1975 前後 母親撮影 地下2階の"勝手口"前にて

 廃墟といえば思い出す。無邪気に遊ぶ幼い筆者の背後に黒い窓が口を開ける旅館跡の廃墟。
その名を「とんだや旅館」といい、国道42号線から見ると小さな平屋に見え、しかし実は入口
が最上階にあって下方向に4フロアほどの規模を有していた。
 1980年代半ばに基礎部分の鉄骨を残して解体撤去されたことから、さすがのインターネット
でも情報は皆無のようだ。

 この当時は各リゾートマンションへ食事を出前配達してくれる店が複数あり、"ウチ"ではフ
ロントが出前受付の代行までやっていた。
 "プレジデント椿"の1階にあったレストラン「磯亭」は入居者以外でも自由に使えたし、も
ともとは遊技場「白浜国際ボウル」と棟続きだった喫茶店(夜間はバー)の「フラミンゴ」も営
業続行。朝来帰の集落内に「カワキストア ー(当初は漢字表記で、そっちを採用しようとした
ら、"キ"の字="七"を三つ"品"同様に並べるー がIMEに入ってない。カワは"川")」もあった。
今も同じ水準だったら売らずに相続したろうがなぁ。

 

 2014. 6  ケータイ・テジカメで撮影

 ヒトサマ所有の廃墟を云々しているうちに、管理費
を支払っているだけでは月2回の清掃以上のことをし
て貰えない"第二の我が家"内部は廃墟同然に(苦笑)。
 窓サッシの交換に続いて家具備品の処分を頼んだら、
業者のトラックは満杯! 狭い部屋でもこんなに「モ
ノ」があったんだなぁ。荷台のどこかに「プラレール・
D-51りったいだいてっきょうセット」も隠れている。
 この作業には想像以上に時間がかかり(筆者はロビー
で待ってるだけ)、当時の白浜駅行バス最終はとうに過
ぎてしまったため、相当の急ぎ足で椿駅まで歩き、18
時台の各停電車(あんなの"普通列車"じゃない)に辛う
じて間に合った(田辺市のホテルに滞在中)。
 朝昼兼用の食事しかしてなかったから、猛烈に腹が
減った(笑)。

 

 

 

2014.12 水平線をまっすぐにするとマンションが斜めになるので建物優先

 全景はいずれ一眼レフで撮ってこようと考えていたのだけれど(18ページ目参照)、このケータイ画
像は大潮+満潮だったらしく漁港の"水没ぶり"が記憶にないほど凄まじいので採用(高潮の域か?)。
 ちょうどリフォームが完了して、その状態確認と売買仲介を依頼した不動産業者の現地案内を一日で
片付けた日の写真。試しに漁港の突堤へ出てみたが、海面が近過ぎて怖かった。
 で、ちょうど撮影した国道の真下あたりが椿海水浴場。マンションから海水浴場へ行く場合、正規の
ルートは1階エントランスを出て国道をここまで歩くことになる。近道として、地下2階(海岸から見
ると1階に相当)の勝手口から海岸伝いに行くルートもあったけれど、間に入る漁港がちょっと厄介だ
った。

 

 

2014. 6  ケータイ・テジカメで撮影

 そのままじゃ意味不明なので矢印を追加。一番上の
写真が撮られた頃、この樹木(生垣)は存在せず、矢印
の段差上を奥へ進むと漁港の山手をすり抜けることが
出来た。排水用の切込みが見えるコンクリートの上を
左へ進めば、途中から幅が広くなって、最後は防波堤
の上となり海まで続く。
 子供心には、海面へ突っ込んでいく「レール」や漁
船を固定するロープを跨いでいくのも楽しかったけれ
ど、母親としては水着"+α"程度の恰好で漁港を歩き
たがらなかったのも無理はない。
 小学校低学年くらいのとき植樹され、数年後には、
「あれ? ここ、通れなくなった」
 撮影時にはヒトの背丈を軽く越える高さに。