ささやかな告発

 福知山線全線の運転が再開されたことでもあるし、そろそろ尼崎事故の話は終えたいのだけれど、鉄道について多少の知識を持つ者として「告発」せざるを得ない新聞記事が少なからずある。せっかくインターネットという利器があるのだし、実例をひとつ示した上で論じてみようと思う。

 6月17日 読売朝刊

 JR脱線電車と同型207系 製造時期違う車両と連結… ブレーキ利き ばらつき

 兵庫県尼崎市のJR福知山線で脱線した快速電車と同型の207系が、製造時期の異なる車両を連結した場合、一時的にブレーキが利きにくくなったり強くかかり過ぎたりする現象が起きることが6日、わかった。JR西日本の技術者が2000年に学会で報告していた。快速電車も同様の連結で、事故当日、オーバーランを繰り返すなどしており、国土交通省・鉄道事故調査委員会などは関連を調べる。

 研究報告によると、207系のうち、1991年から製造された初期の「0番台」車両と、車載機器に改良を加え、93年以降に製造された「1000番台」の車両を連結して走行した場合に限って、こうした現象が発生するという。車輪が空回りしそうになった時、0番台は電気ブレーキから空気ブレーキに切り替わる過程で制動力が乱れ、1000番台ではモーターの電流が変動し、電気ブレーキに影響を与える、と分析。0番台と1000番台の制動状況に微妙な差ができるため、連結車両全体のブレーキの利き具合にばらつきが出るとしている。
 研究結果が報告されたのは、2000年12月の日本機械学会・鉄道技術シンポジウム。同社は「異なる番台でも一括して運用を続けているが、実際の運転に影響があったという報告はなく、全く問題はない」と説明している。
 同社では、0番台147両、1000番台257両、さらに新しい2000番台80両を保有。事故を起こした快速電車は前の4両が0番台、後ろ3両が1000番台の7両編成だった。
 製造時期が異なる車両の運用について、大阪市営地下鉄などでは「できるだけ連結しないようにしている」という。
 207系のブレーキシステムを巡っては、これとは別に、一時的にブレーキが利きにくくなる「回生失効」現象が起きることも、明らかになっている。

 ここに掲載した記事を読んだとき、筆者は初め吹き出し、念のためもう一度読んでからアッと気が付いて、今度は寒気を覚えた。
 これをもう少し詳しく書けば、初め「それと事故と何の関係があるんだ?」と笑い飛ばしたのだけれど、よくよく読めば、新聞記事の常套句である『脱線事故に関連して』という一文がないではないか。
 専門機関がこれから「関連を調べる」とは書いてある。調べるのは結構だが、結果として関連が認められないであろうことは容易に推測出来るので、あるいは書き手または新聞社もそれを予測しているのではないか。そもそも「ばらつきがある」とは書いても「利きが悪くなる」とは書いていない。回生失効を含めて、微妙な「ばらつき」と制限速度30キロ超過がどう結び付くのか、たとえ仮説の水準であってもこれを論理的に説明出来るとは到底思えない。
(蛇足ながら、特定の車両 −クハ101型をクハ103型に改造したグループだったと思う− を編成に組み込むと「ブレーキの利きが悪くなる」という現象が報告され、実際に起きた事故との関連が否定出来ないとして使用を取り止めたケースは過去にある。国鉄時代かJR西日本になってからかの記憶は曖昧)
 事故との関連は考えにくく、しかし事故が起きていなければ新聞がこの「事実」をわざわざ取り上げることはなかろう。となると、いったい何のための記事なのか?
 利用機会のほとんどない阪神や京阪のことはよく知らないが、南海や近鉄では当たり前のように新旧混結を行っている。特に近鉄の場合は編成単位が短く、南大阪線では2〜4両の編成を組み合わせて最大で8両を組成する。4両が抵抗制御、2両が界磁チョッパ制御、2両がVVVF制御(これらは名称を知っているだけで、仕組を理解している訳ではないけれど)なんていうことも珍しくない。もちろん現役最古参の形式と最新鋭の車両が一緒になって走っている。
 民営化万歳の読売新聞にどうして市営地下鉄がやたらと出てくるのかよく分からない。おそらく『製造時期の異なる車両を出来るだけ連結しない』などと回答した鉄道会社がなかったためだろう。
 つまるところ、「読者に曲解を生じせしめる」のが目的だから、『ウチでも混結しています』という鉄道会社のことに触れることが出来ないのだと思われる。そして、なぜそんな細工をして記事を書くかといえば、事故を起こした会社を槍玉に上げれば読者が喜ぶ、喜ぶということは購読者を維持または増加出来ることになる(この状況は何も読売新聞に限らない)。事故原因の究明なんて本音は「二の次」なのだ。
 実際、事故の記事を追いかけていると「JR西日本に都合の悪いこと以外はなるべく書かない」という姿勢がいくつも見てとれる。
 事故車両に非常ブレーキ作動時の速度等を記録するモニター装置が設置されていて、これを根拠とした「直線区間で126キロ出ていた」「非常ブレーキ作動時に108キロ出ていた」という数字は新聞紙上で公表された。ところが、後になって、ATSか何かに別の数値が残されていたことが判明、モニター装置の数値が正しいかどうか疑問が生じている由(そもそも、今回のような事故原因究明を目的にした装置ではないらしいから無理もない)。そして不思議なことに「別の数値」がどういうものなのかは紙上に公表されていない。
 察するに、126キロ、108キロよりかなり低い数値が出てきたのではあるまいか。
 JR西日本が事故直後に公表した脱線限界速度について批判を重ね、110キロ以下でも今回のような事故は起こり得る、という記事を載せた同じ新聞が、なんと自社解説委員の名前で『120キロ以上でないと転覆は起きない』という記事を載せている。掲載日に随分と間隔が空いているから、読者はもう細かい数字など覚えていまい、とタカを括ったのかもしれない。
 読売新聞が黙殺し続ける「砕石粉砕痕」は、枕木の「脱線痕」から11メートル手前という位置にある(新聞記事に愛想を尽かして久々に買った『鉄道ジャーナル』7月号による)。複数のバラストがどうやってレール上に載ったのか、謎は残ると思われるが、幸いにして事故との因果関係が明らかになった場合、読売新聞がどう対応するかは見物である。
 最後に、補償交渉に関して思うこと。
 公的機関でも民間企業でもいいので、大事故の際に企業と被害者・遺族の間を仲介する専門の「ネゴシエーター」のようなものが設けられないか。その方が、被害者側にとっても幸福だと思うのだが……
 誠意が感じられない、なんていうのは詭弁に過ぎず、そもそも、被害者側が『誠意』を感じる対応などというものが実際に存在し得るか、おおいに疑問である。また、被害者に運転再開時期を云々する権利はない。もし、運転再開が正義に反するというのが真理ならば、訴訟を起こせば勝てる筈だ(その権利なら当然ある)。
 本来、事故について責任がある筈もなく、ただ業務として被害者との交渉に当たらなければならない人たちのことが気になって仕方がない。

 別に誤解されたって実害はないけれど、一応記しておく。筆者の立場は「論理的に筋の通らないものは断じて認めない」というに尽きる。もし、自身あるいは身内が被害者だったら、請求すべきは請求する。しかし、知識のない分野に関しての口出しは絶対にしない。事故を起こした企業に対する「感情(憎悪)の吐露」も決してしない(というより性格的に出来ない)。事故と犯罪とは違うのである。公共交通機関の事故に遭遇したのはまず「不運」と考える。事故列車に乗り合わせて怪我をしなかった人も大勢いるし、街を歩いていたら頭上から自殺者が降ってきて、巻き添えを食って亡くなった人だっているのだ。

 

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