2004年10月23日、新潟県中越地方で最大震度7の地震が起きた。最初の地震は17時56分に発生、その後も震度6強の余震を繰り返し観測するなど、記録に残っている限り過去に例のない経過を辿っている震災であるが、被災地周辺で肝を冷やした旅行者や鉄道愛好家も多かったのではないだろうか。
なにしろ10月23日のみ運転という、非常に注目度の高い臨時列車があったもので。
それは、只見線会津若松〜只見間を1往復したSL列車。ほかに「只見線通り抜け乗車」を考慮してSL列車に接続する只見〜小出間臨時普通列車も1往復、さらに、これは一日限りの運転ではない(予定だった)が、新潟発新潟行「磐西・只見ぐるり一周号」も運転されている。
SL列車しか眼中になくさっさと引き揚げた向きは別にして、当日は土曜日でもあり、定期列車も合わせて撮影終了後、宿泊地や道路走行中に揺れを感じた人は少なくなかっただろうと思う。一周列車は新津を発車しさつき野駅を通過していた頃で、震源地から距離があるため影響を受けたがどうかは不明。
列車本数の少ない線区で、撮影組は大多数がクルマだろうけど、考え得る最悪の例は、会津若松発7時37分の425D列車で只見線に入り、SLや一周列車を撮影後、小出着17時42分の427D列車から上越線長岡行1745M電車に乗り換えた場合である。
この1745M電車は越後堀之内駅を17時55分に発車、つまり震源地間近で最初の揺れに遭遇した筈である。新幹線の脱線ばかりが報道されたのは正直なところ不愉快なのだが、1745M電車は無事だったのだろうか。駅を発車して約1分後 − 実際のダイヤは15秒刻みの筈で、時刻表は切り捨て表記だから最短15秒後なので、速度を出していなかったのが不幸中の幸いだったのかもしれない。
実は筆者自身が、この1745Mに乗っていた可能性があるのだ。
拙サイト内をよく見ていただければお分かりの通り、筆者はSLには興味がない。物心ついた頃には既にSLブームも過去のもの。小学校入学のときに買って貰った色鉛筆の箱に刷られた写真は伯備線のD51三重連だったような記憶があるけれど、実際は動態保存運転しか知らないので、やはり過去の遺物という意識が強い。筆者が惹かれたのは只見以西の「臨時普通列車」の方。なにしろ、秋冬の撮影可能時間帯に走る定期列車は1往復しかないため、これに「一周列車」も合わせ計3本加わってくれるだけで、撮影効率は飛躍的に向上するのである。
22日・23日と長岡に連泊して、以前に雨中撮影を強いられた場所への再訪と未知の撮影場所自力開拓を目論んでいたところへ、台風23号が近づいてきた。進路予想通りなら台風一過となりそうだが、少しでも遅れたら撮影当日はともかく「出発」が不可能になる。それに、台風は去ったとしてもその被害が残っているかもしれない。
夏場の体調不良をひきずってあまり元気がないこともあって、結局ホテルの予約もせず、撮影行全体を取りやめてしまった。
そして10月23日。頻繁な余震に混乱気味の報道を見ていて、不意に気が付いた。
−あれ? 23日といえば……!
時刻表を調べてさらに驚いた。行程計画が煮詰まっていた訳ではないけれど、只見線427D列車から上越線下り1745M電車へというのは列車本数の面から他に動かしようがない。鉄道路線・各列車の中で、最も震源地に近い場所にいたかもしれないとは!
直接の被害がなかったとしても、1745M電車の乗客はどうなったのだろうか。長岡へ通ずる並行道路は、北堀之内駅の西側辺りでトンネルのコンクリートが剥落して通行止め。何処を迂回しても地形の険しい川縁や山中を通ることになり、そう簡単に被災地の外へ出られたとは考えにくい(蛇足ながら、北堀之内駅のすぐ近くで魚野川に注ぐのが、土砂崩れでせき止められた芋川である)。
こちらも大きな被害をもたらしたので不謹慎だけれど、筆者は少しだけ台風に感謝している。
地震以来、上越線六日町以北は不通が続き、只見線も小出〜只見間が長期不通。一周列車は10月23日に走ったきりとなってしまった。(画像は小出駅只見線ホーム(2002.11)。通常は日中3時間ばかり2編成がお昼寝)
この後は地震と無関係な話。
只見線のSL列車には厭な思い出がある。
運転が開始される以前、紅葉と国鉄型気動車の組み合わせを狙って会津西方駅付近をうろうろしていたとき、地形図にない新しい道路に惑わされて自分の「正確な」現在位置が分からなくなり(駅への帰り道が分からなくなった程ではない)、通りかかった人に道を尋ねたところ、どういう訳か会津桧原駅近くのお宅で昼食を御馳走になる結果となった。
もちろん帰宅後すぐ礼状を送り、年賀状のやりとりも始めた矢先、鉄道誌に「只見線で蒸機が旧型客車を牽引」という情報が載った。
筆者は動かなかったけれども、インターネットから得た情報によると、案の定、現地は「たいへんなこと」になったという話である。
同年末、年賀状の余白に『SL列車の運転で相当数の撮影者が押しかけたようですが、地元の方にご迷惑となることがなかったでしょうか? 鉄道写真愛好家として心配しております』と書いて送ったが、先方からの賀状はなかった。
以後、関心がSLと直接関係のない只見以西に移ったのもやむを得ないだろう。
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