不運と幸運と

 このところ、貨車や工場専用線に関する本を買ったり、インターネット検索をすることが多くなった。早くからこの方向に進んだ趣味人にはJR機関車の塗装変更が我慢ならない向きも見受けられるけれども、ローカル気動車の外観が幼稚園の送迎バスと化しているのに比べればずっと趣がある(電機の一部には確かに不細工なのもあるが)。さらに工場専用線ともなると、規格の低いレールが雑草に埋もれつつも銀色に輝いており、これは古き佳きローカル鉄道を思わせる。とはいえ、貨物時刻表が市販されるようになっても、専用線の運転時刻までは分からない。何時何分に到着貨物があるから入換がすぐ始まるのでは? と安直な考えで出掛けたら、貨車は側線に停まったきり構内は静まり返ったままで、予定していた帰りの列車が出る時刻まで待ちぼうけを食ったこともある。また急速に廃止が進んでおり、行ってみたら線路は叢の中、ということも珍しくない。
 そこでものを言うのは、やはり「運」である。
 どうも筆者は「運・不運」に両極端な傾向があって、少なく見積もっても全旅行中5回に1回は不通や列車の大幅遅延に巻き込まれる。
 人間という奴は一般に贅沢で、不幸には敏感な癖に幸福には鈍感なものだが、よく考えたらあれは相当な幸運だった、と気づかされることもなくはない。
 伊勢中川から乗った近鉄名古屋線の急行電車が塩浜駅構内に差しかかったとき、筆者は「わっ!」と叫びたくなるのをやっとの思いで堪えた。
 右窓に、L字型の小さな機関車が黄色いタンク車を従えて現れ、電車と並走し始めたのだ。並走、というのは瞬時のことで、相手はもともと速度が低い上に(運転室の脇腹にはご丁寧に最高速度15k/hと記されていた)分岐器の手前で一旦停止したりするもので、駅の跨線橋からかなりの余裕を持って、塩浜駅構内に入ってくる化成品列車が撮影出来た。
 以上の書き方では首を傾げる読者がおられるかもしれない。
 近鉄名古屋線は標準軌で、化成品貨物列車とは縁がない筈なのだから。

 塩浜は面白い駅である。近鉄の「旅客駅」自体はありふれた2面4線なのだが、東側には目立った境界もなくJR貨物の塩浜駅ヤードが広がっており、近鉄ホームのベンチに座っていると標準軌の線路は見えないので、貨物営業が健在の私鉄駅にいるような錯覚に陥る(西側には近鉄の工場があって、標準軌の電気機関車[←これは狭軌用からの改造、ページ下部に写真アリ]や事業用電車を見ることも出来る)。
 これも今時珍しいことに、JR塩浜駅そのものは貨物の積み降ろし設備を有していない。出入りするのはコンテナ車、石油タンク車、化成品タンク車で、それぞれが三菱化成(隣の海山道駅真横から分岐)、昭和シェル石油四日市製油所、石原産業四日市工場の専用線へと入って行く。四日市−塩浜間の時刻表を見れば分かる通り、このうち最も取扱量が多いのは石油であり、1日数回は工場と塩浜駅を行き来している。貨車の連結両数も多いのに入換機は小さなL型2動軸で、むろん1両では牽けないから背中合わせの「重連総括制御」になっている。工場内では1両で使うこともあるのか、少なくとも30年前からこのスタイルだそうで、機関車が代替わりしても中型機にはしない方針らしい。
 この製油所専用線と石原産業専用線はともに塩浜駅の先端方向に伸びる。構内外れで一旦1本にまとめられた線路は、近鉄と離れて左へ曲がる辺りで2本に分かれ、単線並列の形で数百メートル進んだ後、一方は製油所の構内へと曲がっていく。もう一方は4車線道路と立派な並木で仕切られつつ並行し、紀州鉄道よりも長い距離を走ってようやく工場にたどり着く。
 後者は国鉄時代の規定だと「専用鉄道」に分類される大規模な線路施設ではあるものの、地形図と貨物時刻表だけ見ていると「この線路、生きてるのかなあ」という疑問を抱かざるを得ない。何しろ、塩浜へ入る列車の編成内容欄は石油とコンテナだけで、「化学薬品」はおろか「その他」の表示もない。つまり、黄色い「化成品タンク車」の目撃は、線路が生きていることと同時に運転時刻まで知らしめるという僥倖であったのだ。
 筆者は石油タンク車より化成品タンク車が好きなことも手伝って、次の機会を待ちかねるように喜び勇んで本格的な撮影に出掛けたのだけれど、期待に違わず愉快な発見の連続だった。
 警報機のある踏切もすべて手動で、列車は踏切前で停止、機関車のステップから添乗員が飛び降りて警報機を作動させる。設備のない小さな踏切では、添乗員が線路両脇に立って安全を確保。このため工場から塩浜駅までの約4キロに20分以上を要する。駅員も車掌もいない最近のローカル旅客線なんぞよりずっと「人情味」に溢れているではないか!
 光線や行程の都合で、工場への帰り便は待たず引き上げにかかると、はるか前方の踏切を石油タンク車の列が横断中であった。そのときは「へえ。この時間、たて続けに貨車が出入りするのか」と感心しただけであったが、これにもちゃんと訳があった。
 専用線の「単線並列区間」で、ひとつ2車線道路を越える。あるときこの近くで撮影を終え、塩浜駅へ向かう化成品列車を目で追っていたら、相手は踏切前で停止したまま一向に動かない。踏切用信号が故障したのかと思いかけたとき、駅の方から石油列車が現れ、それを待っていたように化成品列車は汽笛を鳴らして動きだし、2列車が同時に踏切を通過した。
 駅構内手前に「単線区間」があり、また塩浜駅構内の線路容量もひとつの理由だろうけれど、道路を塞ぐ時間を最小限にしようという、涙ぐましい努力でもあるに違いない。
 これらの専用線を興味の対象とする人も増えているようで、ファインダー越しに一瞬目の合った(これは製油所専用線の)係員は怪訝な顔をすることもなく、珍しくもないという様子で業務に専念していた。
 ひとつ困るのは、撮影地の「環境」が悪いことである。
 唯一のアウトドア趣味、すなわち最も健康的な趣味なのだから、鉄道撮影を何とか続けようという意志でやってきたのに、やたらと"喘息公害の故郷"へ通うようでは、あまり健康的とはいえない。
 相手が「工場」なのだから仕方がないけれど。
(画像は焦点距離24mmでカメラを水平に構えて撮影し、写真の上下をカットしたもので、「標準ズームレンズ」の性能向上を実感[24〜105mmを使用中]。以前使っていた35〜70mmを広角側いっぱいにしたら画面両端が相当に歪んだ)

 2011年10月に撮影した電機機関車。
もと「デ31型32号」で、現在は車籍が
なく無番号なのが惜しまれる。
 名古屋線の狭軌時代に貨物列車牽引
用として新製投入され、線路と共に標
準軌へ改められた経歴の持主。
 車体中央の円盤は近鉄社紋である。

 後記。2008年秋ないし冬になって、石原産業四日市工場専用線での化成品輸送も「終了」してしまった。

 

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