「電力不足」への疑問
初めに断っておくが、筆者は原発推進論者ではない。かといってはっきりとした脱原発論者でもなく、世論調査の常套句を借りれば「どちらともいえない・分からない」というクチである。ひとつだけはっきりしているのは「電力不足やむを得ず」という世間の風潮に対する「それはおかしい」という思いである。
●「原発推進か脱原発か」と「検査終了原発の運転再開是か非か」は全く別の問題だ
個人のサイトやブログで、20年かけて「脱原発」を目指すと表明したドイツを引き合いに、検査を終えた原発の運転再開に反対しているのを見かける。こういう人の思考回路に筆者は到底ついていけない。
検査を終えた原発を動かさなければ、2年で全ての原発が止まってしまう。つまり、運転再開への反対は「ドイツが20年かけてやろうとしていることを日本は2年でやるべきだ」という主張になる。ドイツ国内でも「20年で原発をなくすのは不可能」という主張があるのに、なぜ日本が2年でそれを実行できるのか、その根拠をきちんと示したサイトやブログにはお目にかかったことがない。せいぜい、長いこと使っていない火力発電所(筆者もそんなものがあることは昨年まで知らなかったが)の最大供給能力を足し合わせたに過ぎない「小学生の算数レベル」の数値で原発再稼動不要の結論を出している程度である。電力会社側が遊休施設の復旧に消極的過ぎる側面は感じられるけれども、原発なるもの、発電していてもしていなくとも、維持管理に要する費用にあまり大きな差がないであろうことは容易に想像がつくし、理解も出来る。
遠くない将来、より安全でより地球環境への負荷が少ない発電方式が普及するならば、原子力発電所は古いものから廃炉にしていけばよい。反対する理由はない。ただし、あくまで安定供給が前提で、1年や2年で出来る訳がない。
かつて、米軍関係者が「日本人は原子力アレルギーだ」と発言したことがあるそうで、それを引用した書籍の著者は「かつて日本の都市に放射能を撒き散らした軍関係者の言うことではなかろう」としながらも、その内容にはある程度共感していたようである。筆者も改めて共感する。
●津波に対して原子力発電所だけが特別に危険なのか
その原子力アレルギーの人々は何かにつけ「フクシマ」を連呼する。それに対して筆者が指摘したいのは「気仙沼を忘れていないか」という点である。気仙沼で起きた大火災は港湾部にあった石油タンクが原因だが、漁業用だからそう大きくないものが20基程度あったに過ぎない。石油精製施設の多い京葉、京浜、中京に同規模の津波が襲来したらどうなるのか?
石油タンクばかりではない。今回、津波の被害を受けた地域には少ない化学工場の類は、今後津波の襲来が予想される太平洋沿岸部に集中している(日本海側では、原発と共に北陸に多い)。
そこには人体に有害な化学物質が一体どれだけ使われているのか。それらは津波に対してどの程度安全なのか。
これについて論じるだけの知識も資料もないけれど、それらの貯蔵施設は原子炉ほど頑丈に出来てはいないだろう*。加えて、気仙沼の何十倍という規模で大火災が起これば、燃えてはならぬものが大量に燃え、ここでも有害な物質が多く発生する。その中にはダイオキシンのように土壌へ蓄積するものもある。
重金属の類は食物連鎖を通じて生物の体内に蓄積され、巡りめぐって人間に健康被害をもたらす(この点は放射能汚染と何も変わらない)。それは、過去に「公害」という形で経験済みである。
そもそも、発電所に限らず100%安全なものなど存在しない。無理に原発を減らせば、現状ではLNG火力発電の比率を上げる他にない。LNGも国内では自給出来ないから、発電所は燃料搬入のため沿岸部にある。これは津波に対して原発より安全と言い切れるのか? 原子力以外の大型発電所が周辺住民の生命財産を脅かす事故を起こしていないのは、想定外の大地震・大津波に襲われていないからという理由に過ぎないではないか。
工業地帯を巻き込む大津波が起きたとき、化学物質による土壌汚染で平野部の相当割合に人が住めなくなる可能性が、原発が放射能漏れを伴う事故に至る可能性より小さいとどうして言えるのか。どの工場でどのような化学物質が使われているか知らないからといって、「知らないものは存在しないとみなす」ような論理を振り回すのはやめて貰いたい。全ての原発をすぐに止めろ、一切動かすな、というのなら、同時に、津波の襲う可能性がある地域では有害な化学物質を一切使うな、2年以内にゼロとせよ、と主張するがいい。いかに非現実的であるかが明確になる。
重大事故に至らなかった福島第二や女川の例と合わせて考えれば、いったい何のために国民は電力不足を強いられなければならないのか、訳が分からない。
あり得ない仮定として「原発に反対しない人間は集まって原発周辺に住め、その代わり冷房温度を25℃にしてよろしい」というのなら、筆者は喜んで原発の隣に住む。大きな地震のとき、発電用大型ダム(津波の影響はなさそうだ)下流域やLNG火力発電所の近くの方がよっぽど恐ろしい。
*事実、東日本大震災では、液状化現象だけでダメージを受けた工場が少なからずあった。困ったことに、有害物質が漏れ出さない限り被害の詳細を報告する義務はなく、自治体も消防も強制的な立入調査は出来ないそうである。マスコミの取材は全て断られた由で、原発を持つ電力会社のような目に遭ったら一大事と、工場を持つ会社側は考えているのだろう。東京のまん中で空家の床下に放射性物質(ラジウム・夜光塗料の原料らしい)が放置されているのに何十年も気づかなかったり、知らぬが仏とはよく言ったものだ。
●風力発電ではなくもっと地熱発電を
原子力発電所が増えつつあった頃、「反対運動は理解できない。電力は絶対に必要だし、ダムは川を殺してしまうから好きになれない」というようなことを書いたエッセイストがいた。同じように、筆者は「風力発電は景色を壊してしまうので」好きになれない。テレビに「自然エネルギー」の話題が出てくる度に、判で押したように風力発電の映像と組み合わされるのは実に不愉快だ。
仮に「風車を20基建てれば原子炉を一基減らせます」というのなら我慢もしよう。しかし、現実は違う。ほとんど風のない日に、止まっている風車が林立している光景を見ると腹が立つ。
太陽光発電は風力に比べれば「景観にやさしい」ので、もっと普及が進めばよいと思う。とはいっても、電力供給は不安定で、補完的な役割しか望めまい。しかも、せっかく太陽という物凄いエネルギー源を利用しているのに、高温になると発電能力が低下するという矛盾を抱えている。現行の太陽電池に満足せず、新たな発電技術を追求してほしい。
では結局のところ、いわゆる「自然エネルギー」は現時点では夢物語に過ぎないのかといえば、そうでもないらしい。
ニュージーランドには大型の商業用(つまり実験や研究の段階ではない)地熱発電所があって、その発電量は原子炉一基分に相当するという。風力や太陽光と違って電力供給能力は安定している。しかも、プラントを設計・施工したのは日本のメーカーで、かつ日本はニュージーランドと同等かそれ以上に地熱エネルギーには恵まれた国だという(重大追記。2018年3月の産経WEB版によれば、2019年運転開始予定の『国内23年ぶりの大規模地熱発電所』は出力たった4万2000kwphだそうで。こんなところまでNHKは嘘を報じていた!(原文を書いた頃はまだ一部のNHK報道番組を見ていた) もちろん、地熱発電の有効性を否定するつもりはない。もっと進めるべきである)。
報道では「普及しないのはコストの問題」と片付けられてしまうことが多いが、どうも納得いかない。国の試算でキロワット当たりの地熱発電コストが異常に高いのは、国内に大型の地熱発電所がまだ存在せず、ごく小規模なものだけを前提に計算しているためではないだろうか?
コストの他にも問題があって、地熱発電に最適な地点は相当割合が国立公園やら国定公園やらの領域内に位置し、法律上、発電所が造れないところが多い由。観光地でもあるので「発電所で地熱を吸い上げられると温泉が枯れる」という類の反対もあるそうな。
陸蒸気の煙で稲が枯れる……というのを連想させる。
そこに資源があり、技術もかなり確立されているというのに、なんとかならんのか。
後記。スリーマイルとチェルノブイリは「原発事故」であってそれ以外ではあり得ないが、福島第一は「津波の二次災害」ではないのか。考えてみると、将来起こりうる自然災害や防災についての検証ではよく指摘される「二次災害」なるもの、現実の大災害では絶対に発生しないもののようである。なんとならば、損害を被った人々の"ごく一部"が「これは人災だ」と騒ぎ始めて事故/事件と化し、異を唱えても損をするだけなので誰も第三者視点で反論はしないからである。それでいいのかもしれないけれど。
さらに後記。反原発運動がいずれ現実路線に舵を切って地熱推進に向かうと思っていたら、どこへも舵は切らず単なる先細りになってきた。もっとも『アメリカは悪でソビエト連邦こそ正義/北朝鮮による拉致なんて日本政府のでっち上げ』と主張していた政党が消えずに残っているほどだから、"反原発原理主義"も半永久的に消滅はしないのだろう。
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