酒田港訪問記

 貨物時刻表が市販されるようになったとき、その売れ行きに驚いた出版関係者が多かったという。週刊誌の広告見出しにまで「貨物時刻表」が登場したのを覚えている。
 まだ郵便振替でしか入手出来なかった1996年(面倒なのはもとより、「個人情報を出さないと買えない」ことに抵抗があった)、物流会社に勤める大学時代の後輩から「部内用に調達した残部」を貰ったことがあるのだが、当時と比べると、今の誌面はすっかり「マニア相手」に変わっている。巻末のフォト・ギャラリーはもとより、機関車の運用表や機関区ごとの配置車番表まで載るようになったのだから相当なものだ。
 筆者は「車両ファン」の傾向が弱く(まったく知識・関心がないという訳でもないので、妙な表現にならざるを得ない)、興味深く眺めるのは運用表や配置表よりも「コンテナ取扱駅構内配線図」、それも表題に反してコンテナの比率があまり高くない駅の配線図である。といっても、時代の趨勢からしてそうした駅は僅かなので、要するに「四日市駅」と「酒田港駅」に惹かれた、ということになる。
 関西在住の筆者としては、四日市なら身近である。「アイツなら有効活用してくれる」と近鉄の株主優待乗車券が親戚から定期的に回ってくるようになったこともあり、ここ数年しばしば訪問している。
 一方、酒田港は遠すぎた。
 そのうち行こう、そのうち行こう、と思っているうちに、北から入ってくる化成品列車のスジが消えてしまい(2007年3月改正)、早く行っておかないとコンテナ専用駅になり果ててしまう、駅自体も決して安泰ではない……と危機感を抱いて、現地情報やらバス時刻やらをインターネット上で検索し、満足のいく行程案を仕上げた。
 貨物が相手だから極力平日に訪問したい。仕事をやりくりして、6月の第2週または第3週のいずれか、というところまで絞り込み、梅雨入り前、なるたけ暑さのくる前、ということから早目に旅立ったのだが、乗った列車は順調に定時運転してくれて車中こそ気分よく過ごせたものの、撮影の方は不本意な結果に終わった。
 昨今の情勢から「化成品貨物は時刻表通り"荷"があると思うな」という認識は持っており、酒田駅構内に港へ向かう貨車がいるかどうか、あわよくば車票(貨車の行先票)を確認してからバス乗場へ向かうという計画は立てていた。ところが、その貨車が留置されているか否か、貨物用入換線を確認出来る「足場」が見当たらない(皮肉なことに、宿泊したホテルの窓からは一望出来た)。翌日の上り化成品列車まで酒田駅で一夜を過ごす筈の電気機関車も見えず、それも「いない」のか「見えるところにいない」のかが分からない。
 やがてバスの来る時刻が迫ってきた。
 厭な予感をひきずりながら、「古湊行」のバスに乗る。
 バリアフリー構造とは無縁の古い車体で、床は板張りだし、運賃表示器もなく運転席背後に「三角運賃表」があるだけ。しかも掲載停留所の順序が変テコで、運賃を確かめるのに難儀した。
 酒田港駅に直線距離で最も近い停留所は「北新町1丁目」だが、地形図を見るといかにも道が分かりにくそうなので、急がば回れの心積もりで、次の「税務署前」下車。順序通りでない運賃表をよくよく見ると、北新町までなら100円、税務署前から先は200円。どうも面白くない。
 戦時中に施されたという、剥げかかった迷彩の残る使われていない倉庫などを見ながら、扇状に広がる酒田港駅構内の「要」付近に到着。15分ほど待てば、酒田港常駐のDE10型ディーゼル機関車が化成品タンク車を出迎えに単機で現れる……という期待も空しく、踏切警報機は沈黙したままである。
 やはり、酒田駅に電気機関車は「見えない」のではなく「いない」というのが正解らしかった。
 次に酒田港から出てくるのは1時間半後のコンテナ列車、こちらは入換作業があるのかないのかも分からない。
 時間を持て余し、仕事の邪魔になりそうもない相手を探して「突然ですが、今、酒田港にいます」などと、好きになれない携帯メール(打つのが遅いだけに、究極の時間潰し方法となる)を送信していたら、ひとつ向こうの踏切付近にある分岐器辺りにヘルメット着用の係員が2人現れた。
 −オッ、何か作業が始まるらしいぞ。
 一旦鞄に入れたカメラを出し、いつでも撮影できる態勢を整える。
 下手にウロチョロしなかったのは不幸中の幸いというべきで、10分ほどすると分岐器付近の踏切警報機が鳴り始め、3両ばかりのコンテナ貨車を牽いたDE10型が現れた。酒田駅へ向かう線路の踏切は開いたままだから、貨物時刻表の配線図に「貯3/貯4」とあるコンテナホームへ貨車を押し込むらしい。酒田港駅常駐のDE10型は1両きりで、この後は荷役→酒田港「本駅」へ戻って組成→酒田駅へ出発という流れになることは容易に推測出来る。というのも、「貯3/貯4」から酒田駅へは直行できない配線なのである。
 荷役作業の間に構内を跨ぐ道路橋へ移動し、ひと通りの構図で撮影は出来たのだから、収穫がなかった訳でもないけれど、化成品タンク車が入って行く筈の「東北東ソー専用線」を見に行くとレールの踏面はピカピカしており、ある程度の頻度で貨車は通っているらしいからなお癪に障る。(画像は「貯3」で荷役終了後、引上線から酒田港「本駅」へと貨車を押し込んでいるところ。道路橋から撮影)
 帰り道、踏切付近で振り返ると、道路橋直下にL型2動軸の専用線入換機が隠れるように佇んでいた。
 化成品列車の酒田港到着が17時、それから入換作業が始まることになり、気候のいい時期は日が暮れた後(筆者は極度の暑がりなので、「気候のいい時期」は世間一般より冬季側に相当ずれ込んでいる)になってしまう。遠方でもあり、専用線が生きているうちに再訪出来るかどうかは心もとない。
 最短距離の「北新町1丁目」バス停へ向かったところ、計画時の危惧が的中する形で道を間違え、往路よりも気温が下がってきたのに大汗をかいて、やっとの思いで帰りのバスに乗ったら駅への経路が往路と大幅に違っていた。運賃表の順序が変テコなのはこのためらしい。
 汗をかいた代償として、帰りのバス代は100円で済んだ。  

サイト内のこちらに2010年再訪時のものを含め酒田港駅の画像を多数掲載!

再訪時にはなぜかバスの運賃体系が変わっていた。東北東ソー専用線は2008年に使用停止……

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