玉椿センチュリーマンションのこの部屋が本来の目的で使われたのは、1996年が最後で
あった。理由は色々あるけれど、家族が代わるがわる身体を壊したのが大きい。その後、
母が親類の建具業者を連れて"状況調査"に行った2000年には「住居として使える状態では
ない」との判定が下されていた。
 次姉が難病を患って早逝した後、両親は一気に老い込んでしまい、そろそろ手を打たね
ば……と、筆者が久方ぶりの"椿通い"をすることになったのである。

 



 原形と改修後のバルコニー柵。原形の方、既に数本の縦部材が歪んでいるように見える
のはレンズ性能のため?(ではないような気がする……)
 右画像は2014年とかなり後の写真。柵は二代目どころではないかもしれない。売却準備
を始めるに辺り、何よりもまず腐食のため開閉不能になっていた窓サッシを交換。工事の
完了を親に知らせるためケータイ・デジカメで撮影したもの。右下の"箱"は1970年代生ま
れのブラウン管テレビ(チャンネルをガチャガチャ回して変えるヤツ)。

 

……というような、マンション売却の話ばかり掲載するページではないのでご安心を。

 

 

「お座敷きのくに」と「きのくに51号」の交換

椿駅 1986. 8  以後、特記以外は椿駅での写真

 一眼レフ(ミノルタX-700)導入は1985年だったが、鑑賞に耐える紀勢西線の写真は1986年以
降のものしかない。1983~1984年辺りは鉄道への興味が薄れていた。
 1986年の夏というのは、もしかすると紀勢西線の歴史上でも臨時列車の本数と種類は空前絶後
だったかもしれない。左は運転停車の急行「お座敷きのくに」で、右は客扱停車する急行「きの
くに51号」。臨時客車急行そのものは全国的にも珍しくなかったとはいえ、白昼に2列車の行き
違いとなると話が変わってくる。実はこのとき、3番線には上り貨物列車が停車中で、椿駅が機
関車牽引列車で埋まっていた。

 

 

1985. 1 

 椿で撮った定期気動車急行はこの一枚
だけ。PC上で目一杯補正してもこの有
様。カメラのせいばかりには出来ないけ
れども、走行中の列車をポケットカメラ
で撮るのはやっぱり無理だと思う。
 こんな写真でもタブレット受けが外さ
れていないのは確認出来る。
 ところで、ホームにある「箱」は何だ
ろう?