誤植にびっくり

 今回は文学のお話。
 旅先で古本屋に入るのは面白い。大都市に比べて商品の回転が遅いせいか、高い確率で掘出物にぶつかるものだ。掘出物といっても蒼然たる古書ではない。狙い目は絶版になった文庫である。
 筆者には十代の頃から、ある作家に惚れこむとその著書ばかり片っ端から読む傾向があって、蔵書の上位に位置する3人ばかりについては、未読の文庫を発見すれば即購入という状況になっている(うち一人……実は当サイトの内容と無縁ではない宮脇俊三……については単行本まで発見即購入を続けている)。
 釧路駅構内の古本屋で、北杜夫の「人工の星」(集英社文庫)をみつけた。
 『人工の星』は新潮文庫「星のない街路」にも収録された中編の作品名である。(ややこしいので書名を「」、作品名を『』で示す) それでも気になって手に取ってみると、それはSF的題材のものばかり集めた小説集であった。未知の作品はなかったのだけれど、エッセイとの併録が原因で「アレを再読しよう」と思ってもなかなかどの本に収録されているのか分からない(なにしろ60冊以上あるもので)短編が多く含まれており、安さも手伝って買い込んだ。エッセイと小説をまとめて一冊の本にする作家は珍しいが、この集英社版「人工の星」は純文学と中間小説の併録で、これも変わっている。
 列車待ちの時間や大衆食堂では軽い読み物の方が適当なので、旅を終えてから、唯一の純文学である表題作『人工の星』を読み返した。新潮版をずいぶんと繰り返し読み込んだ作品であり、活字の大きさが変わるとちょっと感じが違って面白い。
 そのうちに、部屋の中でひとり「わあっ!?」と妙てけれんな声を発してしまった。
 以下は「問題」箇所の抜粋。

 ……彼はそのとき、自分の些細な追憶を黙っていることができなくて、そのことを少女に話したものだ。
第三次世界大戦というのを知っているかい。君がまだ生まれてこないずっと前にあった戦争だ」
「存じておりますわ」
「戦争が終わる何日か前、私はまだ学生で、工場からぬけだして上高地というところに行った。アルプスのふところで、穂高という山の……」
「存じております」
「あまり周囲が静かなので、なにかこう、とても妙な気持ちになった。おまけにキャラメルの名を書いたベンチがあったよ」

 私の記憶では、ここは「第二次世界大戦」となっていた筈である。混乱したのは、この作品が未来社会を舞台にしているからで、慌てて新潮文庫「星のない街路」を引っ張り出し(純文学作品集は文庫本カバーがボロボロですぐ判別がつく)、『人工の星』の当該箇所を調べて「第二次世界大戦」となっていることを確かめ、ほっと安堵した。
 冷静になってみれば、「キャラメルの名を書いたベンチ」の部分は長編『白きたおやかな峰』にも同じ内容のこちらはもっと具体的な描写が使われており、「第三次」世界大戦の終戦間際では何かにつけ具合が悪いのである。
 集英社版「人工の星」巻頭のユーモア短編『第三惑星ホラ株式会社』には以下のようなクダリがある。

 にもかかわらず、私は次第にホラふきあつかいをうけ、心はあまり安らかでなかった。たとえばこの本(引用者注:『どくとるマンボウ航海記』のこと)のある書評に「著者はエジプトで十日間愛国者の尾行をうけ……」と書いてあり、私はギョッとしてすぐ本をとりだして調べると、ちゃんと十分間となっていた。

 もしたかしたら、「第三次世界大戦」というのは単なる誤植ではなく、著者と編集者の巧妙なイタズラだったのかもしれない。

後記。2011年11月、ついに「どくとるマンボウ怪人マブセ」北杜夫も帰らぬ人となった。合掌。

 

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