ある船旅の思い出

 ふと気付くと、窓の外の景色がゆっくりと後ずさりしている。いつ動き出したのかよくわからない。1500トンあまりのちいさなフェリーでも、出航の瞬間というのははっきりしないものだ。
 本州最北端、大間の街を歩いていたときから、体が流されそうな強い風が吹いていた。だから覚悟はしていたが、フェリーは防波堤から飛び出すと同時に、派手なピッチングを始めた。ぐっと船体が持ち上げられ、ややあって今度はスーッと沈む。沈み切ったところで波の飛沫があがる。座っていると気持ちが悪く、すぐ酔いそうなので、空いているのを幸いに鞄を枕に寝転がった。本州と北海道を結ぶ航路ではこの大間〜函館の便が最も短く、船室は全て二等の土間敷であった。
 妙なもので、寝ていると揺れが心地よい。何分かおきに窓の外を眺め、あとはずっとゴロゴロしていることにする。
 初めての渡道のとき、既に青函トンネルが開通していたから、筆者は連絡船を知らない。一度、船で北海道に渡ってみたくて、そのくせ4時間も船に揺られるのが嫌で、下北半島を列車とバスで北上し、その先端に位置する大間からフェリーに乗ったのである。学生生活も終わりが近づいた4回生の秋であった。(写真は大間港にて)
 天気は悪くなかったが、西風が強いらしく、左舷ばかりが絶えず波しぶきに洗われている。意外とローリングが少ないところをみると、船の左前方からの波が高いのだろうか。
 右舷の窓際に陣どり、時々むっくり起き上がっては汚れたガラス越しに遠ざかる下北半島、大間の街を眺める。やがて両舷の窓に水平線が広がる。津軽海峡にさしかかったのだ。
 青函トンネルのおかげで陸続きのような感覚になっているが、確かに北海道は海の向こうなのである。
 大間の港を出て1時間、はやくも前方に北海道が迫ってきた。海岸に賑やかな街が見える。もう函館か、あそこまでどうしてあと40分もかかるのだろうと不思議な気がした。すると、船は左に左にと向きを変え、やがて視界に見覚えのある山が現れた。
 函館山である。
 なるほど、とようやく地形が頭に浮かんだ。さっき前方に見えたのは湯の川温泉、函館港へ入るには函館山の西へ回り込んで行かなければならない。函館は、大間よりかなり西に位置している。
 函館山。本州から海を渡ってくると、その姿は印象的である。
 やがて函館湾に入り、揺れがおさまった。船室からデッキに出て、函館山を、そしてその左手に続く函館市街を眺めた。港にそびえる鉄のクレーンに「HAKODATE」の文字が見える。初めて北海道に来たときの、あの感慨が蘇るようであった。
 フェリーはゆっくりと函館に入港した。
 旅客のほとんどはバス乗り場に向かったが、バス代を倹約して江差線の七重浜駅まで歩くことにしていた。フェリー埠頭から七重浜駅までは歩いて20分ほどである。それに、列車なら「ワイド周遊券」が使える。
 いかにも港湾地帯らしいガランとした広い道路をしばらく歩くと、国道228号線に出た。国道の両側には商店が並び、一転して賑やかであった。
 重い鞄を抱えて知らない街を歩いていると、旅に出たことを体で感じる。私は不思議な気分になっていた。
 ここは確かに北海道、函館市である。振り返れば、もうすっかりお馴染みになった函館山がある。しかし、以前に何度も訪れた函館とは別の、未知の土地を歩いているような錯覚に捕らわれた。
 列車で旅をすると、町の玄関は駅になる。駅を出て町を歩き、駅に戻る。港から駅へ、それも七重浜という小さな駅へ向かって歩いたのは、新鮮な経験であった。
 七重浜駅から下校の高校生で混雑する普通列車に乗り、10分ほどで函館駅に着いた。ホームには大阪行の「日本海4号」が停まっていて、なにやら夢から醒めたような気がした。
 そこは既知の街・函館、事実上陸続きになった北海道の玄関であった。

後記。古き佳き時代の物語、になってまったなぁ。

 

HOME   最新号へ

バックナンバー保管庫へ戻る際はウィンドウを閉じて下さい