素人考え・玄人考え

 英語の形容詞「unique」は概ね褒め言葉として使われるようだ。これがカタカナ語の「ユニーク」となると話が逆になって、「それはユニークな意見ですね」というとちょっと小馬鹿にしたような響きになる。日本語というのは褒め言葉に乏しく、専ら「けなし言葉」として使われる語句はやたらとたくさんあるように思えてならない。
 「素人考え」というのもそのひとつだろう(カタカナ語の「アマチュアリズム」となると褒め言葉にもなるところが面白い)。一方、玄人に対するものとしては「専門風を吹かす」というのがあるけれど、ここではちょっとニュアンスが違うので、あえて「玄人考え」なる造語を使うことにした。
 何の話かというと、鉄道写真家が書く文章についてのことで、例えば、よく撮影地ガイドに出てくる「ほかにもいい場所があるので、ガイドに頼らず、自分の目で探してほしい」という台詞。その通り、ごもっとも。しかし、現実問題として、自力での撮影地探しは困難なのである。趣味で鉄道写真をやっている以上、"本職"を持っている訳で、撮影行にそう多くの時間を割く訳にはいかない。それに、出かけた以上はなるたけ効率よくいい写真をたくさん撮りたくなるのが人情である。撮影地を探す時間が惜しい。地形図の下調べを念入りにやって、列車内からも現地を確認し、「ヨシッ」とばかりに目指す地点へ行ってみたら、気づかなかった障害物があって……というのでは、何をしに行ったのか分からなくなる。
 ガイドに頼らず自力で……などというのは我々の目から見れば「良からぬ(?)玄人考え」なのである。
 もっとも、これには解決策がなくもない。ガイドにある場所であっても、作例として載っているのとはまったく違った焦点距離のレンズで、より「好みに合った」構図を得られることは多いし、その撮影地への行き帰りに、新天地を自力発見することもある。こうして、何度も通い詰める「お気に入り」の線区があると、そこではやがて「ガイドに頼らない撮影」が出来るようになるのだが、敵もサルモノで、いい場所を見つけたゾ、という喜びもつかの間、数カ月後には専門誌の「撮影地ガイド」にその場所が掲載されたりする。これはたいへん癪に障るけれども、それこそ相手はプロなのだから、場所探し競争で勝てる訳がない。ここまでくると運・不運の問題。
(画像は若き日の勇姿?? 1992年、因美線用瀬駅にて。悪友撮影)
 もうひとつ、どうしても納得いかないのが「フィルムをけちるな」という教示。これを主張するプロ写真家は非常に多いのだけれど、これも一種の「玄人考え」であるような気がしてならない。筆者自身は「迷うようなシャッターは切るな」という方針でやっている。そうしないと、ロクでもない写真ばかりやたらと出来て、フィルム代と現像代が無駄になってしまう。問題は切実なのである。
 結局のところ、撮影技術(いわゆる「カメラ・アイ」を含む)がある一定の水準を越えて、初めて「フィルムをけちるな」という教訓が生きてくるのではないだろうか。筆者は「鉄道写真で賞を取ってやろう」などといった野心を持ち合わせておらず、十代の頃3度ほど応募してすべて予選落ちを食らっただけであるが、これは別に向上心不足というような話ではなくて、その証拠に、今でもやたらと小説の「新人賞」に応募しては予選落ちを食らい、こちらの方はそれでも一向に諦める気配がない。
 要するに、鉄道写真はストレス解消と自己満足の領域なのである。結果として、写真の出来は中途半端。我がサイト「鉄道旅情写真館」も、記録本位のスナップ写真ばかりではないにせよ、絵葉書に毛の生えた程度のものに止まっている。
 最後にアドバイス。
 鉄道旅情写真館だと? たいしたことないじゃん、という方にはそれぞれ信ずる方向へ行っていただくとして(笑)、いい写真だなあ、俺も頑張ろう、なんて思って下さる方には、プロの言葉など無視して「フィルムを大事に使え、迷ったらシャッターは切るな」という方針への転換をお勧めする。素人には「素人考え」の方が適切な場合だってある筈だから。
(後記。このページを公開した数年後、「この写真ならウケるかもしれないなあ」という冷めた動機から応募した『鉄道ダイヤ情報』誌某月号のフォト・コンテストで、銀賞を獲得した。プロフィールに仰々しく"賞歴"として挙げるほどのことでもなかろうから、このページにだけこっそりと記しておく)

 

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