人は「最果て」という言葉に惹かれるもので、東西南北、それぞれの先端に位置する駅には、必ずそのことをアピールする標柱が建っている。しかし、最果ての名にふさわしくしかるべき方向でレールが途切れるのは「最北端」の稚内のみ。後はすべて中間駅で、「最東端」の東根室や「最南端」の西大山に至っては駅舎もない無人駅である。中間駅であるからにはその両側に線路が伸びており、いきおい、最果ての駅より先に線路が飛び出すことになってしまう。東根室の数百メートル手前が「最東端の線路」となり、どうにもすっきりしない。
歴史を溯れば、1959年まで根室拓殖鉄道という簡易軌道(法規上は普通鉄道)が根室半島南岸沿いに歯舞という集落まで通じており、こちらはすっきりした形で最東端の記録となっている。トラックの荷台に木製の客室をくっつけた怪しげな車両が、15キロの道のりを1時間以上かけて走っていたらしい。
それでは、ちゃんとした(?)普通鉄道は現東根室付近が歴史の上でも最東端記録なのかというと、実のところこれがよく分からない。
(写真は「最東端」の駅 根室本線 東根室 1993.10.21 記念写真で失礼)
客を載せる列車の走った線路は今も昔も東根室付近が最も東に位置し、かつて根室からスイッチ・バックの形で根室港へ伸びていた貨物支線も現東根室より東へ飛び出すことはないのだけれど、どうも、名無しの貨物側線が一本、東へ向かって伸びていたらしいのである。正式書類にない側線なんぞどうでもよろしい、と片付けるのは簡単だが、そこに線路があったのは事実。やっぱり気になる。
この側線の存在は、根室拓殖鉄道を扱ったある書籍で知った。載せられた地形図に、正体不明の「ハタザオ(今の図式と違い私鉄も貨物側線もこれで示される)」が出ていたのである。不思議なことに、それは牧草地の中でぽつんと途切れており、まさに正体不明。よくよく見ると、線路の途切れたところは貼り合わせた地形図の継ぎ目(「根室南部」と「根室北部」)で、発行日に10年もの開きがあるため片方の地形図(根室北部)からは既に削除されているのだ。おかげで、どこまで伸びていたのかは分からない。手持ちの書籍を調べ直して「根室牧場」への専用線であることは判明したものの、それ以外は不明のまま。今の地形図「根室南部(かつて何度も一緒に現地を旅したシロモノ)」を見る限り、すべて牧草地と化して何の痕跡もなさそうである。
1067ミリ軌間として歴史上最東端の位置へ伸びていたこの貨物側線(いくら地図上で「分岐」しているように見えるからといって、時代からして省線貨車が直通していたとは限らず、根室構内で積み替えるナロー・ゲージの可能性もゼロではない)、その上をいったいどんな車両が走っていたのか、あれこれ想像してせいぜい楽しむことにしよう。 (地図は筆者作成。拓殖鉄道は掘割の根室港貨物線を乗り越え、謎の貨物側線とは平面交差していたらしい。)
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