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心に残るこの1枚・第5回
エルンスト・エーリッヒ・シュテンダー編曲・演奏 ブルックナー:交響曲第3番 -第3稿に基づくオルガン編曲- (2001年録音/Ornament) |
あるとき、行きつけのCD店に入ると、何やら聴いたことのあるオルガン曲が流れていた。私はオーケストラ曲が専門で、器楽や室内楽には疎い。何の曲だろう? どうして知ってるんだろう? と思いながら、好きな作曲家のコーナーを巡り歩いていたのだが、奇妙なことに、どこまで行っても知っている旋律が続くではないか。
さらに3分くらい経ってから、アッと気が付いた。
-なんだ、ブルックナーの(交響曲)7番じゃないか!
異稿版まで片っ端から揃えたブルックナー・マニアとしては恥ずかしい話であるけれど、いきなりオルガンの音で聴かされたから、つい「オルガン曲」と思い込んでしまった。早速、ブルックナーのコーナーを調べてみたら、あるある。エルンスト・エーリッヒ・シュテンダーという人が編曲、演奏したディスクであった。
この種のゲテモノ盤、嫌いではない。殊に、一曲につき既に何種もの演奏を揃えるほど惚れ込んだ作曲家の場合、たまにはこういうのも面白い。それに、ブルックナーという作曲家とオルガンという楽器には切っても切れない縁がある。なにしろ、生前は作曲家よりもオルガン奏者としてその名を轟かせていたのだ。そのくせ、オルガン曲をほとんど書かなかったから、我々には「ブルックナーのオルガン」に接する術がない。そこで、交響曲のオルガン版が登場することになった訳である。
オルガン編曲盤として最初に現れたのはトーマス・シュメックナーによる「4番」で、これはなかなか面白かったが、続くライオネル・ロッグによる「8番」は感心しなかった。編曲の腕というより、ブルックナー後期の作品は、初期のそれほど「オルガン風のオーケストレーション」にはなっておらず、企画そのものに無理があったのである。
「7番」も作風としては後期のスタイルに属し、あまり期待していなかったのだけれど、いざ買ってみると、シュメックナーの「4番」に匹敵する仕上がりであった。
その後、シュテンダーによる第2弾として「3番」のオルガン版が出た。
-オッ、これは面白そうだ!
店頭で見つけたときにはおおいに期待したのたが……いざ聴いてみると冒頭から首を傾げる結果となった。なにしろ、トランペットで始まる冒頭主題がほとんど聞き取れないのである。思わず途中で止め、初めから聴き直してみた。
冒頭主題が鳴っていない訳ではない。しかし、音がスタッカート状のぶつ切りになっているため表に出て来ないのだ。なんでこんな編曲にしたのだろうかと訝って、ハタと気が付いた。弦楽器の導入部で手が一つ塞がり、同じく弦楽器の応答楽句で手がもう一つ塞がってしまうから(足鍵盤は専ら低音部だろうし)、トランペットの旋律を弾こうにも手が足りない……
オルガンは一人で演奏するものであることを、というよりも、手は二つしかないことをすっかり忘れていた。
例えば、シュメックナーによる「4番」の終楽章コーダでは、ホルンの3連符-3連符などは省略されている。これはオーケストラによる演奏でも表に出ないよう抑えられているケースがあって、省略してもほとんど気にならないのだが、「3番」の冒頭では削れるパートがない。
冒頭に限らず、「3番」のオルガン編曲は演奏技術上の無理があるようだ。そういえばこの作品、初めはオーケストラから「演奏不可能」と突き返されて、ようやっと漕ぎ着けた初演(第2稿による)では奏者が真面目にやってくれず散々の結果となり、今日知られる通りいくつもの異なる版を生み出した経緯を持つ。歴史は繰り返す - などと言ったら、泉下のブルックナー先生に「誰がオルガンでやれと言った!?」と怒られるかもしれないけれど……。
思わず、「オルガンなんて、音栓は山ほどあるのだから、二人で弾けるように鍵盤をふた組つけたら」などと、とんでもないことを夢想してしまった。
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