2006年現在、山陰本線で貨物列車が見られるのは伯耆大山〜米子間4.8kmと岡見〜益田間16.9kmのみ、貨物取扱駅は伯耆大山・米子・岡見の3駅のみである。JR貨物発足当時は二条・湖山・伯耆大山・米子・東松江・江津・益田で貨物の取り扱いがあったのだが、次々に消えて現状にまで減ってしまった。伯耆大山〜米子は実質的に「伯備線の列車」であり、沿線風景も冴えない上にコンテナ列車のみである。岡見〜益田間の列車は被写体としても貴重な存在だ。
貨物列車の"事情通"は別として、以上の文章を読んで「オヤ?」と思った方がおられれば嬉しい。というより、オヤと思って貰えないと話が先に進まない。
JR発足時のところに「岡見」がないのは、筆者の誤りではないのだ。
現存する貴重な貨物扱い駅である岡見は、ありふれた駅員無配置の旅客駅であった。それが、どうした訳か1990年代後半にもなって貨物取扱を始めたのである。
そもそも、貨物列車という奴は厄介で、走らなくなっても「廃止」だ「休止」だという発表がない。雑誌に情報が載った場合でも「運転終了」というような書き方をする。線路が草に覆われ、部分的に撤去されてしまっても、書類上は現役だったりするからだ。
1990年代後半、置換の噂が出ないうちに……と急行型気動車を目当てによく山陰へ通った。だから、江津と益田の貨物扱い終了は現地を見て知らされた。結局、撮影出来たのは数回に留まり、専用線のレールが寸断されているのを見たときは衝撃を受けたものである。
岡見の「新設」も、初め情報がないまま現地を見て「変だなあ、何だこりゃ?」という調子であった。
あれは1993年夏だったと思う。青春18きっぷで山陰をウロウロし、当てもなく岡見に降り立ったことがある。三保三隅側では線路の付け替えが行われ、駅構内から見ると新旧二つのトンネルが並んでいて、安全側線が砂利の山へ突っ込んだ先で古びた坑口が金網で塞がれている様子がよく分かった。
ところが、数年後に通ってみると、安全側線の位置が変わり、真新しい線路が旧トンネルに引き込まれているではないか!
こんなところで旧線を復活させて「複線化」する筈もないから、きっと、海辺に聳えている発電所の建設用に線路を仮設したのだろう、夜中に変圧器を積んだ「シキ」でも通したに違いない、という解釈をしていた。
仮設線路なんぞではなくてれっきとした専用線を引いたのだ、という情報は、ややハタケ違いの書物で入手した。1999年刊行『鉄道廃線跡を歩くVI』(JTBキャンブックス)である。それも、岡見駅とは直接関係のない「伊佐軌道」なる項目だった。
最近になって中国電力三隅発電所との間で、石灰石、石炭灰輸送のため、山陰本線岡見駅、山口線を経由して、貨物列車が1日1往復専用線に乗り入れているそうである。
この「専用線」というのは美祢線美祢駅から出ている宇部興産のものを指し、これが「伊佐軌道」の末裔に当たるそうな。この線路も、宇部港との間に数多く設定されていた石灰石輸送列車が1998年に消えて列車が走らなくなったのが、奇跡的に"復活"を遂げたものらしい。引用した文章にも、どことなく「半信半疑」という調子が見てとれる。
謎は……と書くと大仰かもしれないけれど、疑問は残っている。
江津駅・益田駅の貨物扱い「終了」と、岡見駅の貨物扱い「開始」の順序がよく分からない。いずれも小郡(現・新山口)から山口線経由で、時間帯は下り益田発が夕刻、上り益田着が早朝であった。運転時刻がピッタリ重なるほどでもないから、一時的に「2往復体制」になった可能性も否定できないけれど、こちらも一旦消滅した後で「奇跡の復活」を遂げたと見ていいのではないか。
そもそも、1990年代後半になって専用線が新設され、新製私有貨車による専用貨物列車が「新たに」走り始めたということ自体、異例中の異例なのである。
早くから気になる存在ではあったものの、岡見発が18時台・着が8時台とあってはかなり撮影困難で、岡見〜益田間の撮影地にも疎く、なかなか腰が上がらなかった。しかし、ついに山陰本線から「ブルートレイン」が消えて、機関車牽引列車としてますます貴重な存在となった上に、いつの間にか岡見発が30分ほど繰り上がって17時38分となっており、春先でも朝夕両便を撮影出来ることから、ようやく決行した。
「アクアライナー」の快速用車両と新型特急車もフィルムに収めて(各停用キハ120型は大嫌いなので無視)、そろそろ「山陰本線20年の旅」を完結させよう、という思いもあった。
撮影場所探しを兼ねて陽の高い時刻から現地入りし、まず石見津田駅の近くで三脚を据えたところ、その道は中学校の通学路か部活場所等への移動経路だったらしく、自転車のジャージ姿がやたらと通る。珍しく教育が行き届いているのか、その9割方が「こんにちは」と挨拶してくれるのは気持ちいい一方、数が多いので忙しいことこの上ない。無視する訳にもいかないから、相手の口調に合わせて、
「こんにちはぁ、……ううっす、……ハイ、こんにちは」とやっていると、今度は単車に乗った警官が通りかかって、
「機関車を撮りにきたのですか?」ときた。
線路(海)に向かって三脚を立てておいて良かった、とまずは安堵したが、職務質問なんぞ初体験なので緊張しない訳にはいかぬ。「機関車」の通過(益田から岡見へのお迎え回送)までまだ1時間以上あるので「車両の目当ては特にないけれど、海を背景に列車を撮っている」とかなんとか説明したところ、
「いやぁ、最近多いんですよ。DD51っていうんですか? 機関車を撮りにくる人が」と感心して見せただけで「お気をつけて」と走り去った。
言われてみれば、既にDD51が牽引する専用貨物列車自体、全国的に見ても数えるほどしか残っていないのである。あるいは、厚狭(幡生機関区厚狭派出所)には更新工事と共に塗装を変えた機関車がまだいないのかもしれない。ここの列車がそれほど注目されているとは知らなかった。
嬉しい反面、寂しいような気もする。
感慨に耽っていたら、いかにも悪戯そうな女の子が二人並んで現れ、「アイーン!」という叫び声を残して行った。
(写真は鎌手−石見津田・大浜漁港の防波堤から撮影 2006.
5)
2013年、水害による山口線寸断でこの貨物列車も休止、線路復旧を待つことなくそのまま正式廃止となった。
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