昨今、ちょっとした国鉄ブームである。北海道から九州まで、国鉄塗装を復活させた車両が走り回り、「懐かしの○○」と称する臨時列車も毎月のように設定されている。分割民営化は筆者が高校生の頃の出来事で、国鉄時代を知っているといえば知っているし、ろくに知らないという見方もできる。とはいえ、民営化された瞬間にすべてが変わってしまう世界でもないから、学生時代に沖縄と離島を除く日本全国でお世話になったのは、概ね「国鉄型」の車両であった。(写真は根室本線尺別にて 1991. 2.14 JR発足後も国鉄塗装は全国で見られた)
そのせいか、「復活もの」には興味が持てない。何かが違う。
北海道の特急型気動車なんて、復活した国鉄塗装は4両編成。かつて根室本線で撮影した「JR北海道初代特急塗装」10両編成による「おおぞら」の方がよっぽど国鉄らしかった。東日本ともなると、窓の上下幅を拡大した改造車を無理に塗り替え、先頭に「特急マーク」のない哀れな姿の編成まであるらしい。
といいながら、鉄道ジャーナル社の「リバイバル作品集・ドキュメント列車追跡」には手を出してしまった。これなら本物だから。
逆に、「本物」ならではの滑稽さがあるのも事実である。
『戦前から40年近く変わらない狭いシートピッチと、あまり改善の見られない座席構造に……』(電車急行「かいもん2号」"急行列車ジグザグ日本縦断"[1977]より)
嘘だろう。
本当に「現役」だった旧型客車に乗ったときはチビの中学生で気にならなかったが、大人になってから(体格的にチビであることに変わりはないが)大井川鉄道や津軽鉄道で旧型客車に乗ると、座席の狭いこと! 数値の上でも、少しずつ広くなってキハ65型気動車と12系客車がおそらく最大であったと思う。(民営化後は、JR東日本を除いて大都市圏は転換座席が一般的だし、ローカル用は座席数が少な過ぎて広い狭い以前の問題。)
かと思えば、同じ記事の中で、急行「ノサップ」のキハ24型気動車について、
『ローカル用気動車の改良形であるだけに座席を始め室内のつくりは急行型にくらべてそれほど遜色はない』
これも嘘だろう。あいにく北海道向けキハ24型には乗る機会がなかったが、少なくとも同系列の本州以南向けキハ23型の場合、初期の近郊型電車と同等の座席で、急行型よりずっと狭いのである。
もともと「鉄道ジャーナル」誌は新車に甘い傾向があって、民営化後はそれがさらに顕著となった。国鉄型からキハ100型軽気動車に変わった北上線の取材では、座席数の激減には触れもせず「キハ100のアコモデーションは高速バスに比肩するほどになった」と手放し。筆者の「鉄道熱」を相当に冷ましてくれたJR東日本の「都市でないところを走る都市型電車」701系登場時も、たいした批判記事もなくモニョモニョという感じで終わってしまった。
国鉄が同じことをやったら、どんな凄まじい批判記事が載ったかと思う。経営環境がどうのという話は利用客に関係のないことだし、もし利用客が不利益を被るならば、分割民営化は誤りであったというしかない。念のために記しておくが、赤字国鉄が民営化されて黒字に変わったのではない。国鉄の旅客輸送単年度収支が1984年度以降黒字に転換したから、累積債務を切り離して民営化することが出来た、というのが事実である。勘違いしている向きが非常に多い。
もっとも、国有鉄道という体制が維持されていたら、シャワーの付いた快適な個室寝台車も一般化せず、特急列車の座席も狭いままで、地方の合理化だけが進み、それでいてバブル崩壊後は再び赤字に転落して、JRの現状よりひどい有様になっていたかもしれない。
歴史の「if」……その答は誰にも分からない。分からないから、遠い過去となりつつある「国鉄の風景」は美しい。
『地元の人とはっきりわかる中年の男女が22人、顔見知り同士がグループをつくって、二重窓の暖かいボックスのあちこちで話に花を咲かせる』("オホーツク北上各駅停車"[1979]より)
乗客22人だと? JR西日本のキハ120型気動車単行だったら、座席定員には満たなくとも窮屈な座り方を厭がって何人か立ってるんじゃないか?
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