-撮影ウラばなし- |
このページに入るためには、説明も何もないのに「なんでこの写真だけクリッカブルなんやろ?」 という疑問を持つ必要がある訳だが、なぜそんな構成にしたかというと、写真にある程度感動など してしまった人にとっては興ざめになるからである。最初は「最後のページ下部にでも付けようか」 と考え、いやいやせっかくノー・コピー(撮影データ以外に解説なし)でやってきたのがブチコワシ になる、と考え直し、しかし長時間露光撮影などというものには苦労話がつきもので、撮影者として は喋りたくってウズウズしている。で、これらを一息に解決しようとして思い付いたのが、この「隠 しページ」の手法なのであった。 |
貨車区)に詳しい方、さらに、えっ?と首を傾げた後、アッと気がついてニヤリとしたのは相当詳し い方であろう。そう、紀勢本線の客車列車は1984年2月に旧型から12系に置き換えられ、さらに 1986年11月には電車化されて消え去ったのである。1987年11月の新宮駅に旧型客車がいるのは 可怪しいのではないか? 廃車留置にしては窓の日除けが閉じられていないし、第一ピカピカ過ぎ るじゃないか。 種明かしがこの写真。 |
へ向かった臨時列車「マイテ勝浦」号なのである。新宮留置中のところ、展望車マイテ49をわざと 構図から外して撮ったところ、あのような絵が生まれた。 「ついで」でもなんでもない。ある事情で幼少時から紀勢本線に縁が深く、鉄道の記憶がキハ81 の「くろしお」とDF50形ディーゼル機関車で始まっている筆者にとって、「紀勢本線に旧型客車が 復活入線する」のが一大事であり、もともと紀勢本線に縁のないマイテなんぞどうでもよかった。 とはいうものの、帰りは「マイテ勝浦」号に乗って喜んでいたりする。筆者15歳のお話。行きは新 宮夜行を利用、写真は夜というより未明の新宮駅である。それにしても、月曜日からはいつも通 り学校生活が始まる訳で、やっぱり若かった(笑)。今となっては、月曜日を休みにしたところで、 土曜の晩の座席夜行に乗ろうなんて、とんでもない、そんなシンドイこと……。 マイテを無視して旧客を撮りまくる筆者を、同行の友人(高校で同級の鉄道仲間)は「ヒネクレ 者」と呼んでいた。今となっては自分でも「ヒネクレてたよな~」と懐かしく(?)思い出す。 |
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