特急「白鳥」が消えた。
今どき、大阪と青森の間を結ぶ昼行列車の需要などある筈もないので、仕方がないといえばそれまでだが、やっぱり寂しい。
学生の頃、仲間内で「白鳥イッキ」という言葉があった。特急「白鳥」から青森で夜行急行「はまなす」に乗り継ぐのが、大阪から北海道へ最も安く速く行ける手段だったものだ。とはいえ、特に冬場の下り列車は新潟辺りで陽が暮れてしまい、後は闇の中を淡々と6時間近く走ることになって、いかに列車の旅が好きでもこれは苦行である。大阪発の時間帯が手頃なので、むしろ"新潟雷鳥"として便利であり、蒲原鉄道に通っていた時期にはよくお世話になったが、学生時代には毎年のように北海道へ通っていた筆者も、「白鳥イッキ」は帰り(上り)で一度やったことがあるのみ。往路は「きたぐに」で出発して新潟から鈍行を乗り継いだり、上越線の「ムーンライト(今のムーンライトえちご)」に乗ったりしたものの、帰りはさすがにしんどいので「北斗星」のソロや「トワイライトEXP」のシングルツイン(いずれも上り列車は比較的容易に切符が手に入った)を奮発していた。
(写真はJR東日本受持ちだった頃の「白鳥」 羽越本線 本楯−南鳥海 1992.12.7)
一度、我ながらよく考えたと思う絶妙の乗継で北海道へ行ったことがある。最寄りJR駅の天王寺から関西本線を東へ向かい、奈良で急行「かすが」に乗ると、名古屋で乗り継いだ「ひかり」が東京へ着くのは、夜行急行「八甲田」の自由席乗車位置へ並ぶ手頃な時刻となったのである。当時「北海道ワイド周遊券」の往き経路には関西本線が含まれており、急行には料金不要で乗れたから、名古屋〜東京間の新幹線特急券だけ買えばよかった。帰りは「津軽」〜「ひかり」〜「かすが」が可能だった時期があって(確か「津軽」の最晩年は「のぞみ」でないと無理だったと記憶している)、これも東北旅行の帰りに実行したことがある。実は帰りに「日本海2号」のA寝台を奮発する筈だったのが、途中で食費がピンチになってしまい、泣く泣くA寝台券を東京〜名古屋間の新幹線特急券に変更して差額で食いつないだもので、懐かしい思い出である。
そう、今から思えば「東北ワイド周遊券」や「北海道ワイド周遊券」は夢の切符だった。「周遊きっぷ」の登場は社会人になってからで、現実問題としてゾーン券を5日間フル使用するのも日程的になかなか難しいし、周遊券時代にはなかった民鉄線や第3セクター路線が含まれたり、かなり重宝してはいるのだけれど、学生は可哀想だ。かつて北海道ワイド周遊券の有効期間が20日間から14日間に縮んでブツブツ文句を言っていたのが、半分以下の5日間になったのだから。ゾーンまで往復する切符には乗車券の効力しかなく、急行にも料金が必要で(それに「八甲田」も「津軽」も今はない)、使用開始後の経路変更は不可。天候次第で帰りの経路を変えるという芸当も出来なくなってしまった。
青春18きっぷを駆使する方法は残されているが、東北地区が通勤電車に統一されてしまっては、鈍行乗継も苦行以外の何ものでもない。
今の学生たちは、どんな旅をしているのだろうか?
以前はよく「もう少し早く生まれていたら……」なんて悔やんだものだけれど、とんでもない。いい時代に学生生活を送ったものである。
(後記。さすがに「北海道ゾーン」には10日間用が登場したものの、東北方面ではワイド周遊券どころか「周遊きっぷ」さえほとんどなくなってしまった。かつては、決して鉄道マニアではない"周遊券族"も大勢いた筈で、現状では「若者の鉄道離れ」が起きない方が不思議である。2013年には代替商品のないまま「周遊きっぷ」が消滅。どうやら「春休みや夏休みにだけ集中的に利用されると弊害が多いので、学生には乗って貰わなくてよろしい」ということのようだ)
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