NHK 思い出の音楽番組

 初めに断っておくが、ここで扱うNHKとは、現在の「赤旗放送協会」とでもいうべき左翼思想宣伝局のことではない。若い読み手には信じがたい話かもしれないけれど、1990年代までは放送法に規定された「不偏不党」そのものの客観的・論理的な放送内容だったのである。おかしくなってきたのは2000年代半ば辺りからだろう。考えてみると、1990年代にはプロ野球中継以外で民放にチャンネルを合わせた記憶がない(一人暮らしではなかったので、厳密には「自ら進んで民放にチャンネルを……」ということだが)。今はひっくり返って、NHKの必要性はスポーツ中継と音楽番組、あとはせいぜい気象情報くらいという状況になった。ニュース番組なら「BSフジ・プライムニュース」「BSジャパン・日経プラス10」等民放BSの方がよっぽど信頼出来る。
 そうした世代だからか、いまだにNHK交響楽団という名を聞くと「N響アワー」を連想してしまう。それも十代の頃に慣れ親しんだ「芥川也寸志・なかにし礼・木村尚三郎」トリオの印象が強い。中でも「粋な時間」というお喋りコーナー(最後の数分間なのだが)が毎週楽しみであった。インターネット上で確認したところ、この組み合わせは僅か3年足らず! 「粋な時間」が芥川也寸志の急逝によって打ち切られたのは鮮明に覚えているけれど、十代における3年間ってやたら長く感じる。
 その後、池辺晋一郎の時代はさほど熱心に見ていない。完全に遠ざかった訳でもなくて、オープニング・テーマ曲がメシアンの「トゥーランガリーラ交響曲」第5楽章になったのに仰天したりはしたけれど、「毎週楽しみ」という状況に戻ったのは西村朗が担当になってから。
 「N響アワーのファン」はもしかしたらご存知ないかもしれないが、西村朗はNHKと縁が深くて、かなりの期間、FMラジオ「現代の音楽」で進行役を務めていたのである。それまで番組を持った経験がなかったのか、初めの数年は先代の進行役・音楽学者の白石美雪と競演という形であった。もしかすると、筆者が現代曲の「深みにはまりこんだ」のはこの二人のせいかもしれない。なにしろ、回によっては解説の時間がまるで「現代曲をお題にしたコント」の様相を呈し、スピーカーの前で何度吹き出したか分からない。
 やがて、王貞治が「助監督」から監督へ昇格したように(←ヘンな譬え)西村朗が単独で担当するようになってからも、旅を計画するときには「日曜の宿泊先はFM放送が聴けそうなところ」を探すほどの入れ込みようであったから、2009年の3月に突然「4月から猿谷紀郎に交代、自分はN響アワーに移る」というのを聞いたときはショックだった。
 -これって栄転? それとも左遷?
 と考え込んだものである。もっとも、そのころ筆者の周囲にいた音楽好きは揃って「それは栄転でしょ」という意見で一致したので、単なる「考え過ぎ」だったのかもしれない。
 2011年の夏だったか、N響アワーでのテーマが「祭りの音楽(曲目は確かイベールの『祭り』やレスピーギの『ローマの祭り』……アレ? 案外と記憶があやふや、違うかも)」、天神祭の現場収録を交えて番組を進行させるという企画の中で、西村朗が祭り囃子をバックになんと関西弁で喋り始めた。
 -へえ、この人、関西出身なのか。
 驚くとともに納得した。いわゆる「お笑い」への興味がなくとも、関西圏で生まれ育つと「ボケとツッコミ」はある種の処世術として自然と身についてしまうものだ。就職先で最初の勤務地が首都圏になった学生時代の友人たちから、
「突っ込まれることを前提にボケてみたら、乾いた笑いだけが返ってきてアセった」
 という類の話を何度か聞かされたものである。
 記憶を辿ると、FM「現代の音楽」を聴き始めたのは「『ポスト・マーラーのシンフォニストたち』磯田健一郎/音楽の友社・1996年」を読んで「現代音楽への先入観による食わず嫌い」に気付かされ、実際に聴いてみて「オッ、確かに20世紀の音楽(1990年代の話なので)も面白いゾ」ということになったのだけれども、当時の担当である白石美雪の番組進行は専ら「楽曲解説」スタイル、新作初演の際は作曲家ノート"棒読み"みたいなこともあったから、ボケたりツッコんだりしながら彼女自身の言葉を巧妙に引き出した西村朗には、番組進行役としての才覚があったに違いない。
 ここまでの書き方では、少なくとも「解説者・西村朗」には早くから心酔していたように受け取られるだろう。しかし、実際は正反対、第一印象は「これ以上ないくらい」最悪であった。
 日曜午後の「サンデークラシックワイド」という枠だったか、夜間の「海外クラシックコンサート」の枠だったか、もう記憶がはっきりしないけれども、とにかく、このときはひどかった。
 女性アナウンサーと二人で進行役を務めていたのだが、西村朗は口調からして不機嫌そのもの、いやいや話をしているのがまる分かりで、「そんなに厭な仕事、なんで引き受けたの?」とこちらまで不愉快になってくる。
 外出先から帰ってきた音楽好きの次姉(故人)にこの話をしたら、
「ああ、西村朗ね(含み笑い)、前回は聴いてたけれど、伏線があるの」
 筆者自身は聴いていなかったのだが、前回も同じ二人が担当、初めのうちはごく普通の「解説ぶり」だったのが、相手の女性アナウンサーがあまりにも無知なので段々と不機嫌になっていくのがはっきり分かったという(次姉も「なんでこんなに何にも知らない人を呼んできたの」と呆れた由)。もしかすると、相手を変えるか自身を下ろすかしてくれ、と申し出てはみたけれど直前過ぎて無理だと却下された、というようなオマケがついていたのかもしれない。
 一方で、このときに西村朗の方が切られることはなかったのだから、まだNHKに芸術に対する理解と良識が残っていた時期だったとも言えよう。
 白石美雪との「現代の音楽」、アナウンサーとしてはある程度知識のあったらしい岩槻里子、のち黒崎めぐみとの「N響アワー」、どちらも聞いていて愉しかったし、西村朗も最初の悪い印象が嘘みたいに楽しそうな仕事ぶりであった。
(ただし、作曲家・西村朗には『コレ!』という作品を見つけられずにいる。むろん、これは好き嫌いの範疇。聴いた作品も全体のごくごく一部だろうし)
 注目すべきは、報道内容が左傾化していくのと歩調を合わせるように、音楽番組が初心者向け一辺倒になってきこと。「一般庶民」に理解出来ないマニアックな内容は公共放送にそぐわない、というようなことを言い出した馬鹿が中層部か上層部にいたものと考えられる。芸術は労働者のためのもの、自分たちは労働者の代表だから、「我々に解出来ないような芸術」は認めない、という姿勢を鮮明にしたソビエト政権(有名なのはスターリン)と同じ方向へ進もうとしているかに見える。今のところNHK交響楽団はいい仕事を続けてくれているが、遠くない将来、いわゆる通俗名曲しか演奏させて貰えなくなり、腕に覚えのある奏者は次々と欧米に流出していく時代を迎えるかもしれない。どうも悪い予感がする。

 現代曲分野では近年唯一購入したCD。実家に残した
ままのCDを処分し終わるまでは「新しく買っている場合
じゃない」ということで自重気味……。

 松村禎三の作品と出会ったのはFM「現代の音楽」で
放送された「作曲家の個展 '98」第2週。『チェロ協奏曲』
に形容しがたい興奮を覚えたものである。交響曲第2番
初演稿を放送した筈の第1週は所用で聴き損ねた! 
第2週は番組全体をMDに録音してあるので、白石美雪
が癖の強い声質で「98」の年代を読み上げるのを聞く度
に、ああ、十何年経っちゃったな、という感慨に浸らされ
(ワッ、十何年どころか20年以上か!)

●松村禎三:交響曲第1番&第2番ほか 湯浅卓雄/アイルランド国立SO (ナクソス)

蛇足。担当が猿谷紀郎に代わってから、FM「現代の音楽」は選曲まで妙につまらなくなって遠ざかり、 放送時間が日曜夕方から 土曜早朝に変わったのにも長いこと気付かなかった。これを書くに当って久方ぶりに近況を調べて みたら、な、ナント、2015年から西村朗が復帰している! ウーム、しかし日曜の朝8時かぁ(眠)。

 後記。時々「BSフジ・プライムニュース」に出演している手島龍一氏、聞き覚えのある名前だと思ったら、NHKがまともだった頃のワシントン支局長! ちょうど報道姿勢の左傾偏向が顕在化し始めた2005年にNHKを離れたというから、良識ある人なんだなぁ……と感心。もちろん、番組での発言内容も昨今のNHKとは比較することさえ失礼なほど「まとも」である。
 午後10時台は「BSジャパン(→BSテレ東)・日経プラス10」が比較的まともな内容だったのに、2021年に番組再編が行われ、放送時間が繰り上がってプライムニュースと重なることになり、見る機会が激減した。

 さらに後記。西村朗は2023年に他界。

 

 

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