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阪本線(未成線・バス専用道路/2014年廃道)

JRバス阪本線 城戸 (2002. 9. 1)

 「駅」を名乗る路線バスの施設というのは
さほど珍しいものではなく、国鉄時代からの
慣習で特にJRバスには多いのだけれども、
それが未成線の駅予定地にあるとなれば、感
慨は格別のものとなる。

 照明看板のデザインが少々不自然に見え
るのは(赤い横線が変)「国鉄バス」を剥が
して「JRバス」を貼り付けたためか? な
お、読みは「じょうど」で、この辺りには生
子だの賀名生だの、予備知識がないとまず読
めない地名が多い。

 

 紀伊山地を貫いて五條(駅名は五条)と新宮を結ぼうという壮大な計画線「五新線」のごく一部、
詳細なルートや構造物の設計が確定し、工事線に格上げされた区間の名称が「阪本線」である。
 計画凍結後、国鉄バス専用道として活用されることになり、路盤の完成していた「城戸」までが
『国鉄バス阪本線』として営業を始めた。どうやら、当時「凍結」されたのは阪本以南らしく、工
事は城戸の先へと続けられたものの、バス専用道の終点は最後まで城戸のままだった。
 現在は奈良交通が運行している新宮までの長距離路線バスも、かつては熊野交通と国鉄バスを交
えた共同運行で、国鉄バスの路線名は"五新線"! ただし、最後期はその名に反して国鉄バスの担
当便は折立以南に限られていた。この系統は専用道ではなく一般道を走っていたので、専用道施設
を紹介するのに「五新線」の名称を使うことには妙に抵抗がある(誤用だと主張している訳ではな
い)。
 それにしても、城戸にせよ工事線の終点である阪本にせよ、平地というものがほとんどない山の
中で、仮に鉄道が開通していても、国鉄改革で第一次の転換対象となったのは確実である。計画自
体は戦前にまで遡るようなので、元来は木材等の貨物輸送手段として期待されていたのだろう。

 

 

第7丹生川橋梁 (2014. 9.22)

 あくまでも「鉄道」の雰囲気を求めるとすれば、α-7
購入後ついつい多用してしまう多重露光という選択肢が
やはり有効になる。
 一般道経由のバスからこの風景を一目見て以来、いつ
かこういう撮影をしてやるぞ、と意気込んでいたのに、
結局専用道閉鎖のニュースを聞くまで腰が上がらなかっ
た。それも「余命」8日、日曜と祝日に挟まれた平日(土
休日は早朝の1往復のみ!)という条件だったので「専
用道大日川」から帰りのバスに乗ろうとしたら超満員!
それでも、辺りをブラブラして一般道経由のバスを待つ
という選択をしなかったのは、件の満員バスが五条駅で
117系電車による高田行に接続していたため(笑)。

 

上に出てくる「α-7」はミノルタのフィルムカメラです(齢)。

 

 

 JRバスが運営していた頃は、行き違い便を待つために駅予定地(?)でしばし停車したり、トン
ネル進入時には必ず警笛を鳴らしたりと、「こりゃ無軌条気動車だぞ」と思わせる独特の雰囲気を
漂わせていたけれど、奈良交通に移管されてからは、そうした鉄道の匂いがする運転方法はやめて
しまったようだ。
 一般道の改良が進み専用道の意味が薄れてきたところへ、トンネル坑口付近に大規模修繕の必要
が生じたとかで、2014年にとうとう放棄されてしまった。

 

 

奈良交通バス 専用道大日川 (2014. 9.22)
 通常、このような細い道路に立体交差の人道橋(古レールらしい)を設けることは
ないので、鉄道がらみのものとは分かるのだけれど、路面を構図に入れてしまうと廃
線跡にしか見えなくなるのが被写体としては難しいところ。
 調べてみると、ここに駅を設ける予定はなかったようだ。
 「思い出のシーン」にこだわらず2002年に撮った「宗川橋梁(こちらは純然たる未成
線)」の写真を載せようかとも考えたが、これは未成線や廃線跡関連のサイトによく
登場しているようなので……

 

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