過去に、車両置換の話を聞いて「衝撃」という表現を使いたくなるほど嘆き悲しんだことが二回ある。最初が1993年の羽越・奥羽本線で、次が2001年(だったと思う)の紀勢本線。今さら何を書いても手遅れだが、民営化というのは「公共機関」から「営利企業」への転換であることを思い知らされた。(ちなみに、筆者は道路4公団の民営化は賛成、郵政3事業については、少なくとも郵便事業の民営化には反対である)
まだ社会的にも金銭的にも不自由な中高生の頃、和歌山県白浜町にちょっとした"拠点"があったことから、鉄道撮影といえば紀勢本線であった。そんな経緯で、自然と南紀へ親しみを抱き続け、大学生になって行動範囲が大きく広がってからも、やれフィルムが余ったから、やれ青春18きっぷが1日分余ったからと、年に何度となく紀勢本線へ足が向いた。
それが、紀伊田辺・新宮間の普通列車が105系「通勤型電車」となってから、ぴたりと止まった。一度、特急列車を乗り継いで紀伊半島を一周したことはあるものの、普通列車の車両が「まともな」ものに変わらぬ限り、撮影に行くことはないだろうと、ずっと思っていたし、このサイト内でもしばしばそう「公言」していた。
ところが、人間とは弱いもので、2003年10月、南紀方面へ5年ぶりの「撮影行」に出ることになった。たった5年か − と自分でも思う。なにしろ、かつては年に3回以上という頻度で訪問していたもので、長らくご無沙汰の気分なのだが。
きっかけは、10月号の時刻表であった。
ダイヤ改正号でもあり、かなり熱を入れて「読み耽って」いたところ、久しぶりに紀勢本線の頁に目が止まった。
臨時急行「きのくに1号/2号」、しかもディーゼル列車ではないか。
とはいっても「懐かしの」とか「思い出の」といったキャッチフレーズがないので、初めのうちは、南紀方面で何か催しでもあって、特急型電車は定期列車への増結で目一杯、181系の特急型気動車か、波動専用になった「エーデル」車両でも使うのだろうと思っていた。むしろ、普段は安っぽい軽気動車しか走らない北上線の「なつかしの横黒号」や、磐越東線の客車列車「あぶくま紅葉号」などが気になって、これらの詳細を調べに書店で鉄道誌コーナーへ行ったのである。
すると、北上線は急行型2両と物足りず、磐越東線も客車4両になぜかディーゼル機関車が重連と、被写体としては頭でっかちのアンバランスで、気勢をそがれた。
反面、びっくりしたのが「急行きのくに」の方。こちらは要するに「懐かしのきのくに号」、山陰本線への新車投入で「失職」した国鉄塗装の急行型気動車を6両で走らせるという。
個人的に、これはちょっとした"事件"であった。
2000年の暮れ「21世紀イベント」と称して新大阪・紀三井寺間に「急行きのくに」を名乗る列車が運転されたが、これは年越しの夜行。団体臨時列車までは把握出来ていないけれど、時刻表に掲載されるものとしては、1985年3月に定期列車が消えて以来、18年半ぶりの「国鉄型気動車昼行急行」なのだ。(画像は1985年3月運転の臨時列車「さよならDCきのくに号」)
つまるところ、「もう行くことはない」という決意を翻すことになった。路線バスを駆使するつもりではあるが、「金輪際乗らぬ」筈の通勤型電車にも乗ることになりそうである。忸怩たるものがあるけれど、やはりこれは撮っておきたい。10年ぶりの有名撮影地など「今でも撮れるのかしらん」という不安を抱え、またマニアがどれだけ押しかけるのか、案外「たいしたネタではない」のか、まるで見当がつかないが……。
(同じ紀勢本線の「電化25周年記念号」の方は予想通り電気機関車EF58-150の牽引。こちらにはまったく興味がない。EF58という機関車になぜあれほど人気が集中する − つまり動態保存が集中するのかよく分からない。EF57やEF56の方がずっとカッコイイと思う。もっとも、仮に今からEF57なんぞ現役復帰して走ろうものなら沿線はどエライことになるだろうから筆者は動くまいが)
(後記。現地はファンの姿多からず少なからず、まあ「平和」であった。13日早朝に和歌山市内で集中豪雨があり、この日の「電化25周年記念号」は相当に遅れてきた筈で、沿線に陣取ったファンはかなりやきもきしたものと思われる。)
バックナンバー目録へ戻る際はウィンドウを閉じて下さい