冒頭から鉄道クイズ風になるが、東京から富山あるいは金沢まで「在来線だけを使って」行く場合の最速ルートをご存知だろうか。
すぐに解答を出せる人は相当なものだと思うけれど、今や東京を起点にタコ足のごとく新幹線が伸びており、そこから「逆算」していくとお分かりになる筈である。在来線特急の走る唯一のルートは中央本線だから、あとは時刻表巻頭地図を眺めていれば、やがて大糸線が目に入るだろう。
2002年2月時点のダイヤで見ると、
新宿10:00→スーパーあずさ5号→13:46南小谷14:01→普通437D→14:56糸魚川15:10→北越6号→16:00富山(16:38金沢)
もちろん北越急行や長岡経由には遠く及ばないものの、なんと、上越新幹線開通前の直通特急「はくたか」と同等、横軽(この言葉を知らない鉄道ファンも現れるのだろうな)を越える「白山」よりも所要時間が短いのだ。
以下は1982年8月時点の時刻。
上野8:19→はくたか1号→14:14富山(15:04金沢)
上野9:16→白山1号→15:24富山(16:11金沢)
21世紀に話を戻して、新宿発8:00の南小谷行「スーパーあずさ3号」では接続が悪いため所要時間がはね上がる。また、上りは金沢発9:58(富山10:33発)はくたか7号でスタート、スーパーあずさ8号16:36新宿着という乗継が成り立つ。
値段の方は、特急2本利用が響いて乗継割引のある北越急行経由より若干高くなるとはいえ、旅を楽しむにはどちらが適当か、考えてみる余地はあったと思う。
あったと思う − と過去形になっているのは、2002年3月のダイヤ改正で大糸線の列車が減便となり、下りルートでは乗継が不可能になってしまったからだ。筆者が実際にこのルートを乗車したとき、土曜日だったせいもあるが、大糸線の単行気動車は完全に座席が埋まっていた。また途中駅での乗降はほとんどなく、ほぼ全員が「スーパーあずさ」からの乗継であったのは間違いない(甲府→金沢とか松本→富山といった利用が多かったようだ)。
JR西日本はこの事実を把握していないのだろうか?
また機会があればこのルートを使ってみようと思っていた筆者は、偶然目に止まった大糸線の新ダイヤに唖然としてしまった。満席になり得る列車を削るなど、国鉄時代(最末期は除くとしても)には考えられなかったことである。列車設定の基準が、利用客の多寡から収益の大小に変わってしまったことを如実に示す例ではないか。
(写真は北小谷駅にて 2001. 3.17 現在は途中下車も困難)
今度の改正では、JR西日本の閑散線区で減便が目立つ。
五年ほど前になるが、津山から乗った姫新線は小型のワンマン気動車で、湯郷温泉方面からのバスが着く林野からは超満員になった。これを経験した人は二度と姫新線には乗らないだろう。筆者もそれ以来乗ったことがないし、乗る気もしない。これ以上乗客を減らすまいと努力するより、積極的にどんどん減らして廃止を目指す方が、先を見る目があるということなのかもしれないが。
紀勢本線でも利用客が減っているという話を聞いた。筆者は1980年代から少なくとも年に三回は南紀方面へ出掛けていたが、紀伊田辺から先が通勤電車になってからは御坊より先へも行ったことがない。同じような「汽車旅派」は10人や20人では済まないだろうし、海水浴に出掛けて特急から乗り換えたのが4つ扉の通勤電車では、翌年からクルマにするか行先を変えるか、いずれかになろう。車両が通勤型に変わらなかったら利用客は減らなかったなどと主張するつもりはないが、減り方は少なからず違ったような気がする。
そもそも、利用客が減ったら2扉オールクロスシートから4扉オールロングシートに変わるというのも、編成が1両少なくなったとはいえ変な話ではないか。
まあ、どうでもよろしい。南紀方面にはもう行かないから。こうして、行きたいところがどんどん減ってくるのは困ったものだ。
(後記。2004年春の改正でJR東日本管内の列車体系が変わり、時間帯は大幅に繰り上がったものの下りルートでも再び乗継が可能になってメデタシメデタシ……と喜んだのも束の間、北陸新幹線という名の破壊神がすべてを踏み潰してしまった)
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