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興部駅 1989. 3.27 |
中湧別付近 1989. 3.27
直進すると行き止まりの湧別駅に至る。
この枝線は1日2往復の運転だった。
下川駅に着く遠軽行列車(1989. 3.27) |
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も比較的遅くまで営業を続けたのが函館本線上砂川支線だった。宮脇俊三さん の言葉を借りれば「名前がないために死刑を免れて」いた路線の代表格である。 JR全線完乗など目指していた筆者は、半ば義務的にこの路線に乗った。途中駅 の妙な名前と、当時はまだ珍しかったワンマン運転であること以外、とりたてて目 立った特徴もなく、終点の上砂川はドラマか何かのロケ地だったとかで訳の分か らない駅名標がつき、そのうえまだ18時半だというのに駅舎は施錠されていて入 れず、面白からぬ気分で帰りは並行の路線バスで鶉まで行った。ここの駅舎もド ライブ・イン的な喫茶店に改装されており、駅らしくない風情であった。 そんなこんなで、残っているのはこのような写真だけである。 |