*Kai-chanの鉄道旅情写真館・異次元のページ* |
心に残るこの1枚・第6回
ヘルベルト・ケーゲル指揮 ウェーベルン作品集 (1977年録音/Dシャルプラッテン) |
写真が好きなせいか、絵画には関心がない。これの「両刀遣い」は少ないのではないかと思う。いわゆる「抽象画」を見るとある種の苛立ちすら覚えるのだが、絵の好きな人に言わせると、あれは感覚的に見るもので「コレ、なんとなくいい感じ」という次元なのだという。
なるほど、と思った。
数年前から、ようやく現代曲を「楽しむ」ようになっている。それが、まさに「コレ、なんとなくいい感じ」なのである。だから、好き嫌いは両極端。駄目な作品はいくら聴いてもまったく耳に入ってこない感じがする。有名どころではシェーンベルク、それから武満徹。好きな方なら(嫌いなのと時代を揃えて)ウェーベルン、松村禎三が挙げられるけれど、なにしろ感覚的な世界だから、何が嫌い、どこが好き、と説明するのが非常に難しい。
そもそも、現代曲とは何ぞや? という定義から始める必要があるかと思う。シェーンベルクやウェーベルンは19世紀生まれだが、ほぼ同時代のシベリウスやニールセンを現代曲と思っている人はいないだろう。世間にも定義の仕方は色々あって、ここでは「調性音楽でないもの」というくらいの意味で使っている。
(このベージをどういう人が読んでいるのか分からないので一応記しておくが、芸術音楽 - いわゆる「クラシック」でないジャンルはほとんど全部「調性音楽」である。ただ、芸術の世界から消えつつある電子音楽 -これにも注釈が必要か。電子楽器で奏でるものイコール電子音楽ではない。分からない人は広辞苑でも引いて下さい- や具体音楽が娯楽音楽の亜種として生き延びているという話を新聞で読んだことがある)
初めて買った「現代曲」のCDは、黛俊郎の「涅槃交響曲」だった。当時、CD店に「現代曲」専門の棚があることすら知らなかったので、新譜コーナーで見つけたものをひょいと買ったらこれが大失敗。再生した途端にザーッというノイズが鳴りだし、あれ? 具体音楽なんかじゃない筈なのに、と訝ったら、ケースの裏面に小さな小さな小さな字で「この音源はモノラル録音を技術的にステレオ化したものです。この音源は1959年の録音です。お聴き苦しい箇所がありますが御了承下さい」だと。
あまり聞かない指揮者だなあ、でも現代曲専門のヒトだろう、なんて思い込んだのも失敗のもと。何事においても経験不足は命取りである。
録音状態はひどかったが、曲は面白かった。後に岩城宏之指揮のまともな録音を買い直し、現代曲の中では愛聴盤の地位を占めている。
その後、いろんな作曲家の現代作品を聴いてみて、結果的にはやっぱり「調性音楽ではなくても独自の調性感をもったもの」に惹かれる傾向が強く、その意味で十二音技法を取る作曲家はリスクが大きいので、現在のところ、このウェーベルン作品集が唯一「十二音の愛聴盤」となっている。
今度は、十二音技法ってなんだ? ということも書いておかねばなるまい。
筆者は専門的な音楽知識を持ってる訳ではないので、あまり細部を突っ込み過ぎると墓穴を掘る結果になるけれど、まあやってみるほかにない。
以前『絶対音感』というノンフィクションの本が話題になり、分かりやすくするため、と称して「小鳥の声も救急車の音も『ドレミ』で聞こえる人がいる」なんていう文句が新聞広告に出ていたが、これじゃ誤解を与えるだけでかえって分かりにくい。「ドレミファソラシド」には「固定ド」と「移動ド」の2種類があって、混同しないように固定の方は「ハニホヘトイロハ/CDEFGABC」と書くのが一般的。固定というのは読んで字のごとく、イ(A)=440ヘルツ。移動はどんな高さから「ド」が始まってもよろしい。で、小鳥の歌が『ドレミ』で聞こえるのは単なる「音感」で、絶対音感のある人は『ハニホ』で聴く。
単なる音感の方は「相対音感」といってよいかもしれない。(後記。専門用語では実際に『相対音感』というらしい)
ハの音からドが始まればそれがハ長調。一部を半音動かして「短音階」にすればハ短調。このシステムを総称して調性という。この「調性」を無視してしまえば1オクターブに12の音(ドレミファソラシだと7つでしょ)があり、この12の音を全部必ず使って旋律を作るのが十二音技法である。
言葉で説明すればどうということはない。しかし「ドーーシーラーソーファミレードドー」とやっただけでなかなか魅力的な旋律(ブルックナーの交響曲第8番、第3楽章の最後)が出来上がるが、抜けている半音を全部ここに加えたら音楽に聞こえない。
それをやっちゃったのが十二音技法なのである。
ウェーベルンのCDを初めてプレーヤーにかけたときのこと。
未知の曲を初めて聴くときは、他のことを考えながらでもボーッと聞き流すのがよい。それでも心に染みてくるならば間違いなく好きな曲になる。
ところが、曲の中から救急車のサイレンみたいな音が浮かんできた。え? と思って耳をそばだてたら、その音は段々大きくなって、音源が窓の外、少し離れた道路にあることが判明し、吹き出してしまった。
近寄ってくる音は高く、遠ざかる音は低く聞こえる。移動する音源は常に位相が変化するから、調性音楽に救急車のサイレンが「シンクロ」することは絶対にあり得ない。
-うむ、無調って、そうなんだ!
理論ではなく、実感として十二音を「理解」した、それは奇妙な音楽的感動であった。
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