また京福で……
またか − 少しでも鉄道に関心のある人なら、そうでなくとも記憶力のよい人ならそう感じたに違いない。同じ鉄道会社が、半年間に2度も正面衝突事故を起こしたのだから。ただ、当ページの読者には言わずもがなのことだとは思うけれど、同じ事故を2度繰り返した訳ではないことを指摘しておかねばなるまい。機械構造部が破損してブレーキがまったく利かなくなるという近年では異例の事故原因だった前回と違い、今度は古くから何度となく繰り返されてきた単純ミスである。馬鹿馬鹿しいから新聞記事を引用するのはやめるが、前回の事故をいくら教訓にしたって今度の事故は防げない。全線の運行停止というお役所の措置も、果たして適切なのかどうか、おおいに疑問が残る。
とはいうものの「また京福電鉄で」という事実は、やはり重い。
(写真はワンマン化改造前の3000形。左奥に今回の事故車2201号が見える。福井口 1990.
5.19)
人間は必ずミスをする。それが事故につながらないようにするにはどうすればよいのか……鉄道の長い歴史に刻まれた数々の事故から、さまざまなシステムが考案されてきた。まず、一人がミスを冒しても、第2、第3の人間がそれらをバック・アップする方法が取られた。しかし、ミスというのは連鎖し易い。いくら複数の人間が関与しても、ある一定の確立で事故の芽は生まれてくる。そこで、機械が人間のバック・アップをすることになって、全体的に鉄道の安全性は大幅に向上したけれども、機械から故障をなくすことは不可能だし、機械の保守や取り扱いでもミスは起こり得る。あの信楽高原鉄道における事故では、保守上のミスから信号システムが故障を起こし、故障に対する杜撰な対応が事故の原因となった。(JR西日本は信号システム故障の原因を作ったが、信号故障が事故の原因ではないので、JR西日本に事故の責任はない。信号故障がなければ事故は起きなかったのだからJR西日本が悪いという理屈は、列車に乗らなかったら事故に遭わなかったのだから乗った方が悪いというのとなんら変わらないことに注意)
以上は一般論で、今回は事故現場にまったくバック・アップのシステムが存在しなかった。駅員はおらず、車掌もおらず、自動列車停止装置(ATS)もない。運転士の注意力がすべてという、考えてみればお粗末な状態であった。ここから先は、存廃論議やカネの問題がからんでややこしくなるので、どうすべきだなどという主張は差し控える。今回はやや歯切れが悪くなってしまった。
ともかく、このままバス転換されてしまうような事態だけは回避して貰いたいものである。
(後記。永平寺線を除き第三セクターとして存続したのはとりあえず喜ばしいことである。趣味的には、京福電鉄時代の塗装が好きだったので、これが見られなくなったのは残念であるけれど。)
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