2003年12月、「国鉄労使問題」が国労側の敗訴確定という結末を迎えた。これは、ある意味で国鉄改革の大きな部分が終わったことをも意味する。時間も資料も、許される字数も足りず、この場で国鉄改革全般を語る訳にはいかないけれども、要点だけは記しておきたい。
●国鉄の「赤字」について
国鉄が赤字に転落したのは、道路網の発達に伴う物流構造の変化が理由のひとつである。しかし、それだけではない。戦時中、一時的に日本が占領・支配していた地域の鉄道で働いていた邦人は、戦後国策として国鉄に採用された。その数は60万人にのぼる。しかも、彼らが退職した後も、年金を支払ったのは国ではなく国鉄であった。特定人件費と呼ばれたこの費用は、無視出来ない額になる。
何よりも、赤字の処理が借入金によって行われるという、極めて異常な方法が取られたことは是非とも強調しておかねばなるまい。これでは極端な増益がない限り、赤字が永久に続き、しかも雪ダルマ式に膨らんでいくのは当たり前である。ちなみに、ヨーロッパの鉄道が国有であった頃、年度毎の赤字は政府予算によって処理され、債務の「累積」は発生しなかった。
つまり、国鉄は意図的に潰された訳で、赤字額を積み上げた理由については「そのほうが国鉄の労使をたたきやすいからだろう」という某国鉄総裁の発言が残されている。
●「赤字」の中身
事実関係は既にこのサイト内で何度か書いたので数字だけ挙げておく。利子を含めた累積赤字は25兆4000億円、特定人件費が4兆9000億円、他に鉄道建設公団の資本費やら本四架橋鉄道部分の資本費まで含めたものが、国鉄の最終的な負債総額37兆2000億円であった。これを除いた場合、つまり、設備を維持し人件費を払い列車を走らせる収支だけを見れば、以前にも記した通り1984年度以降黒字に転換し、1985年度が3189億円の黒字、1986年度は3773億円の黒字であった。民営化の際、声高に叫ばれた「国鉄は一日列車を走らせると65億円ずつ赤字が増える」という論理は、筆者には理解不能である。
●判決についての私見
国労敗訴の根拠としては「JR成立時の職員採用については、国鉄改革法で、国鉄とJR側の権限が明確に分離して規定されている」(新聞報道から)という論法が使われ、「国鉄に責任はあるがJRにはない」という結論になっている。そもそも、国鉄は「労使たたき」を目的に解体されたのだから、法的に筋道が立てられている − あるいは逃げ道が用意されているのは当然で、民営化された時点で既に手遅れというのが現実であろう。
JR北海道など、路線網が昭和50年代の3分の2になってしまった。採用において差別が行われたからそれを解消する、といっても、必要のない人材を新たに雇用するのは不可能で、だからといって、社員の一部を「あなたは不当に有利な条件で採用されたので差別解消を理由に解雇する」という訳にもいくまい。妥当な判決かどうかはともかく「今となってはどうしようもない」のである。
●民営化のもたらしたもの
可部線の末端区間が廃止された。新聞報道によると、第3セクター化で存続させた場合、予想される年間赤字額は3億円であるという(JR側は線区ごとの収支を公表していない)。確かに小さな額ではないけれど、一方で、JR西日本は大阪駅北側の再開発事業に何百億単位で出資し、さらに大阪駅プラットホーム上には特に必要もない巨大なドームを建設する由。
東北新幹線の盛岡−八戸間が開業して1年、同区間の利用者は在来線当時より大幅に増えたそうな。それで利益が上がったのか、JR東日本の建設費負担がどうなっているのか知らないので不明だが、いくら儲かったところで、もはや平行在来線に「還元」されることはあり得ない。新幹線停車駅以外は、長距離旅客の運賃収入を奪われただけで、後は完全に見捨てられ、無視される訳だ。
JRグループでは、これらを「地域密着型」と呼ぶらしい。あるいは、発足後17年を経て、そんな謳い文句はもう忘れてしまったということだろうか。
近い将来、同じ事態が日本全国で起こることになる。
本文中に使用した特記以外の数値は立山学著『JRの光と影』(1989年・岩波新書)による。
なお、画像は貨物線の廃線跡で本文と直接の関係はないが、かなり象徴的な光景だと思うので……
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