。第1稿が音になったのは20世紀になってから、第2稿による初演ではお客が途中でぞろぞろ帰ってしまい……という逸話はあまりにも有名ながら、若きマーラーと共に最後まで客席にいたレティヒによる「第2稿」出版譜はスケルツォにコーダが付されていない。ということは初演でも音にはなっていないだろう。
ブルックナー・マーラー事典(東京書籍)に掲載された小論文によると、演奏現場に持ち込まれた総譜・パート譜と同時期に書かれたと思われる「手元に残しておくための浄書譜」にのみコーダが書かれているという。現在、第2稿を演奏する際に広く用いられる『ノヴァーク版』が出版されたのはなんと1981年で、もしかするといわゆる「スタジオ録音(近年はセッション録音という呼称が一般的らしい)」でコーダが聴けるようになったのはのは1981年以降かもしれない。
1873年の第3番第1稿が、離れ小島のようにコーダ無しのスケルツォ楽章なのも面白い現象である。おなじ離れ小島でも、最後の第1番「ウィーン稿」は、小節数は不変、オーケストレーションのみの改訂に徹した結果のようだ。
話をマタチッチ盤に戻そう。
第4楽章では、第2稿から第3稿への書き直しで62小節も短縮されており、話を聞いたマーラーが大反対したと伝えられているから、「改良は採用、短縮は不採用」といったところで第3稿の入り込む余地は少ない。
そう、「少ない」のである。ゼロではない。
注目点はここでも「コーダ」で、締めくくりの箇所だけは書き直す度に長くなり、第3稿でプラス1小節。そして弦楽器の伴奏音型が大幅に変更されている。
きっと何かしてくるぞ……と期待したら、やってくれた!
答えは「オーケストレーションは第2稿に準じたまま、3小節の反復を4小節に拡大することで、コーダの小節数は第3稿に一致させる」というもの。
こんな楽しみ方、ほかの作曲家ではまず有り得ない。
ところで、マタチッチが第2楽章で第3稿からもってきたトランペットの輝かしい響きに関して、ブルックナー・マーラー事典の楽曲解説執筆者はなかなかに辛辣である。
この楽句は陳腐であるとの印象を与えるかもしれないが、やはり聴き手を興奮させるような面をもっていすることは否定できないであろう。
第3稿で「ブルックナーの3番」を聴き覚えてしまうと、第2稿の問題個所は主旋律がなく伴奏だけのように感じられる。でも第4番の第1稿など、この作曲家独自の「いかなる時代にも属さないような前衛性」に馴染んだ後では、むしろ第2稿のほうが自然に思えてくるから不思議である。
なお、第3稿の第4楽章には「ブルックナーの手書き総譜」が存在していない。正確には、歴史上一度も世に現れたことがない。
なぜなら、この楽章は弟子のシャルクが「こうした方が万人受けするのではないでしょうか」と提示した総譜に、師匠ブルックナーが赤ペン先生よろしく添削を加えたものだから。
今日的には「それってブルックナーの作品なの?」という疑問を抱かざるを得ないが、小手先の修正ではなく書き直しに近い水準であること、ブルックナーの署名があることで、後年の研究者たちが第3稿として「公認」してしまった。
第4番・第5番にも同じような成立過程を経た版があるのに、こちらは『第三者なよる改鼠版』という烙印が押され、現在ではまず演奏されることがないにもかかわらず。
「ブルックナーの3番」といえば圧倒的に第3稿が多数派である情勢、経緯を知れば知るほど釈然としない。この点に関して、ブルックナー・マーラー事典は逆に寛容だ。
なおこうした変更(引用者注。第2稿→第3稿)が、よく言われるように「見るも無残な姿」に変えられてしまったものなのかどうかは、長年この形で演奏され、受容されてきた現実と照らし合わせ、また音楽作品の同一性への信仰が近代のイデオロギーにすぎないという可能性をも考えて、あまりヒステリカルに論じるべきことではないように思われる。
それじゃ二重基準だろ、と言いたくなるけれど、事典という出版形式の性格上、世界のブルックナー演奏実態に異を唱えても仕方がない、というのも確かで、現状追認に向かうしかなかったのかもしれない。
第三者による改訂版との烙印が押され「原典版全集楽譜」に入れて貰えなかったものの中で、最も当落線に近い位置にあったのが、第4番の「第3稿/レーヴェ稿」(1886年)。それがどういうものなのかについては「分からない」の一語に尽く。
だって、
レーヴェの作成した印刷用原稿は、楽器法と強弱法の夥しい改変によって、すっかりヴァーグナー風の響きに作り変えられていた。(土田英三郎 『ブルックナー』 ~カラー版作曲家の生涯~ 新潮文庫)
と書いてあるかと思えば、
第2稿と第3稿の違いというのは、まっ沙羅なブライトコプフ版のベートーヴェンのスコアと、指揮者による書き込み入りのスコアとの間に存在している相違に、非常に近い面があるのだ。もつろん全てがそうだというわけではないが(後略) (金子建志/『ブルックナーの交響曲』音楽之友社)
ニュアンスが違うなどという水準ではないのだから。
生前に演奏されなかった初期の稿とか、改訂を繰り返す中で忘れられていた稿(第4番の1878年版第4楽章が代表格)にはかなりの率で飛びついた筆者だが、改訂版系列にはあまり関心がない。原典版全集が刊行される以前の古過ぎる録音も音質的に苦手なので、語りだすと止まらなくなるマニアックなお話もここまでとしておく。
<2022年6月掲載>
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