リゾートしらかみ印象記

 初めて「リゾートしらかみ」に乗った(まだ1往復だった頃のこと)
 実は、東北旅行……というよりも五能線撮影行に出る前から、次回は「リゾートしらかみ」の話にしようと考えており、早手回しに決めておいたタイトルは、
 「リゾートしらかみ」の功罪(!)
 というものであった。ところが、いざ乗ってみたら、これが色々な面で実によく出来ていて、半分以上を批判的に進めていく予定が狂ってしまった。
 とりあえず、乗る前から何が気に入らなかったかといえば、ダイヤ設定の方法なのである。もともと、東能代10時台には弘前行の普通列車があり、これは大阪から「日本海3号」に乗ってきた場合の接続列車であった。だから、これが削られて全車指定席の快速列車になってしまったのが非常に不愉快だった(2002年当時のダイヤ)
 その思いは今も変わっていない。なにも「快速」である必要はなく、かつての「ノスタルジックビュートレイン」のように定期普通列車を兼ねたものでもよかったのではないか。それならば、現在のように岩館〜深浦間に列車の空白時間帯が生じたりはしない。
(写真は深浦から岩館へ回送中の列車 ウェスパ椿山付近 2002. 4.26)
 運転開始から5年目を迎えた「リゾートしらかみ」が、かつての「ノスタルジック〜」よりも高い人気を持続しているとすれば、やはり「各駅にチョコチョコ停まらない」ことがプラス要因のひとつなのだろうか? それならば、JR東日本の姿勢よりも「旅の在り方」が問われなければならず、相手が大き過ぎる。
 それにしても、ユニークな列車だと思う。なにしろ、途中下車の制度がない指定席券で、一旦下車して観光した後、同じ列車に乗ることが出来る。能代→鯵ヶ沢などという乗車券で乗ろうものなら、なんと営業キロ99.9kmで「下車前途無効」になるのだが、「100キロ未満の乗車券では下車観光後の再乗車は不可」とはどこにも書いてないし、そのような案内放送もなかった。規則上は例外ずくめである(車両が岩館−深浦を行ったり来たりする以上、降りるなと言われても困るのだが)。
 車両の出来栄えもなかなかのものだ。キハ48という一般型気動車の改造ながら、座席と窓割りはきちんと合っているし、窓の上下幅はJR東海の「ひだ」「南紀」を上回る。よく見ると残念ながら複層ガラスではなかったが、座席定員と冬季の乗車率を考えると、すぐ曇ってしまうかどうかは微妙なところである。
 筆者が乗った日はゴールデンウィーク中であったこともあるけれど、乗客の年齢層が広いことは何よりも印象的だった。五能線クラスのローカル線としては異例であり、この様子を見れば、やはり「各駅停車待望論」を振り回すのは少々気がひける。
 「リゾートしらかみ」人気に続けとばかりに、羽越本線に同様の「クルージング・トレイン」(きらきらうえつ)が登場、ポスターによると、大湊線にも走らせることになったらしい。羽越本線はともかく、大湊線は多客期になると輸送力が不足気味なので、観光列車の登場は楽しみである。本当は「普通の列車」がしかるべき輸送力と設備を持つのが理想なのだけれど、車両の横腹に穴を開けて「トロッコ列車」と称する方が、御神輿よろしくごてごて装飾をつけた「SL列車」の方が人気が出るという、利用客一般の姿勢にも原因があるので、こればかりはどうしようもない。
 愛読している純文学作品にこんな一節がある。
「なにしろ以前と変化していさえすれば人々は満足するのだった」
 もっとも、JR西日本では気勢本線に「きのくにシーサイド」を登場させたものの、運転区間がシーズンごとにコロコロと変わった挙句、2002年4月にはとうとう山陰本線西部に「転出」してしまった。何が悪かったのかは分からないが、沿線観光施設との協力体制、車両そのものの水準など、どれを取っても「リゾートしらかみ」に遠く及ばなかったのは間違いない。
 気に入らない点はあるものの、実際に乗った「リゾートしらかみ」があらゆる点で快適だったのは、ちょっと困った事実である。
(後記。「きのくにシーサイド」はその後、ほとんど持て余したようにタライ回しされ、2007年に引退。「リゾートしらかみ」は2往復になり、2006年には3往復に増えて、行ったり来たりの「蜃気楼ダイヤ」は止めてしまった。それなら1往復くらい各駅停車にしてほしい)

 

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