健在! 宮脇俊三

 2008年になって、新潮社が宮脇俊三に関する出版物を「新たに」刊行した。遺されていた未発表原稿ほか何点か、それに「最長片道切符の旅・取材ノート」である。亡くなって5年、作家・宮脇俊三はなお健在か! と驚き、かつ嬉しい。
 この中に、二〇代後半に書かれたとされる短編小説があった。他にも破棄された小説が存在したらしいのだけれど、なぜこの作品だけが残されていたのか、もはや誰にも分からない。インターネット上の広告には「自信作だったのではないか」という推測が書かれていたが、これには賛成しかねる。むしろ未完成作品ではないか? というのが率直な感想である。もう少し文章に手を入れれば読めるものになるかもしれない……と考えて破棄せずにいたものの、そのまま忘れてしまったか暇がなかったか、はたまたやる気が起きなかったか、いずれかだと筆者は考える。「小説新潮」誌の編集側がどう判断したにせよ、あの文章に「作家・宮脇俊三」が合格点を与えたとは考えにくい。「殺意の風景」シリーズのために書かれた作品 −こちらは「内容的にもうひと展開ほしい」と思う。だからこそ単行本に入れなかったのだろうけど− と「文章」の完成度を比較すれば一目瞭然である。
 一方、「最長片道切符の旅・取材ノート」の方は、そんなもの公表していいのか? とまず心配になった。宮脇俊三研究(!)のための第一級資料には違いないから早速購入してみたら、色々な意味で思いのほか楽しめる内容であった。
 ここにいるのは「作家・宮脇俊三」ではなく「鉄チャン・宮脇俊三」にほかならない。
 話が脱線するけれど、JTBが出していた頃の『旅』誌が2000年に「宮脇俊三特集」を組んでおり、長いインタビュー記事を掲載していた。そして、追悼の別冊増刊にはなんと「元音源CD」が付いた。この中の、「昨今、鉄道旅行の魅力は失われつつあると思いますか?」なる質問への答えが興味深い。
 誌面では「増しつつあると思います」で始まっているのに対し、元音源ではかなり印象が異なっている。少なくとも筆者の耳には異なって聞こえる。
 CDでは次のように始まるのだ。

「思いませんねえ、増しつつあると思います。……本当ですよ」

 ひっかかるのは、最後の「本当ですよ」の部分。増しつつあると思います、と答えたところで質問者側が疑わしい顔をするとも考えにくく、わざわざ「本当だ」と付け加えたのは、実際そうは思っていなかったからではないか。
 1990年前後から、筆者は宮脇俊三の著書を単行本の初版で欠かさず入手しており、全著作の相当割合を読んでいる筈である。それらの底流には、「鉄道あっての鉄道紀行作家、作中で鉄道への批判や不満は書かない」という美学を感じ取ることが出来る。この点で「鉄チャン作家」の先輩格である阿川弘之とは流儀を異にすると言ってよい。
 今回公表された「メモ」は作品ではないから、「"最長片道切符の旅"道中に宮脇俊三が感じた、しかし作品には書かなかったこと」あるいは「作品化に際し脚色・戯画化を加えた箇所」が紙面に溢れていて、あちこちでニヤリとさせられた(『最長片道切符の旅』を深く読み込んでいればいるほど、この「取材ノート」は面白い筈だ)。
 陽が暮れた和歌山線の車中、車掌に「奥羽本線の(車内で以前に会った)ような気がする」「たしかに見覚えがある」などと言って、「申しわけありませんですなあ」とかわされる場面は印象的だが、実際は『ある知人に似ていることがわかった。 …… 「勘違いかな」といってすます』という、第三者には面白くもなんともないやりとりだったらしい。
 一方で、作品には決して現れない「鉄チャン的」不平不満の激しいこと!

『この線にも3ドアか!』信越本線・豊野から乗った直江津ゆき普通列車で
『速すぎる。鳥居峠も宿場も、木曾谷もめちゃくちゃだ。藪原で鈍行客車列車を追い抜く。この線はあれでなくちゃいかん』中央本線・松本から名古屋へ向かう特急「しなの」で

 こちらの「ニヤリ」は本を閉じてから空しさへと変ずる。
 旅先でいったい何度「この線にもロングシート車か!(乗ってびっくりの改造車である場合も)」と嘆いたことだろう。木曽谷を「最長片道〜」時代よりはるかに高速でつっ走る特急「ワイドビューしなの」車中で、中津川〜松本間をわざわざ普通列車(ここでは比較的遅くまで2扉・全クロスシートの急行型電車が走っていた)に乗り換えた過去を何度思い浮かべただろう。予土線で『キハ20など2両』なんていうのを読むと、羨ましくて仕方がない。
 "速すぎる"特急を避ければ普通列車は多くが"通勤型"で、その特急すら、あちこちでろくに外も見えない新幹線にとって代わろうとしている。鉄道旅行の魅力は増しつつある、などと言われても、「そう主張しなければ鉄道紀行作家としての存在意義がなくなる」という、ある種の「悲痛な叫び」だったとしか思えない。今回「取材メモ」が公になったことで、ますますそう感じるようになった。
 ある年齢から、宮脇氏の筆が進まなくなった(娘さんの著書による)のは、体力の衰えなんかのためではなく、鉄道がつまらなくなってしまったからではないかとさえ、筆者は邪推している(あくまで邪推)。
 「取材ノート」に関して、出版物としての不満点が二つある。
 ひとつは脚注のお粗末さ。『何年何月に私が通ったときは……』なんていうのを見ると、「そんなことはどうでもいい!」と叫びたくなる。ところどころ、別の原稿に使う構想らしきものが混入し(特に"左頁")、読み手には意味不明の箇所があるのに、脚注がないのはどういうことか。あるべきところに無く、いらんところばかりに付いている印象が強く、代わりに書いてやりたいくらいである。最初の脚注からして「それは違うでしょう」と言いたくなった(違うという確証がないので具体的なことは書かない)。
 もうひとつは校正に対する疑問。いくら宮脇氏が車両形式に疎かったといっても、「クモハ11」「モハ11」という"誤記"の多さはあまりにも不自然である。これは「11」ではなくて「11□」一桁不明、が正しいのではないか。後で時刻表を調べれば簡単に分かるところで「あさま 号」のように×や□を書かない)空欄が頻発するのが傍証になっている。電車なのにしばしばキハ11とあるのも、「モ」→「キ」と読みちがえた「校正上の二重ミス」である可能性が高い(例えば中央本線で高尾から乗ったのは「モハ114」ないし「モハ115」なのは明らか。乗車時に車体裾をチラと見て、モハ11□と記入したのだろう)。元が「自分のためのメモ」で、相当割合が揺れる車中での走り書きだろうから、解読ミスが多発するのは無理もないといえばそれまでだけれど……。

 後記。「小説新潮」誌は(2008年)11月号で再び宮脇俊三を取り上げている。5月号がよっぽどよく売れたらしい。筆者自身、過去に「新潮」誌は何度か買っているが、前年まで「小説新潮」の方は一度も買ったことがないのだから(笑)。

 

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