旧型客車 臨時快速「マイテ勝浦」

 著作権所有者の許可を得て掲載する電化開業直前の椿駅……というのは嘘で(笑)、停
まっているのは臨時快速「マイテ勝浦」号。南紀方面にはもう転車台がなく、帰り便は
マイテ49が機関車次位に付いたことから「普通客車列車/画像はイメージです」と洒落
こんだ。本当は
1987.11
 モノクロ化は効果狙いじゃなくて、光線状態が最悪で客車は黒潰れ寸前なのに背景の
山は白飛び寸前ということで、無理に加工修正した不自然さを軽減するため。
 本来は行き違い待ちの「運転停車」だったのだけれど、ドアは手動だし「行き違いの
ための停車だから降りないでくれ」という放送もなかったので大勢がホームに出ていた。

 左手ホーム、2本目の架線柱手前に妙な物体が写っているのがお分かり頂けるだろう。
ここには、特急列車の車掌に曲線で死角になる箇所の中継映像を見せるモニターがあり、
目立つ構造物は反射光対策のフードである。特急列車の停車がなくなったことで撤去……
というより、ちょうど更新時期がきたのを見計らって経費節減を図った結果、優等列車
の停車が取り止めとなったか(設置は民営化の前後)。

 

 

 嘘ついでのフェイク画像。マイテ勝浦じゃ
旅情に乏しいので、架空の客車急行「勝浦」
に仕立てるべく手製の愛称票を入れて撮影し
た。調べてみると、2016年に房総で「DL
勝浦」というのも走ったとか。
 なお、どの駅で撮ったかは記録ナシ(たぶん
串本)。窓ガラスに写った筆者は高校生。

 椿と白浜は"本線"でも"待避線"でも下り列
車はホームが左側、どちらかで確実に回収可
能……と知識を悪用(?)して、一部区間で偽
愛称票を付けたまま走らせたのは内緒話。あ
まり口外しないように(爆笑)。

 

 

 こちらは正真正銘"紀勢西線電化直前"
だった時期の椿温泉(母親撮影・部分伸)
コンクリートの建物は右がヴィラ椿3号
館、左は同じくヴィラ椿の5号館。後者
は現在と外装がかなり異なっている。
 ここで気になるのは右下の古そうな木
造建築物。正体を探る術はなし。

 

 (昭和52年=1977年)
 父親がこんな切符を"保管"していた(まだ紀勢西線は非電化である)。座席を占有する場
合は幼児でも小児乗車券が必要なので、使ったのは筆者か次姉か不明。
 蒐集対象としては"小児断線"で切られた硬券は価値が半減以下とみなされるので、むし
ろ"市場"には出回っていないかもしれない。椿駅発行の文字が駅員配置駅の証!
 急行は夜行便を除きすべて椿に停車したことから、発駅は印刷済。電化前、紀伊半島半
周急行は「紀州」で、新宮以西の列車が「きのくに」を名乗った。当時は天王寺-椿間運
転の急行も一往復あったのだけれど、それだけ需要があったというよりは、白浜駅構内留
置線の容量が要因だろう。筆者が"鉄心"ついた後になって、父親が懐かしそうに「昔は椿
止まりの急行があって、空っぽになった列車が長いこと3番線に停まってた」と話してい
たのを覚えている(画像は新宮発「きのくに」の指定券ながら、偶然にも電化後は「きのく
に5号」が椿始発となった。椿着が夕刻、椿発は朝方だったけれど、椿で夜明かしではな
く白浜へ回送されていたと考えられる)。
 電化後しばらくは、片道1本だけ鳥羽発天王寺行の長距離「きのくに」があったことか
ら、鳥羽-紀伊勝浦の「はまゆう」は1.5往復の変則運転であった。和歌山・桜井線を経
由した「しらはま」も1.5往復で、片道1本は新宮発(!)橋本・桜井・奈良経由名古屋行、
こちらは対になる列車が時刻表では分からず、謎多く興味深い存在(他の1往復は白浜-京
都)。
画像は加工してあります

 和歌山線 岩出駅
 (画像は加工してあります)

 急行「しらはま」のイメージ画像を作ってみた。
架線の撤去とヘッドマークの取り外し作業は楽しか
ったものの、駅ホームの嵩下げが甚だ面倒で、やる
気のなさが仕上がりに反映してしまった(爆笑)。
 元写真はナントカ記念の臨時快速列車(2000年)。
 岩出駅での「しらはま」はこんな光線状態になら
ないぞ、という指摘はやめてぇ~