松山市にある伊予鉄道の市内線と高浜線が「平面交差」していることは有名だけれども、他にどれだけあるのかとなると寡聞にして知らない。
1980年代に刊行された保育社の『私鉄の車両・富山地方鉄道』によると、加越能鉄道(現・万葉線)は氷見線および新湊線(貨物専用)から分岐する工場への引込線と3カ所で平面交差していたそうで、このうち荻布[おぎの]電停付近を横切る「日本曹達高岡工場専用線」はつい最近まで残っており、過去に当サイトのテーマ部で紹介したこともある(2007年3月に常設展示化)。筆者はあまり路面電車に興味がないので、出来ればここを通過する貨物列車を撮りたかったのだが、専用線とあって運転時刻がまったく分からない。
専用線の「起点」たる能町駅で何時に貨車の入換があるかについては「貨物時刻表」に記載されているから、気候のよい時期を選んで能町駅旅客ホームに居座り、文庫本でも広げて"張込み"をしようかと考えてはいた。とはいうものの、貨車の出入りが毎日あるとも限らず、時間と費用の無駄に終わってしまう可能性が少なくない。
二の足を踏んでいるうちに時間ばかり過ぎて、結果的に、運転情報でも出ていないかと検索したインターネット上で専用線廃止の報を知る仕儀となった。
コンテナ以外の貨物関連については、思い立ったら即行動すべし、というのを改めて実感させられたものである。
そんな折、親戚から近鉄の「株主優待乗車券」を貰った。
これを活用すれば、徒労に終わったとしても金銭的損失は最小限で済む。そこで、中京方面の「怪しい線路」を2度にわたって訪ね歩いた。
結果は悲喜こもごも、近鉄の急行電車と「石原産業四日市工場(2005年、廃棄物処理法違反か何かで強制捜査を受けた!)専用線」からの化成品タンク車が塩浜に同時進入するという幸運にぶつかり、お蔭で次の機会にはきちんと撮影が出来たかと思うと、四日市港の「可動橋」は2度訪問して2度とも列車が運休する(運転時刻は容易に推測可能で、現地の踏切には「貨物入換時刻表」まで掲示されている)憂き目にも遭った。
最も面白かったのは名古屋臨海鉄道。
ここの東築線というのが名鉄築港線と平面交差しており、残念ながら定期の貨物列車はなく(通るのは名鉄がらみの廃車回送や新車搬入、海外への輸出車両のみ)、ふらりと立ち寄って撮れるのは名鉄電車だけであるものの、路面電車ではない「鉄道線」同士、単線同士というのが愉快である。一時名鉄に並行していた目障りなHSST実験線とやらも、今は取り壊されて跡形もない。
肝心の(?)貨物列車は、まず撮影地探しに難渋した。
臨海鉄道の「本線」である東港線・南港線は3カ所で川を渡るが、並行する名鉄常滑線の電車内から見てみると、東港駅の北側にある橋梁は列車の足回りが隠れる構造で撮影不可、天白川にかかるこの鉄道で最長の橋梁も同様である。
残る1本だけ工法が違うという可能性は低い、どこか踏切脇から撮る以外にないだろうと、半ば諦めの境地で名鉄の名和駅を出た。
地図に示したとおり(不細工な地図で恐縮)、この付近の道路はすこぶる奇妙である。海岸の工場用地へは陸伝いに行くことが出来ず、南側から橋を渡る以外に進入路がない。それに加え、矢印で示した道路だけが見せる曲線の意味を考えれば、ここが元の海岸線ではないかとの推測が成り立つ。
いったいどんな道なのか、という興味を持っていなければ、とにかく橋梁まで行ってみようという気すら起こさなかったかもしれない。
5万分の1地形図にない道路が名鉄の線路に沿って南へ延びており、すぐ堤防上を歩くことが出来た。水辺は一瞬ヘドロかと錯覚してギョッとしたのがよく見ると干潟であり、水面には魚が跳ねているし、それを狙う鳥の姿も多い。名鉄の橋梁より上流は地形図で青線一条に過ぎない「水路」なので、河口付近はおそらく完全な海水であろう。
工場地帯とは思えぬ実に心地よい散歩道であったのだが、突然4車線道路が行く手を遮った(地図上A地点)。
地図を見る限り何ということもない「交差点」であるものの、先へ行こうとすると、まずトラック群の合間を縫って2車線を突破し、中央分離帯の茂みとそれを囲む2つのガードレールを乗り越え、さらに2車線を突っ切る必要がある。
しばし呆然と立ち尽くし、さすがに諦めて横断歩道を探したところ、何とB地点まで迂回させられた。
通るのは6割方が大型トラックである。凄まじい騒音、巻き上がる砂塵、両側に歩道が整備されているのが救いといえば救いであるけれど、もとより歩いている人間なんぞ他にいる筈もない。
直線距離にして僅か十数メートル進むのにとんだ苦労をさせられ、ようやく平和な川べりに戻って行く手を見ると、嬉しいことに臨海鉄道の橋梁は撮影向きのプレートガーダーという型であった。
ここに腰を据えてしまえば楽ではある。しかし筆者は「定点撮影」を好まないので、橋梁をゆく列車を1往復撮った後で道の続きを探ってみた。
これも地図上では踏切にしか見えず、事実かつて踏切だったような形跡はあるのだが、堤防上の道路は線路の前後でも柵によって寸断されていた。線路の先からC地点のT字路までは、道路というより線路際に建つ工場が持つ駐車場の一部と化している。
果たして、海側にはかつての護岸らしきコンクリートの構造物があった。路面からの高さは僅か数十センチで、削られた形跡もないから、あるいは沖合まで干潟が広がっていたのかもしれない。今は、帯状の薮を挟んで一面工場用地となっている。地形図(平成12年要部修正)では真白なその土地に、現在はいくつか建築物が見える。なぜ陸伝いの道路を作らないのかに関しては現地を見ても謎のままで、曲線を描く細長い薮はまるで廃線跡のようだ。
C地点のT字路から先(北)は、明らかに地形図の標記より広い道路として「現役」で、トラックの行き交う響きに工場から洩れる轟音が加わって頭が痛くなる。踏切付近D地点では午後順光となる西側(海側)から撮影が可能であるものの、貨物専用だけにダイヤ通りには来ない列車(日によって通過時刻が大幅に違い、運休かと諦めかけたところへ走ってくるかと思えば、時刻表の20分も前に通過したりする)を待つには環境が悪過ぎた。
橋梁のところまで戻ってくれば、工場の騒音も遠く、干潟をサギ類が歩き、ウが翼を広げて日光浴をし、水面にはカモ類が泳いでいてまさにオアシスである。
4車線道路の大迂回さえなければ、何かのついでにでもまた立ち寄りたい場所なのだが……
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