たかが300m されど300m

 廃止後10年を経た同和鉱業片上鉄道の線路跡からは、着実に鉄道の匂いが薄れていた。
 数年前まで荒れた駅舎が放置されていた場所が更地になっていたり、橋脚だけ流用した自転車道のコンクリート橋が完成していたり、駅どころか集落が消えうせてゴミ処理施設が傲然と聳え立っていたり。周匝[すさい]の町では、かつて駅に降り立って周辺を歩いたことのある人でない限り、線路跡を見つけるのが難しいほどになっている。
 しかし、鉄道代替バスのテープ放送が「まもなく吉ヶ原」と告げる辺りで、様相が一変する(後記。代替バスは廃止。和気と周匝の間だけ赤磐市がワゴン車を走らせている。それも公式サイトによれば"当分の間")。きちんと手入れされた線路が現れ、真新しい研修庫からは、塗装も艶やかなキハ702号の丸い車体が顔を出している。そして、化粧直しの結果廃線時よりもきれいになった吉ヶ原駅舎がバスの正面に姿を現す。
 5月6日(2001年) − 片上鉄道保存会による構内運転の日である。改札口に面した1番ホームでは、キハ303とキハ312の2両がエンジンを回していた。
 「発車」を待つ人影、アイドリングの音、排気の匂い・・・
 私は涙をこぼしそうになってしまった。
 5年前の1996年、駅構内は雑草に覆われており、防水シートに包まった気動車が埋もれていた。貨車も何両か置かれていたが、搬入時にかけられていた防水シートは風化してぼろぼろになり、雨ざらしの状態であった。
 今、その貨車は塗装も黒々と鉱石積込装置のレプリカ下に展示されている。運のいい1両は客車と連結され、往時の混合列車を再現して走る。柵原方の踏切跡から構内を見れば、場内信号機まできちんと点灯している。まさに、駅は甦ったのである。
 展示運転は月に1度(今年5月は連休に合わせ5日と6日に運転)、乗車に必要な200円を窓口で支払うと、渡されるのは往時の記入式補充券を模した「片上鉄道保存会一日会員証」である。
 列車は吉ヶ原駅1番線を後に柵原方へ向け発車、分岐器を越えて本線に出ると、最初の踏切跡手前付近まで走る。そこから引き返して吉ヶ原駅2番線に入り、もう一度往復して1番線に到着、それで1本の列車が運転終了となる。
(写真は「思い出のシーン」ではありません 吉ヶ原付近 2001. 5. 6)
 運転区間は300m×4、所要時間は約7分。
(後記。展示運転方法については日によって多少の変動がある模様。2003年6月訪問時は2番線に入らなかった)
 あっけないといえばあっけない。事実「たったこれだけしか走らんのか」と呆れて帰っていく人もいるらしい。乗車料金ならぬ一日会費200円を高いと感じるか安いと感じるか、それは当人が鉄道愛好家であるか否かはもとより、往時の片上鉄道を知っているか否か、国内「鉄道保存」の状況を多少なりとも把握しているか否かに大きく左右されるだろう。2度訪問したところで廃止が決まってしまい、最後期に慌ただしく通い詰めた私など「往時を知っている」うちには入らないだろうが、草ぼうぼうの駅構内と防水シートでぐるぐる巻にされたミイラ状態の気動車を見ているだけに、感動はひとしおであった。
 今月(2001年6月)で廃線からちょうど10年、構内運転の開始から3年、保存会の掲げる「月に一度、汽車の出る駅」が末長く生き続けることを願ってやまない。
(後記。2004年3月になって、保存会関係者の方からたいへん丁寧なメールを頂きました。所轄官庁との協議にもかなり苦労があったようです。何しろ前例のないことで、微妙な問題も含まれているようなので、一部文章の削除を行いました。なお、法的には「遊具扱い」ということになっているそうです)

さらに後記。展示運転線路の山側で道路工事が行われたため耕作地は消滅、つまり写真は「思い出のシーン」になってしまいました。黄福柵原という"新駅"が設けられ、走行距離が少し長くなったりして健闘していましたが。着実に進む車両の老朽化に加え武漢ウィルス(コロナ)禍が相当の打撃となった模様で、保存会は活動を停止、公式サイトも2024年に閉鎖されてしまいました。吉ヶ原駅はこれからどうなってしまうのか気がかりです。

 

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