当時、スキーヤー専用列車「シュプール号」はかなりの盛況で、これを電車化する "だけ"のために「大糸北線」の電化も検討されたという。週末には3本もの臨時夜行 列車が続々と乗入れてきたので、早朝は定期普通列車の走る余地がなくなってしまい、 写真の列車は大糸線内に入ると各駅に停車して、上り一番列車の代走を務めた。筆者 は糸魚川から乗車、通路側に空席を見つけるのにも手間取るほどの乗車率! その後、 スキー人口が減少しバスとの競争が激化したせいかみるみる衰退、あれよあれよとい う間に全滅してしまった。