誤植にびっくり Part.II
出版物の中で、文芸関係は比較的誤植が少ないようだけれども、人間のやることだからゼロではない。
中学生くらいのときに発見した『さルファ剤(畑正憲)』とか『一人もいなあ(西丸震哉)』というのを未だに覚えているのは、誤植が滅多にないからこそ。逆に「こりゃメチャクチャやがな」と印象に残っているのが『ローカル私鉄/列車ダイヤ25年・東日本編』(寺田裕一/JTB)27ページに載っている『青い森鉄道・列車編成表』で、セミクロスシートの新製車と全ロングシートの譲受車の運用が分かるのは有難い、というので購入し、帰宅後よく見たら、なんと貨物列車の欄にキハ52・58形とか新造とかいう注記がやたらと入っていて、上にずれているのか下にずれているのかも分からない箇所まであり、何の役にも立たなかった。
こうした"データ"の誤りは始末が悪い。しかし、文章の中に突如として現れる「正しくは何なのかすぐには分からない」誤植には、パズル的な面白さがある。
小田原から乗った熱海行きの大型列車が、湯河原に近づいたとき空襲警報が鳴りました。しかも、艦載機でした。艦載機というのは、大型のB29とちがい、小回りのきく戦闘機で、すぐ近くへきますから、ひじょうに怖いのです。
宮脇俊三/談話『私の途中下車人生』角川文庫版69ページ
これはかなりの難問であった。解読のヒントは、少し後にもう一度現れる「大型」か。談話ということで元は口から出た言葉だから、おそらくは、初めのうち一般的であったという意味で『普通のB29』としていたのを、分り易くするためゲラ刷りを校正するとき『大型のB29』に替えたのだろう。その際、どこかで錯誤が生じて、普通列車の『普通』を大型に替えてしまった。次の校正で、B29のところだけ「訂正した筈なのに変わってない」と改めて直した結果だと考えられる。宮脇氏の側が修正位置を間違えたとしたら、さすがに『大型列車』は編集者が何らかの確認を出しそう。十中八九、修正を見ながらキーボードを打った人の錯誤だろう。
これを書くに当たって『私の途中下車人生』全編を読み返したら、誤字ではないながら不可解な言葉遣いをいくつか発見した。戦時中の話なのに『普通電車』という書き方をしていたり、他にもいくつか通常の著作では見られないところに『電車』という語句が現れる。これらは聞き手である草壁焔太氏が書いたのではないか。
つまるところ、意味不明の『大型列車』にはどうして誰も気づかなかったのか? という話になる。ゲラ刷りの校正は同人誌作家時代に何度となく経験しているけれど、活字になってしまうと誤字は思いのほか見つけにくい。推敲や校正では助詞の使い方や文法上の誤りにばかり気を取られ、同人誌が配本されてから「紀伊細川」と書くべき駅名が「紀伊清水」となっているのに気づき(いずれも南海高野線)、自分自身に「どうしてコレを見落とすかなぁ」と呆れたことがある(読み手に「お前と宮脇俊三さんを一緒にするな」と怒られそうだけど)。筆者は「ワープロ専用機」世代なので、編集側にフロッピーディスクを提出、電磁的機械的に活字化されていたからまだいいとして、元が手書き原稿だとゲラ刷りにおける誤字脱字の絶対量はどうしても多くなるだろうから、やむを得ないのかもしれない。
ワープロ世代以降、活字化の際に生ずる誤字脱字が減った代わりに、今度は誤変換という新たな強敵が現れたのだから、ゲラの校正はいつの時代でも大変だ。
単なる誤変換ならまだしも、キーボード打ち間違いと誤変換が組み合わさると厄介なことになる。筆者が遭遇した誤植のなかで、解読に最も長い期間(年単位)を要したのがこれ。
テールランプは緑色の手戦車用のものが取り付けられている。
『トワイライトゾ~ンMANUAL14』~117ページ「南海のワブ」写真キャプション ネコ・パブリッシング
戦車用テールランプ? じゃなくて手戦車?? 手押軌道ならぬ手押戦車……なんて存在しないだろうし、いったい何だこれは。この『トワイライトゾ~ンMANUAL』は元が読者投稿であるせいか誤植が非常に多く、1984年の鉄道貨物大虐殺で犠牲になった臨港貨物線の現役時代に『JRの職員』が現れたり(戦車なんぞ登場したもので表現が血なまぐさい)、地形図の発行年が『平成58年』だったりするけれども、正しくは何なのかが皆目不明、というのはやっぱり珍しい。
何となく羞かしいような気がして滅多に口外しないのだが、濁点を除き「言葉のリズムとキーボードを打つリズムが一致するから」という理由で、筆者は未だにカナ入力を続けている。そうでなかったら永遠に謎が解けなかったかもしれない。
ある日、PCに向かって「て-゛-ん-し-ゃ」と打ち込んだとき『あっ!』と声を上げてしまった。
そう、濁点キーの隣には「せ」のキーがある。あの『手戦車』は『電車』の打ち間違いに伴う誤変換だった! 正解は『テールランプは緑色の電車用のものが取り付けられている』……判明すればどうということもない。でも"超"を付したくなる難問だよ、これは。
ただ、これを打ち込んだ人、カナ入力でやってるんだ、という発見は妙に嬉しかった。
解読に年単位を要したということは、意外とキーボードに「電車」を打ち込む機会が少ないようだ。鉄道趣味の専攻分野が「国鉄型気動車」に「情景派の撮りテツ」ということで、どうしても「列車」とばかり書く習慣があるのかも知れない。
続いては画像つき。
紙箱入りのニールセン交響曲全集(LONDON:POCL4019/21)なのだが、箱の外装は正しいのに解説書の表紙がこの有様。開けてビックリ玉手箱という奴である。もっとも、説明がないとどこがどう間違っているのか分からない読み手には、結局のところ何が面白いのか理解して貰えないと思う(だから説明は無し)。なお、"ORCHESTRA"が脱落したのではなく画像の標記が楽団の正式名称。杓子定規に直訳したら交響楽団じゃなくて交響団になる?
20世紀半ば、音楽産業においては『世にも恐ろしい誤植』が発生した由。それは、あるピアノ曲でLPに収録する音源を取り違え、同じ曲の違う奏者による音を入れてしまった、というもの。音楽雑誌で"新譜月評"を担当する批評家は誰一人として気づかず、ある愛好家が、
「以前から持っているLPと、演奏がどう聴いてもそっくり同じなんですけど」
と指摘して初めて発覚したそうな。
今ならメディアが大喜びして「批評家叩き」を始めそうな話だが、これはむしろ『好きなときに好きな音源を聴き、特定の演奏が脳裏に刷り込まれている』アマチュアでないと無理。毎月毎月「仕事として」新たな演奏を聴いている日常で、数年前に聴いた一枚とまったく同じということに気づくのは不可能だろう。
筆者自身は一度、ケースの表と裏で指揮者の記載が違っている輸入盤CDを見たことがある。また、輸入盤を客が選び易いよう、店が独自の日本語表記を封入してある店で『グリーグ:クレルヴォ交響曲』なんていう誤記を発見(×グリーグ ○シベリウス)、コレ間違ってるよ、と店員に知らせてあげようか思案したものの、あまりにもマイナーな曲なのでやめてしまった(他人からマニアと思われる行動を避けたがるのは、一部の"テツ"に顕著な習性)。
思ったほど字数を食わなかったので。もう一つ、誤植の範疇に入るかどうか分からない話題を。
関西空港が開業した直後、JR難波にシティ・エア・ターミナルを設け、関空快速の一部を荷物輸送スペースとして使用していた時期があった。しかも運転台に接した両開きドアのガラス部分を金属板に付け替え、車内には仕切りを設けるという本格的なものであった。難波へ入らず大阪環状線を回る列車(←アッ、やっぱり電車ではなく列車と書いてる、と推敲中に気付いた)にも運用の都合でこの車両が充当されるということで、JR西日本が注意喚起の掲示を設置。でもその内容が……
一部の電車には ドアがありません |
「そ、そ、それはどういう意味ですか……?」
詳細は忘れてしまったけれど、ご丁寧にこれを直訳した英文まで添えられていた(追記。近年一般的な、乗車位置表示と共に足元へ貼り付ける方式ならこの表現でもさほど違和感はあるまい。しかし現物は上屋から枕木方向に吊り下がっていた)。さすがに「こりゃ変だ」という指摘が寄せられたようで、ごく短期間のうちに「この位置でドアが開かない電車があります」に変更された。電照式の立派な掲示装置で、それなりの費用もかかったと思われるが……。
試しに『"一部の電車にはドアがありません"』でグーグル検索したら該当ナシだって。どなたか、写真を残してませんかねぇ、あの珍掲示。まだ携帯電話も世に現れたばかりで、もちろんカメラなんて付いていなかったから難しいか……。
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