鉄道写真を趣味にしていると、無名の土地を訪問する機会が多い。
18歳のとき、天北線の廃駅を見るために訪れた曲淵という小さな集落で、知らない人から挨拶されて面食らったのを覚えている。大学に入る直前のことで、まだ旅馴れていなかった。どこを歩くときも、都会の感覚しか持ち合わせていなかったのである。
能登半島南岸の漁村では、じいさまに警戒の目で睨まれ、追い越したばあさまからは、出身地や来訪目的といった「尋問」を受けて、これにも驚いた。集落には民宿ひとつなく、日常生活で他所者に出会うことがないのであろう。
旅行者が多すぎもせず、極端に少なくもない − こうしたところでのみ、見知らぬ人同士が自然に挨拶を交わしているようだ。
羽越本線・上浜駅付近の海岸で、早朝に通過する寝台特急を狙って三脚を立てていると、通学途中の小学生が、みんな元気よく、
「おはようございまーす」
と声をかけてくれる。この年、私は大学サークルで副会長を務めていた。そのためか、最初は思わず後輩に挨拶を返す調子で、
「オォッス!」
とやってしまった。二年生くらいの男の子は怯えた様子である。ここは、「おはよう」と返すべきで、それくらいのことは「頭では」分かっているのだが、習慣というのは恐ろしい。
失敗談はともかく、この素直な少年たちが、中学を出て列車通学をするようになると、傍若無人の黒い集団と化すのだから不思議である。その粗暴ぶりが地方ほど目立つのは、他人と接する機会がもともと少ないところへ、都会的なプライバシー意識が入りこんだせいだろう。大人たちは顔をしかめるが、彼らにしても、確立しかけた自我と思春期の不安定感のなかで、それまで無批判に受け入れたものを懐疑した時期があったはずである。社会へ出るころになると、そんなことはあらかた忘れてしまうらしい。
最近になって、自我やら思春期やらという理屈では説明のつかない宇宙人みたいな年少者が増えてきたが、今のところ、人間でない未知の生物に会ったと思うことで対処している。
つまり、近づいても大丈夫か否か、直感に従うのである。
ある日の夕刻、勤め先のある雑居ビル出入口に、制服姿の高校生が3人ばかり座り込んでいたことがあった。非人間的なものを感じなかったので「ちょっと通してんか」と、わざとくだけた大阪弁を使用したところ、「すいません!」と飛びのいてくれた。
直感に従って「これはまずい」と回れ右、裏口から出たことも一度ある。
5年ほど前、旅先でほろ苦い経験をした。
宗谷本線の抜海付近で、珍しくわざわざ利尻富士の写真を撮りにいった帰途(画像はそのうちの一枚)、日本海沿いの道道(県道に相当)を歩いていると、前方からジャージ姿の中学生が何人も走ってきた。体育の授業で長距離走をやっているらしい。観光客など歩かない道路だから、珍しそうに振り向く少女がいる。前の走者を追い抜こうとして、私とぶつかりそうになり、邪魔だな、と言いたげに睨んでいく少年もいる。
数十人と行き違い、もう終わりかな、と行く手を遠望していると、かなり間をおいてもう一人走ってきた。
小太りの、どう見ても長距離走には不向きな少年である。息が荒く、かなり苦しそうだ。前方の集団からは、既に何十メートルも離れてしまっている。
子供のころ、私は特に肥満体型でもなかったが、走るのは苦手だった。必死で走っているのにどんどん落伍していく虚しさが、妙に懐かしく思い出された。
少年とすれ違うとき、私はつい、
「オッ、かんばれよ!」
と声をかけた。私の子供時代がこの少年と重なって、強い親しみを感じたのだ。
相手は無理な笑みを作って、
「ハイ」
と堅く答えた。
そのときは、なんとなく微笑ましい気持ちになっていたのだが、やがて後悔が湧いてきた。あの少年は、心の中では唇を噛んでいたに違いない。詳しくは覚えていないが、かつて私自身が、似たような経験をした気がする。
我が直感対処法も、やがて年齢差に勝てなくなるのだろうか。
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