裏? 入院日記

昏倒! その1
 気が付いたら、目の前には冷蔵庫が聳え立っていた。
……俺、なんでキッチンで寝てるんだ?
 そう自問した次の瞬間、お茶を飲もうと寝室から歩いて来て、気を失って倒れたという事実を理解した。

 初めは、ただ寝違えたとしか思わなかった。行きつけの理髪店で「寝違えてしまったんで、顔がまっすぐ前を向かないかもしれません」などと呑気なことを言っていた翌早朝、首から左上腕にかけての激痛に眠りを破られたのである。
 とにかく口と喉を潤したくて冷蔵庫を目指したのだけれど、倒れる直前の記憶はない。痛いッ、バタン! ではなかった。
 このとき以後、静止状態から動こうとするとき、布団から起き上がろうとするとき、かなりの確率で首や上腕部に激痛が走った。ただごとでないのは明白であった、
 座骨神経痛を起こしたときから通っていた外科へ行った時点で頸椎の異常を指摘されたほか、想像以上に"昏倒"を重く見られて脳神経外科の受診を勧められた……が、結果的に過剰反応だったようで、脳神経外科クリニックでのMRI検査結果は「脳に異状なし、脳内の血管もキレイなもの」と無罪確定。昏倒は強い痛みによるもの"だろう"との診断が下された。
 ただ、頸椎の方は『もっと大きな病院で診て貰った方がいい』と言われて、紹介状とMRI画像を携えて大学病院を訪れたところから、前回の入院日記は始まる。
 センシティブ個人情報とやらに類するので病名は伏せるとして(珍しい症例である由)、とにかく頸椎を前と後ろから補強、それも前は腰から骨(腸骨)を削って持ってくる、後ろはチタン製の棒で補強する、という2度の恐ろしげな手術を命ぜられたのだった(ほかの症例でもこの手術は行われる由)。

 不思議なことに、外科→脳神経外科クリニック→大学病院と回るうち、痛みは首を中心に少しずつ右へと動いていき、左腕側は完全に症状消失(この段階で受けたのは検査だけで、痛み止め内服薬の処方以外にまだ何の治療もしていない)、退院後も右手の軽い痺れだけが続いている。

人手不足について
 向かいの病室から聞こえてきた看護婦の声。
「ワタシはいつまでもここには居られないから」
 隣の病室から聞こえてきた看護婦の声。
「気分が悪いとさっきおっしゃったでしょ。気分が悪いンですか、悪くないンですか、こんなに言うことが変わったら手当のしようがないんですよ」
 これではいくら人数を増やしても(患者1人当たりの看護スタッフ数1以上などというのは非現実的だろうし)充足することはないぞ、と痛感した。
 お蔭で、このまま異変が見られなければ退院という最後の一週間、筆者はほぼ「放ったらかし」であった。消灯は22時、一斉に消えるのは廊下の明かりだけで、待っていてもまず消しにはきてくれないから(もちろん忘れられているのではなく、どこかの病室で手間取ってる)自分で消していたし、長くても5日周期くらいだと聞かされた点滴の針替えも、最終回は「あのぅ、そろそろ交換時期では」とこちらから申し出る始末。しかも、点滴の針替えというのは限られた人にしか許されていないようで、前回の交換日とシフト表らしきものを長いこと見比べた挙句、他のフロアから有資格者(?)を呼んできた、
 立ってる者は親でも使え、という言葉があるけれど、普通に頭が回ってる者は患者でも使え、ということらしい。

女心について
 入院期間中、週に一回の体重測定があった。もともとBMIが基準値下限ギリギリの痩せ型だったところへ手術の負荷が加わったせいか、退院前の最終計測では43kgなんていう仰天の結果が出た。
 担当の看護婦に、成人してからの体重変動を説明して、
「長いこと、痩せる心配はしても太る心配をしたことがないんですよ」
 と付け加えたら、もう心の底から湧き出したというような口調で、
「いいですねぇぇぇ」
 と答えやがった。

 

 良くねえよ まったく……

 "告白"しておくと、病変から男性機能が休車状態に陥り、入院期間中はまったくの性欲ゼロだった(むしろ有難かった)。職種としては何と呼べばよいのか、ベッドシーツの交換作業時に筆者よりはひとまわり若そうな女性のお尻が、病室内レイアウトの関係からすぐ眼の前で微妙にモコモコ動くのを、妙に索漠とした気持ちで眺めていたものだ。"平時"ならば、鼻の下を伸ばし気味にニヤッとするくらいの図ではあったと思うのだが。幸い、退院後ひと月ほどで"現役復帰"を果たしている(こういうのって別に18禁じゃないよね?)。
 入院中に"リアルタイム"で状況を綴った日記メモにはなぜか書かれていない話をひとつ。
 脳神経外科のフロアに、一人とび抜けて明るく元気のいい看護婦がいた。
 何度目かに病室へ現れたとき、夜間担当の○○です、と名乗ってから、
「Kai-chanさんのところ、決まって夜間担当に当たりますねぇ。夜の女ですよ、アハハハハ」
 仕方なく「アハハ」と笑って返しましたがねぇ……これって一種のセクハラ(正確にはセクハラ誘発言動)じゃないのかなぁ。

言ってはいけないこと
 一度だけ、看護婦に叱られた。
 これも日記メモに記述がなく、二度の手術と前後関係がはっきりしないけれども、トイレだけは自力で歩いて行ってよい、ただし当分は往復とも看護婦が付き添う(さすがにトイレ内には来ない)のでナースコール、という指示があった期間中のことである。
 用を足しながら考え事をしていて、ふと我に返ったらもうベッドの前まで戻っていた。
 当然、ナースセンター側から見れば「行ったきりスズメ」になり、担当の看護婦が様子を見に来る訳で、そのとき、
「指示に従って貰わないと困ります。何か起きたら私たちの責任になるんですから」
 とやられた。
 仰せのとおりで、当然こちらに非があると思っていたところ、かなりの大手術だったせいか3度ばかり挨拶に現れた婦長サマに、雑談の延長みたいな形でこの話をしたら、急に居ずまいを正して、
「申し訳ありません。看護師が失礼なことを申しました」
 ときた。
 これを言ってはいけないという内部規定だか不文律でもあるらしい。大変な仕事だわい、と改めて実感したものだ。△△という看護婦に叱られた、と注進した訳ではないので、当人が直接ウエから注意されたりはしなかった筈である。

 バックナンバー保管庫へ移動するためHTMLを書き換えていたとき思い出した話を追加。
 カルテは完全に電子化されていて、担当看護婦は医療器具や薬を積むワゴンにノートパソコンを載せてやってくる。もう退院が近く、かなり"元気"を回復した時期だったと思う。看護婦が突然、
「あれ? 数字が入らない! どうしよう、データが入らないと仕事にならないのに」
 常に患者が入れ替わる中、"現役世代"が特に少ない時期でもあったせいもあろう、
「うわぁ、仕事中にソフトが機嫌を損ねたら悲劇ですもんね」と話を合わせたら相手は妙に勢いづき、何かのキーを連続的に叩きながら、
「あああああ、ムぅカぁツぅクぅウウウウ」
 患者としては、職業上の言葉遣いから離れて「地」を見せてくれるとむしろ親しみが湧くけれど、運悪く廊下を婦長サマが通りかかったりすると後で叱られるのではないかと心配した(自称"夜の女"とは別の看護婦だったと思う)。

看護夫は二人
 筆者はヤクニンの作った「新語」を正しい日本語として認めていないので、看護師というのは『資格の名称』でしかないと考えている。一般国民が警察内部の階級名称に接するのは、"刑事もの"のドラマや映画だけであるのと同じことだ。看護婦は看護婦。百年もの間、当たり前に使われてきた言葉を恣意的に変えるなどもってのほか。現場でも通常の呼称は「ナースさん」であることが多く、"看護師"は専ら資格の名称として使われているのは愉快である。
 ……が、困ったことに脳神経外科の"看護師"に男性が二人いた。
 男性看護婦では言葉そのものが矛盾を孕んでしまうので、かつて指揮者・エッセイストの岩城宏之が使用した造語『看護夫』を見出しに持ってきた。
 入院後ほどなく、オルソカラーと称する馬鹿でかい装具(首枷!)を常時付けておくよう命ぜられたのだが、夏場でなかったのが救いとはいえ、病室内の実測温度は20度を軽く越え、アトピー持ちには辛かった。ところが、看護夫の一人が口では「自分もアトピー持ちなのでよく分かります」と言いつつ何も分かっていない(さすがに口から出まかせではなかろうから、ごく軽症なのだろう)。とにかく『皮膚が乾燥しているから保湿を』と言ってベトベト状態にしてしまう。通常は徐々に乾いて最適湿度になるとしても、装具の内側は汗と交じってベトベトとドロドロの中間となり、絶対に乾いてはいかない。
 手術痕の状態を確認するため装具を外した途端「ワーッ、こりゃひどいな」とドロドロを拭き取り、乾燥ではなく炎症の抑制に切り替えてくれたのが偶然にももう一人の看護夫であった。何かにつけ彼は優秀だったと思う、
 勘違い『ベトベトプレイ作戦』をやりたがる看護婦も現れたことから、"分かっている人"に繰り返し「とにかく乾燥がいけないと言ってすぐベトベトにしたがる方がいて」とボヤいていたら、さすがに情報共有がなされたらしく、入院期間後半は「ベトベト地獄」から完全に解放された。

NO MUSIC, NO LIFE.
 初めてまとまった時間の外出が許された日(患者の取り違えを防止するバーコード付きの腕輪は装着したままで、なにやら仮出所といった気分)、帰宅して真っ先に考えたのは、
「ちゃんとした音質で音楽が聴きたい!」
 ということ。じゃあ何を聴くか……でかなり悩んだ。ブルックナーは重過ぎるし(明日から入院、最後の一曲かも……という状況ならブルックナーの交響曲第8番で決まりだが)、かといって『ロッシーニ序曲集』の気分ではない。交響詩などの標題音楽、それと現代曲は外れる、交響曲でも後期ロマン派のあまり長過ぎないもの、かつ超有名曲は外す、という調子で絞り込んでいき、ようやく選び出したのが、
 ドヴォルザーク:交響曲第7番 E.オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団

ああぁ、エエ音や(幸)。
 病変後はとても音楽に身を委ねる気分にはなれなかったから、約70日ぶりに聴く、それなりのお金をかけたオーディオが紡ぎだす弦楽器の透明な響きである。
 ありきたりな形容ながら、躰が溶けていきそうな心地よさってコレのことだなぁ、としみじみ。
 蛇足かもしれないけれど、7~9番が収録されている中で、演奏としては断然「7番」がお気に入り。これを購入するのと前後して、友人が買ったC.M.ジュリーニ晩年の録音(コンセルトヘボウ)を借りてMDにデジタル録音したのだけれど、ジュリーニの「7番」とオーマンディの「8番」に期待していたら、結果は正反対で、7番は断然オーマンディ、8番は断然ジュリーニ、という評価になった。こういうのって、予測が悉く的中してしまったらかえってつまらないだろうとも思う。

 買ったCDと借りたCDが逆だったら「友人オーマンディ、じゃなくて友人から借りたオーマンディ盤」の駄洒落が使えたのに。

昏倒! その2
 退院から半年が過ぎ、首の装具を外す許可も出て、後は体力の回復を……というところまできて、トイレで昏倒してしまった。
 帰宅後にアイスコーヒーをガブガブ飲んだ数十分後のことで、てっきりおナカを壊したと思ってトイレに駆け込んだら、尋常でない量の汗が噴き出し始めた。実のところ、ここまでは過去にも何度か経験していて、少量の軟便と多量のガスを排出してしまえばスーッと楽になる「筈」てあった。ところが、今度は一向に汗が止まらず、数分後、意識が遠のいていった。
 危ない! と思って、大量発汗が始まったとき風を入れるため開けたドアの枠に手をかけ……たつもりなのに、気が付いたら土下座みたいな恰好で額が床に密着していた。
 暗澹たる気持ちでゆっくり起き上がり、首まわりに痛みなどがないことを確認、ヌルヌルの汗をバスタオルで拭おうとしたら、なんとタオルが血で染まった!
 洗面所の鏡を見ると、額を擦むいていた。出血は微量だったのが、大量の汗で薄められた状態になり、バスタオルを染める面積を広げたのであった。とはいえ、笑いごとではないので、退院時に貰った緊急の連絡先へ電話したところ(折悪しく週末)、最終的に当直の医師が出て、さすがに切迫した口調で「気を失う前後の状況を詳しく話して下さい」と言うのでかくかくしかじかと説明。返答は、
『水分摂取量の不足でその症状が出ることがある。頸椎の手術と関係はなさそうだが、同じ症状が頻繁に起こるようなら心臓に原因があるかもしれないので内科医へ相談を』
 痺れや痛みの症状に変化がなければ、予定通りの来院でよいとのことであった。
 次に医師と顔を合わせるのは皮膚科で、診察が終わって一度は背を向けたところで急に気になり、
「皮膚とは関係ないのですが、一応の報告を……」
 と、ひととおり経緯を話したら(入退院とその経緯は説明済み)、
「良かったですねぇ、頸椎と関係なくて」
 ときた。

 

 良くねえよ まったく……

 その後、特に異変はなく検査の日を迎え、かなりビクビクしながらレントゲン室から診察室へ向かったが、幸いにも額をぶつけた影響は見られず、頸椎の術後経過は良好とのことであった(安堵)。

 

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