紀伊半島西部の客貨車輸送を支えた竜華(りゅうげ)操車場・竜華機関区

 

竜華操車場、使用停止後の一般公開

関西本線 竜華操車場跡 1986.11

 車掌車は展示物であると同時に「商品見本」で、立て札は売却に関する記述が主体で
あったという記憶がある。ここは典型的な「抱き込み式」配線、旅客列車が走る上下線
は200m近く離れていた。よく見ると画面ほぼ中央に久宝寺駅下り線(湊町方面)ホーム
の駅名標が写っている(上りホームは背後)。
 背景のマンションは健在なので、風景の変わりようはストリートビューでご確認あれ。

 写真は使用停止後の一般公開時に撮影したもので、イベント名が「ブレスレール・竜
華鉄道フェア」であった。どうやら、解体待ち車両の収容場所として辛うじて「生きて
いる」姿をご覧頂ける最後の機会ですよ、という国鉄マンの思いが込められていたらし
い。当時は「変なイベント名だな、機関区も操車場もとうに死んでる(廃止された)のに」
としか思わなかった。
(操車場は1984年2月、全国一斉にその使命を終えた。それから紀勢西線の貨物列車が
全滅する1986年10月まで、着発線の一部が「竜華信号場」を名乗って現役を維持した)

 

 

竜華機関区。架線はもう外されている

竜華機関区跡 1986.11

 役目を終えたEF60が並ぶ機関区跡。架線
は既に撤去されている。ここも公開されてい
たのだけれど、監視する係員の姿はなく、同
行者とともに庫内のピットへ潜ってみたりし
ていた(現在では考えられない)。

 

 

 

 

 そろそろ、関西本線にあった操車場が紀勢西線とどうつながるのか、説明が必要な時代に入ったかもしれない。
といっても、お示し出来るのは下のような画像のみ。

ふれ愛紀州路号の自由席特急券

 まだ天王寺駅構内に阪和線と関西本線を"直接"結ぶ線路がなかった頃、奈
良線回りで京都-白浜に運転された臨時特急列車がこれ。竜華信号場から阪
和線へ、かつての貨物列車と同じ経路を辿ったのである。自由席券なのに列
車名が入っているのは、記念特急券としての要素だけではなかった。"くろし
お"の特急券には必ず記載されていた「B」の文字がここにはない。この列車
が経由した関西本線貨物支線、通称阪和貨物線(竜華信号場-杉本町・地理院
地図では補助線が不要なほどはっきり痕跡が読み取れる)はB特急料金適用の
指定を受けておらず、乗車区間が八尾-和歌山を含む場合、A料金になって
しまうのだ。この切符には誤発券防止の意味合いもあった。
 天王寺経由の「みなし計算」が出来なかったのは、かつて短期間ながら"あ
すか"という定期気動車特急が走っていたため、この貨物線に旅客営業キロが
設定されていたからではないかと推測される。当時の時刻表には臨時特急専
用の運賃表も掲載されていたけれど、乗車券については窓口でどう対応して
いたのか分からない。"ふれ愛紀州路号"を担当した車掌も検札の際はさぞか
し大変だったろう。翌年以降"しらはま"の愛称で同じ経路を臨時特急が走っ
たときには、問題の貨物線もB料金適用範囲となっていた。これは当時の時
刻表巻末「営業案内」で確認出来る。
 なお、これらの臨時特急が走った頃には既に貨物列車の運転がなく、普段
は団体列車専用。しばらく運転予定がないというときは、103系の錆落とし
列車を走らせていた(最後期は117系も見られたとか)。
 "ふれ愛紀州路号"車内から近鉄南大阪線との交差地点を撮った写真はある
ものの、よほど大きくしないと何が何だか分からないシロモノなので不採用。

 

 

 

関西本線 八尾付近 2020.11

 トラスの架道橋は竜華操現役当時からのもの。この直下辺りまで、
操車場にはつきものの長い引き上げ線(2線)が伸びており、広く開い
た上下線が、往時を物語る唯一の痕跡となっている。かつて、下り線
(左)はトラスの向こうに聳えるマンションの左側へ曲がっていた。