恐怖のドラえもん

 幼い日、とあるリゾート地の海岸での出来事である。
 朝食の後、私は母親と共に岩場で遊んでいた。どれくらい時間が過ぎた頃だったか、母親が辺りを見まわして不思議そうに呟いた。
「おかしいな。なんで今日はこんなに人が少ないんやろ」
 なるほど、日曜日の朝だというのに、私達のほかは親子連れが一組いるばかりであった。昨日の朝はもっと賑やかだったのに・・・。
 やがて、海岸に建つリゾート・マンションのベランダから子供の声が降ってきた。
「なーあ、ドラえもん見いひんの?(註:関西弁で "見ないのか?" の意)」
 近くにいた子供が答えていわく、
「あっ、忘れてた!」
 その子は親をせきたてて海から上がり、マンションの方へ急ぎ足で登って行った。私の母は「なるほど、ドラえもんやってる時間やから誰もおらんのか」と感心していたが、幼い私には夏の鮮やかな海岸風景が急に色あせて見えてきた。当時「タイムボカン・シリーズ」を好んで見ていたけれど、「ドラえもん」を面白いと思ったことがない。小さいときからヒネクレ者の素質があった私は「みんなが見ているから話を合わせるため」にテレビ番組を見るのが厭で、従って「ドラえもん」が大嫌いであった。
 それからおよそニ十年が過ぎたある日・・・
 私は青森駅で唖然としていた。既に鉄道雑誌の購読をやめていたため、快速「海峡」が「ドラえもん列車」になっていることを全く知らなかったのである。何が嫌いといって、あの手のペインティング車両ほど嫌いなものはない。運転は始まったばかりらしく、車内でアンケートを取っていたから、当然のように酷評しておいたが、やがて時刻表に「好評のため運転期間延長」の記載が現れ、先日起きた貨物列車脱線事故のニュース映像を見れば、いまだ止めていないどころか、機関車にまでステッカーがべたべた貼ってある。かつて、ある人(某大学鉄研時代の先輩)に憤懣を漏らしたこどがあるけれど、「鉄道ファンと一般人では価値観が違うから」という言いまわしで片付けられてしまった。
(写真は "よき日の" 快速「海峡」 1992. 9. 3 函館本線 函館)
 しかし、本当にそういう問題なのだろうか? 別に趣味の対象でないそこいらの工事現場の防音壁にだって、毒々しい色彩でアニメのキャラクターなど描いてあれば、私はやっぱり顔をしかめる。快速「海峡」の利用客は親子連ればかりでない筈だ。いい齢をした大人があれを見て喜ぶ心境はどうにも理解できない。幼い日へのノスタルジーという側面を考慮しても、である。世間では鉄道趣味というと児戯に類したものと評する風潮があるくせに、子供の漫画で喜ぶのはいったいどういうことなのだろう?
 最近、地元を走る大手私鉄の電車にまで(アニメ・キャラクターではないものの)妙てけれんなペインティング車両が現れた。時刻表によれば、四国にはアンパンマン列車が走りだしたらしい。
 文学にせよ音楽にせよ「芸術には興味があるが娯楽には関心がない」私が偏屈なのか、日本人一般の精神年齢が低いのか、敵は手強いので結論は保留しておくことにする。
 おそらく鉄道ファンであろうア・ナ・タ、「ドラえもん列車」はお好き?
(後記。2010年代以降、北海道の鉄道が趣味の対象とはなりにくくなってきた。情報収集さえしておらず現状はよく知らない)
 

 

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