列車の逆行運転

「この駅から、列車の進む方向が変わりまして、×号車が先頭となります。通路側のペダルを踏みますと、座席が回転致します」
 特急「しらさぎ」が米原駅に着くと、必ずこのような内容の車内放送が流れる。一時は様々なタイプの改造車が入り交じり、「×号車と×号車は、背もたれを前方に引いて座席を回転させて下さい」などという補足があったりして車掌の苦労が偲ばれたものだが、今は統一されただろう。
 山陰本線内で下り「はまかぜ」に乗ると、ガラガラのことが多いため大半の座席が後ろ向きのままだったりして、なんとなく哀れを催す。「はまかぜ」の大阪発車時や「しらさぎ」の名古屋発車時などは座席が前向きにセットされているが、数十分で進行方向の変わる名古屋発の「ひだ」、秋田発の「こまち」などは、始めから逆向きにセットされている。今は廃止されてしまったけれど、西大寺で進行方向の変わった近鉄の難波−京都間特急では4人向かい合わせの形にセットしてあった。
(画像は国鉄塗装10連の「しらさぎ」 北陸本線 南今庄 2001. 2.18)
 びっくりしたのは、これも今はなき特急「たざわ」である。
 改軌(ミニ新幹線化)のため、現在は否応なく秋田で列車が分断されているが、かつては青森発盛岡行という「たざわ」があった。JR全線完乗など目指していた折り、筆者は初めて乗る田沢湖線に照準を合わせ、弘前駅で乗り込んだときから「回転後にベストの位置となるよう」席を選んだ。秋田が近づくと座席は埋まり、秋田では降りる以上に乗ってきたから、その判断は正しかったかに思われた。
 ところがである。
 まもなく大曲 − という放送が入り、さて座席を回転させようかと腰を浮かしていたところ、周囲の乗客は一向に動こうとしない。車内放送でも「座席の回転」にまったく触れようとしないではないか! お蔭で初めての田沢湖線は、窓の支柱を気にしながら後ろ向きに景色を眺める羽目になった。
 こういうのも「カルチャー・ショック」と呼ぶのであろうか?
 その後、角館から盛岡まで乗った時には(満席でデッキに立たされたが)座席が前を向いており、現在の「こまち」と同様、秋田始発の「たざわ」は逆向きセットだったと思われる。
 ちなみに、大曲−盛岡には1時間強を要し(新幹線とは名ばかりの現在も大差なし)、「はまかぜ」の姫路−大阪と概ね同じで、「しらさぎ」の米原−名古屋をやや上回る。末端部の逆行としては、博多行「にちりん」系列、網走行の「オホーツク」等が挙げられるが、どういう訳か「オホーツク」は札幌行(これは遠軽でみんな座席を回す)にばかり何度も乗っており、「にちりん」系列はすべて小倉で降りてしまっているので、実態不明である。新車になってからの急行「陸中」は盛岡行にも乗ったことがある筈だが、花巻でどうなったか、なぜか記憶がない。
 岡山発徳島行の「うずしお」が、いつの間にか「南風」との併結となって宇多津から逆行、高松で「元に戻る」形に変わっているのは興味深い。瀬戸大橋の開通まで逆行特急がなかった四国のことで、座席を回したがる乗客とそんな「意識」のない乗客がいて混乱したのかもしれない。
 土地柄というより、どうも逆行特急(または転換座席装備の急行)の歴史が浅いか深いかが関係しているようである。

 

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