筆者が勝手に造った言葉に「てつみち」というのがある。漢字で書くと「てつどう」と区別が付かず、手書きのふざけた文書では鉄の字を丸で囲んで区別したりしているが、鉄道写真の好きな人なら、続きをお読みいただければご理解いただけるものと思う。
撮影したい線区に「撮影地ガイド」があれば最も簡単なのだけれど、それが手元にない場合、次善の策として、鉄道誌のグラフ・ページと地形図を照合し、場所の見当を付けることになる。いい写真だけど、あんまり見かけない構図だなあ、という場合は恐ろしく足場の悪い場所であったりする可能性が高いが、類似の構図(ほとんど同一の構図である場合、他に「絵」の作りようがない場所であることが多く、これはやはりつまらないので避けた方がよい)で撮られた写真をしばしば目にするようだと安心出来る。
それでも、現地に行くとまごつくことは少なくない。
典型例が五能線の深浦−広戸間。山手から俯瞰気味の構図をよく見かけるが、地形図と照合しながら現地を歩いてみても、ここと思われる地点から線路も海も見通せない。行ったり来りしているうちに、国道脇の薮に微かな踏み分けがあるのに気づいた。今なら躊躇するかもしれないけれど、その頃はまだ若く意気盛ん(?)で、ものは試しと薮をかき分けてみたら、案の定、線路を見下ろす地点に飛び出し、それだけならまだしも、先客が一人いて、ほぼ同時に「ああ、びっくりした」と声を上げるオチまで付いていた。
もっと驚かされたのが冬の深名線。有名だった「朱鞠内の悪接続」を逆手に取って、あの少ない列車本数で効率よく撮って乗ってやろうと、冬のさなか、朱鞠内駅から湖畔駅に向かって歩きだした。
道路の両脇は路面から押しのけられた雪がうず高く、ほとんど見通しが利かない。ところが奇妙なことに、ある地点にだけ、路肩の雪にいくつも足跡がある。地図を見ても、その向こうは急斜面で落ち込んでいる筈で、何の足跡なのかさっぱり分からない。
登ってみた理由は、やはり時間が余っていたこと。あとは好奇心だけ。
階段状とまではいかないが、靴が潜らない程度に踏み固められた雪の上に登ってみて、思わず口の中で「おお」と叫んだ。
なんと、朱鞠内駅を俯瞰する「撮影ポイント」だったのである。
「てつみち」の意味するところ、分かっていただけたのではないだろうか。
深名線の方は、それが「最後の冬」になることが分かっていたから、かなり特殊なケースだったかもしれないが、少なくとも五能線の場合、訪れる撮影者が途絶えれば、短期間で「てつみち」は消滅し、撮影困難となるであろう。
実際、古い撮影地ガイドなど参考にしていると、たった1本の新しい電柱が壊滅的な打撃を与えていたり、もっと劇的な例としては、道路橋が消え失せて(離れた場所に掛け替えられて)足場そのものが消滅していたことさえある。
1度行ったことのある撮影場所なら、再訪は比較的気が楽だ。
肥薩線、大畑駅の俯瞰など、初め栗の木が茂る斜面をえっさえっさよじ登ったところ、「頂上」の向こうには轍も明瞭な砂利道があって愕然とさせられたものだが、2度目となれば苦労は要らない。もっとも、1988年の「撮影地ガイド」を片手に1998年の大畑を歩いていたら、お目当ての場所に着いたところ線路は林の向こうで、どうにもならなかった。10年という時間の長さを思い知らされたものである。
画像は紀勢本線の紀伊田原と古座の間にある有名ポイントで、別荘用に整地された場所からの俯瞰。左が1992年10月、右が2003年10月の撮影である。線路際の茂みにしてもこれだけの差(165系の車体には全く被さっていない)があり、足場の方も、山の斜面に茂る樹木の成長で、一段高い場所からでないと撮影出来なくなっていた(別荘地の「空地」は、景気低迷のせいかほとんど埋まっておらず、11年前に撮影地だった部分には携帯電話用らしいアンテナが建っていた)。より一段高い足場というのは存在しないから、さらに11年後は撮影不可能になっている可能性もある。
11年後といえば2014年。その頃、五能線・深浦−広戸間の「てつみち」は存在するだろうか。
後記。奇しくも本文中に記した「11年後の2014年」、引退・廃車を数ヵ月後に控えた「トワイライトEXP」用寝台車が新宮まで入線! 相当の人出が予想されたので、筆者は穴場探しに専念して"出撃"したのだが、後で調べてみると本文中(画像)の場所は少なくとも「撮影不能」にはなっていないようだ。五能線・深浦の方はどうなっていることやら。
バックナンバー目録へ戻る際はウィンドウを閉じて下さい