再訪の記

 同じ土地をしばらくぶりに再訪すると、時間の経過を実感として知らされる。町の様子が大きく変わっていればそれは当然として、逆にまったく変わっていなかった場合、今度は自分の変化 − 年齢や社会的地位からちょっとした境遇の差異まで − に意識が向けられる。
 写真は釧網本線細岡付近で1994年2月に撮影したものだが、2001年7月に再訪してみると、撮影地の丘へ続く道が藪に覆われて通行不能になっていた。季節の問題ではなく、細岡駅前にあった酪農家が廃業してしまった関係で、牧草地へ通ずる私道が廃道となったものらしい。(遠望する限り、牧草地そのものはまだ荒れていないので、藪を強行突破すれば到達可能かもしれないが)
 一方、9年ぶりに訪れた霧多布の町は変わっていなかった。しかし、バスの終点が町外れに移転していたのにはおおいに驚いた。なにしろ、前回の記憶からすればもうターミナルに着く筈なのに、バスは目抜き通りをどこまでもずんずん進んでいき、ついには町を抜けて霧多布岬へ続く坂道を登り始めたのである。いったいどこへ行くのかと目を瞠っていると、だしぬけに保養施設みたいな建物が現れ、そこが終点であった。思い返せば、道内時刻表の標記がいつの間にか「霧多布」から「霧多布温泉」に変じており、穴を掘れば海水が出てくるであろうあんなところに温泉? と計画時に首を傾げたものである。
 そこは確かに終点であったが、もうバス・ターミナルとは呼べなかった。9年前、町なかにあったそれは掘建小屋のごとくではあったけれども、中にはコイン・ロッカーがあり、背もたれからスポンジのはみ出した長椅子があった。現在、保養施設「霧多布温泉ゆうゆ」そのものはバス会社と無関係で、待合室が併設されている訳でもない。ただ、隣に小さなログ・ハウスがぽつねんと建っており、これがバス会社の営業所。移転前と同様、レンタサイクルも扱ってはいるものの、扉を開けるとすぐカウンターが立ち塞がってやはり待合室はなく、無愛想なおばさんが居座るカウンターの奥は畳敷きになっていて、運転手らしいのがひとり寝転がっていた。冬はどうするんだ……と憤慨しかけたけれど、運行事情を知らずに路線バスを使う他所者観光客など、ことに冬ともなれば滅多にいないのだろう。
 9年前と同じく自転車を借りる。丘の中腹という場所柄、どうしても「往きはよいよい帰りは辛い」になってしまい、レンタサイクルの出発点にはあまりふさわしくない。
 なるべく帰りのことは考えないようにして、坂道を駆けくだって町なかに舞い戻り、かつてバス・ターミナルがあった位置を探してみたが、いくつも見覚えのある建物があるのに、肝心のところだけは記憶がすっぽ抜けていて分からなかった。
 霧多布大橋を越えれば、道道の内陸寄りには霧多布湿原が広がり、海には劍暮帰(けんぼき)島が横たわり、過去のさまざまな記憶が断片化して脳裏を駆け巡る。9年前、ペダルを漕ぐ私はなんだか随分と意気軒昂だったような気がする。
 今は……まあ、馬鹿馬鹿しいからくだらぬ人生論はやめておこう。

 

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