文学的近況(前編)

 9年間在籍していた文芸同人誌を退会した。
 誹謗中傷するつもりはないので、実名を使えず引用は出来ずという制約の下、どう書いていいものやら思案しながらワープロ専用機(!)に向かっている訳だが、事情は次のごとくである。
 合評会の席上、筆者はある掲載作品に含まれる文法上語法上の問題点を指摘した。あいにくその作者が出席しており、しかも問題箇所を読み返そうともせずに「僕は間違っているとは思わない」と主張するものだから(無礼な!)、こちらは頭に血が昇って、数分間言い争った。
 すると、問題の作品を高く評価していた古参編集委員が筆者の方を向いて言ったのである。
「問題は、一つ二つ文法上の誤りがあったからといって、それが作品全体に影響を及ぼすかどうか、ということだよ」
 合評会の記録係をその日たまたま筆者が担当していたが、もしそうでなかったら即座に席を立っていただろうと思う。800枚の長編を最初に発表した際に一つ二つ……というのなら分からぬでもない。だが問題の文章は400字換算20枚足らずなのである。もうひとつ、通常の投稿作品ならば最終的には書き手の責任であって、編集側の言葉尻にいきり立ったりはしなかったろうが、問題の文章は懸賞応募作品であり、該当ナシということで最終候補5作が掲載された、そのうちの1作である。これはやはり、編集側が「品質保証」を与えたというべきものだ(筆者は募集要項そのものから外れていた。念のため)。
 学術論文や実用書ならともかく、文学の世界においては、何が書かれてあるかというのは文章がきちんと完成された後の問題である。これは「独自の理論」ではない。表現は違っても、同じことを書いている作家を何人も知っている。
 その一つを引用した上で、これが自分の基本的立場であり、これを離れてまで書き続ける意志はない、もともと不満のあった編集委員K氏への信頼は今度のことで完全に失われたので、今年(2006年)限りで退会する、という手紙を送った。
 そのままこちらからは一切接触しないつもりでいたのだが、先のことを考えているうちに著作権・著作隣接権のことが気になりだした。同人誌への掲載は未発表作品とみなす、と規定してある懸賞があるけれど、同人誌の方で掲載後何年かの著作権が明文化されていると厄介だ。そんな記述を誌面の端っこで読んだ記憶もある。
 果たしてどんな応対をされるか戦々恐々といった心持ちで、事務局へ挨拶を兼ねて確認の電話を入れた。
「はい、××文学です」ここの事務局はいつもこういう応答をする。
「あのー、長いことお世話になりましたKai-chan(←他に書きようがないので)ですが」
 そこまで言ったら、事務局長のB女史はため息ひとつついた後、退会通知を受け取った後の事務局としての対応から各編集委員の反応まで訥々と話し始め、こちらに何も喋らせて貰えない。
 電話機のディスプレイを見ると、3分半が経過していた。
 仕事の合間に職場からかけていたもので(ちょっとくらいなら私用でも可、という暗黙の了解の下)、長電話は困る。とりあえず話を遮って、その足で事務所を訪問し、近く投函するつもりだったという手紙も受け取ってきた。編集委員はK氏ひとりではないのだし、とにかく直接話してみてはどうか、というB女史の言葉にも一理あるし、「私の独断でお手紙を編集会議に持っていきました」「××文学の中であなたには存在感がある」という台詞にホロリとするものもあって、主な用件であった筈の著作権問題(特に規定ナシ・明文化されていたのは何かの懸賞がらみだった)が片付いた後にもかかわらず、K氏以外の編集委員が進行役を務める遠方の合評会へノコノコと顔を出した。
 ノコノコと……という形容には、こちらがいかに甘い考えを持って、ある意味で自惚れていたかという、後悔と自嘲を込めてある。B女史自身は、喧嘩別れではなく最後は双方すっきりした形で、という意図だったようなのだが、K氏以外の編集委員が口にしたという「慰留の言葉」は単なる社交辞令に過ぎなかったのだ。
 合評会そのものは、最新号を開いてもいないので出ても意味がなく、2次会で編集委員と話をするつもりだったのが、まさにケンもホロロという有様。
「よく覚えていない」
「自分はその懸賞に深く関与していない」
 覚えていないのはあり得ることだから、こちらはちゃんとコピーを持参してある。すると、他人事のようなコメントは貰えたものの、編集委員としてどう考えているのか、という肝心のところは……
「ここはそんな話をする場ではない」
「では何処でするんですか」
「……(そっぽを向いたまま)」
「合評会で前号前々号の話を蒸し返すと他の同人に迷惑でしょう? 何処で話をすればいいんですか」
「……(そっぽを向いたまま)」
 ここでまたまた頭に血が昇った。馬鹿みたいにこんな場へ出て来て……と、怒りの半分は自分自身に向いている。
 脱いでいたセーターを着ながら事務局長に向かって言った。
「ちょっとBさん、話になンないんで、僕はこれで引き上げます」
 恐ろしい早口になっているのが自分でも分かった。
「まぁまぁそう言わずに……」
「僕にとってこれは極めて重要ですから。長いことお世話になりました」
 背中の方でB女史の慌てた声がし、それに交じって、退会話を知らなかったらしい女性同人の「えっ?」という、いかにも驚いたという声がひとつ聞こえた。
 日程の都合などで、ここの合評会にも筆者は何度か顔を出しており、常連の中に二人の若い女性がいることを知っていた(筆者が常連として出席していた最寄ブロックではゼロ!)。声の主がどちらだったのか見当がつかないけれども、ほんの少しだけ嬉しかった。
 数日後の夕刻、本棚から9年分の冊子を撤去して押し入れに積み上げ、別の棚で溢れかかっている文庫本を整理し直した。作家ごとの冊数と空いた棚の幅を勘案して、残念ながらもう増えることのない宮脇俊三の文庫本をまず移動させていたら、電話が鳴った。
 表示されている番号から、単行本の取り寄せ注文を出していた近所の書店だと見当がついた。
 頼んでいたのは宮脇灯子著『父・宮脇俊三への旅』(グラフ社刊)。
 偶然という奴は、しばしばこのように妙な悪戯をやってのける。

後編に続く)

(後記。筆者が抜けた後2年も経たないうちに、この同人誌は休刊になったようである)

 

HOME   最新号へ

バックナンバー目録へ戻る際はウィンドウを閉じて下さい