京福事故に思うこと

 2000年12月17日、京福電鉄越前本線志比堺−東古市間において、上下電車の正面衝突事故が発生した。原因は上り電車(永平寺線永平寺発東古市行・1両、250型251号)のブレーキが機械構造部の破損によって利かなくなり、終点東古市駅を通過して越前本線に進入したためであった。 (以上後記)

 ファンとして、鉄道事故のニュースは厭なものである。事故が起こる度に、筆者はいつもやり場のない怒りを覚える。その対象は鉄道会社でも、(原因が人為ミスの場合)その会社の鉄道マンでもなく、声高に的外れな指摘を繰り返すマスコミである。新聞記事などひどいものだ。
 事故翌日の読売新聞(朝刊)には、JR西日本のコメントとして「戦前の電車を使うなど信じられない」という記事が出ていた。正式なコメントではないのでどこから出た発言かは明記されていないが、おそらく電話取材等で新聞社側が誘導尋問的にそう受け取れる文言を「引き出した」ものと推測される。そうでなければ、JR西日本の担当社員が(動態保存的なものとはいえ)自社路線を戦前製の電車(小野田線本山支線のクモハ42形・
2000年当時)が毎日走っているのを知らないかったことになる。いずれにせよ褒められた話ではない。
 同じく読売記事の「信楽事故の教訓生きず」という見出しも可怪しい。共通点は正面衝突という「結果」のみ。事故に至るプロセスには何ら共通点がないばかりか、今回の事故は信楽でやたらと強調された「列車無線(信楽車とJR車で周波数が違っていた)」の非力ぶりを証明さえしているのである。死傷者の数はずっと少なかったが、事故原因は今回の方がはるかに深刻だ。本来、ブレーキの故障というのは「緩まなくなる」ものと相場が決まっている。近鉄大阪線(単線時代)東垣内の正面衝突事故、関東鉄道取手の暴走事故など、過去に近代車両のブレーキが「利かなかった」のは概ね「緩まなくなった」ブレーキ故障のずさんな対処によるものである(ほかに踏切事故でブレーキ管が破損した富士急行の例がある)。ところが、今回はどうもそうではないらしい。当該車両の運転士が亡くなっていることもあって事故当時の状況解明には時間がかかりそうだが、どうやら直通予備ブレーキも働かなかったようである。これでは、例によって新聞が書きたてる「ATS(京福は整備途中だった由)」があってもまったく無意味なのである。
(写真は雪の志比堺駅を後にする事故車251号 1999.1.8)
 事故原因の究明は専門家の調査結果を待つよりほかに手がないけれど、上に記してきたことすら認識していないマスコミに、感情的な「老朽車撲滅キャンペーン」を張られるのが筆者には一番恐ろしい。不謹慎な言い方になるが、今度の事故で何よりショックだったのは、筆者の好きな250形が事故に遭い、しかも事故原因が同車にあったらしいことである。事故車251号のほかに、もう1両252号があるけれど、これを機に運用から外れることは間違いなかろう。輸送というサービスの質と安全を維持するには、すべてを絶えず変えていかねばならない。しかし、ずっと変わらぬ鉄道の魅力は捨てがたい。ローカル私鉄ファンが常に向き合わねばならぬ矛盾がここにある。

 

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