今年(2003年)6月1日、わたらせ渓谷鉄道を初めて訪ねた。わざわざ日付を記したのは、この日、終点の間藤駅で「宮脇俊三展」が催されたからである。
ネット上の広告を見ると、会社が増収目当てに間藤駅を無理矢理「聖地」に仕立てあげた感があり、反発したくもなったけれど、筆者は「足尾線」に乗ったことがない。こんな機会でもなければ乗りに行こうともしないだろうから、珍しくイベント目当てに重い腰を上げることになった。
1994年に一旦JR全線完乗を達成し、その後は「旧国鉄全線完乗」に拡大しようと思いつつ、いま一つ意欲が湧かない。在来線切り捨て前提の整備新幹線は大嫌いで、金輪際乗りたくないし、それにこだわると「全線」の定義が極めて恣意的になってしまう。第3セクター鉄道そのものが、コスト・ダウン第一で全般に座席数が少なく、あまり乗ってみたいとも思わなくなっている。最近は「採算が合わないのなら、あまり無理をせずバス化した方がいいのではないか」とさえ考えるようになってきた。
起点の桐生駅に入ってきたのは、2両の軽気動車。開業時の「ボギー式レールバス」よりは大柄であるけれども、肝心の座席数はたいして変わらない。現代のローカル線旅行では「接続のよい列車からの乗換、途中駅からの乗車できちんと座れると思うな」が鉄則になってしまった。もちろん、両毛線接続列車など無視し、入線時刻15分前からホームに待機していたから、渓のよく見える東側のクロスシートに座れたが。
車窓を眺めていてまず驚かされたのは、渡良瀬川の釣人であった。一人や二人ではない。釣り糸がからんでしまうのではないかと心配になる程の人数なのである。
渡良瀬川の水が意外にきれいなので鮎でも釣れるようになったかと私が訊ねると、
「魚は棲みませんなあ」
と憮然と答えた。精錬所の管理は改善されたが、山肌にしみ込んだ鉱毒は雨が降ると流れ出るからだそうだ。そして、
「もし釣れても、そんなの食ったら大変だあ」
とつけ加えた。 −− 『時刻表2万キロ』河出書房
良くも悪くも、時代は変わったらしい(もっとも『終着駅へ行ってきます』では、渡良瀬川で獲れたというイワナが国民宿舎の料理に登場する)。
途中駅は国鉄時代のままのもの、観光施設との併設になったもの、新たに設置された安っぽいものなどさまざまであったが、途中下車した神戸(ごうど・国鉄時代は神土と表記)駅は感動的なまでに旧態を止めており、カメラを持ってこなかったことを後悔した。
しかし、途中下車のひとつの目当てであった「東武鉄道DRC(かつての特急車)廃車体を利用したレストラン」は訳の分からない色に塗り替えられていて、入る気をなくした。
駅付近をぶらぶらした後、後続列車を待っていたら、10分以上前に行き違いの桐生行(開業時からのボギー式レールバス2両編成)が入線し、扉が開いた後で長時間停車の案内があったのか、かなり間を置いてからゾロゾロと人が降りてきて、そのうち5人ばかりが跨線橋で一眼レフを構えたのには苦笑してしまった。これは明らかに「宮脇俊三展」効果であろう。
間藤行の方は新旧つまり大小混結の2両で、レールバスの方は全部ロングシートであった。近ごろは第3セクター鉄道に限った話ではないが、これだから困る。画像に示したようなこと(クリックで拡大表示されますが、ファイルサイズが98KBあるので注意して下さい)をいくら呼びかけてみても、車内設備にさほど「ゆとり」がなく、用もないのに乗ってみたくなるほど魅力のある車両ではない。転換クロスシートを装備した特別仕様車も何両かあるようだが、これはこれで窓と座席の位置関係が滅茶苦茶である(車体設計共通化の関係だろうが、車両メーカーは転換座席向け標準車体も用意してほしい)。
結局のところ、ローカル線一本を独立採算でやろうというのに無理がある。
神戸で4人ほど下車客のあったお蔭で、運よくクロスシートにありつき、ダム工事の影響で出来た長いトンネルを越えて終着駅間藤を目指す。 宮脇氏が最後まで乗り残した足尾から間藤まではあっという間であった。
文句ばかり付けるのも何なのでひつとだけ持ち上げておくとすれば、改築された駅舎にせよ、車両の塗装にせよ、昨今ありがちな毒々しさがなく上品なのは評価出来る。もっとも、本来はそれが当たり前で、他社の多くが下品過ぎるのだが。
肝心の −かどうかは自分でもよく分からないけれど− 宮脇俊三展は、写真はJTB「旅」宮脇俊三特集号からの転用が大半、自筆原稿まで同誌に掲載されたものと、さして見所はなかった。ただ『終着駅へ行ってきます』にも登場する駅舎併設の「陶芸教室作業場」でも何かあったのか、係員が「こちらはもう終わりました」と訪問者に説明しているのが聞こえた。
作業場内部には何があったのか訊こうとしたが、3人ばかりいた係員は大きな声で内輪話を始め、結局は面白半分に小説書きとしての筆名と所属同人誌名を記帳しただけで、バスで日光方面へ抜けるべく駅舎を出た。この辺りは「宮脇マニア」としての矜持である。
私は周遊券をもっているけれど、仁宇布駅発行の切符を入手しておきたいので窓口へ行く。
「ぺんけ」と私は言った。つぎの駅は辺渓である。
「入場券なら三〇円」と窓口氏は言う。ああそうかと思ったが、意地をはって「いや、辺渓まで」と私は無愛想に言った。(中略)
私は、あくまで辺渓まで乗る必要があるのだという顔で押し通し、四〇円損をしたが、どうやら窓口氏にはすべて分かっているらしい。 −−『時刻表2万キロ』
やはり、こうでなくてはならぬ。
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