2000年代、両親の間で"第二の我が家"がしばしば夫婦喧嘩の種になった。10年以上に及ぶ
放置状態で母は「先送りすればするほど売るのが難しくなるから早く」というのに対し、父は
「また使うか機会があるかも知れないから持っていたい」……筆者はずっと傍観していたもの
の、いつまで経っても埒が明かないので、とうとう母の側に付いて行動開始。
 結果的に、ちょうどリフォーム工事の最中だった時期に母が体調を崩して入院、退院後に認
知症が出て、父も文句ひとつ言わず不動産業者の売買仲介契約書へ署名捺印してくれた。

 リフォームが完了し、ガス器具も交換して「家具さえ再配置すれば"第二の我が家"として復
活可能」なのを目の当たりにしたとき、気持ちが多少ぐらついた。
 足ナシ(椿には通勤型しか停まらない)、餌ナシ、店もナシとはいえ、冷蔵庫と電子レンジさ
あれば、短期滞在には支障のない時代である。
 決め手となったのは、これ。

これがなかったら売らなかったかもしれないなぁ。

 

鳥よけネットが邪魔過ぎる

2014. 5  ケータイ・テジカメで撮影

 これ……つまり、バルコニー外面に張られた鳥よけネット。目的が鳥(の糞)よけとはいえ
気分は鳥カゴの中(いつ設置されたのかは訊かずじまい)。
 ここに滞在中の楽しみといえば、何よりバルコニーの柵に腕をのっけて、全身で潮騒を感
じながら風景を眺めること。特に……

 

1988. 8 こういう風景とか、

1996. 8 こういう風景とか。

 それが出来なくなってしまっては、ねぇ……。

 折悪しく、高層マンション「プレジデント椿」の管理組合法人でゴタゴタがあったらしく売出物件が
急増した(強味だった館内レストランの閉鎖が響いたようだ)お蔭で時間はかかったものの、2016年秋、
無事にヒトサマの手に渡った。
 売買仲介を依頼した業者に初めて現地へ来て貰った際、職業柄だろう、入室後3分くらい経ってから
やっと窓の外に注意が向き、女性の担当者が、
「わあーッ」
 と歓声を上げた。入ってすぐだったら「営業用言動」を疑うところだが、タイムラグが大き過ぎた分、
素直に受け止められた。実際「プレジデント椿」の上層階は別格として、部屋からの眺望は椿温泉のリ
ゾートマンションで「センチュリー」が一番だと思う(不動産業者のサイトで見比べても)。
 大事を取って、リフォーム後の室内写真は公開を自粛。

 

 

 足といえば、今はなき椿駅からのバス。椿温泉までは1989年時点で6往復が設定されていたが、その先が
よく分からない。これも今はなき「野猿公園」について、旅行案内書に『明光バス新椿停留所から徒歩●分』
とでも書かれていたのではないかと思う。とにかく現地の時刻表を見ると日中は一本も走っていなくて乗り
ようがなく、歩いて行ったという記憶があるのみ(地図は1990年代の道路地図を資料として作成)。
 40年近く前の記憶が正しければ、1日1往復で、停留所の時刻表にぽつんと一つ早朝の時刻が書かれてい
た。考えられるのは二つ。新椿に乗務員の宿泊所があって、椿駅発の最終と椿駅行の始発だけがこの区間を
走っていた、あるいは、リゾートマンションの建設が新椿付近にも及ぶことを期待した免許維持路線だった。
 後者なら、早朝に1往復だけ走っていた可能性もある(バス路線の歴史、椿温泉の歴史、いずれのアプロー
チでもインターネット情報は皆無)。老人ホーム前、という停留所もやや気になる……現存しないだろうなぁ、
こんな立地の老人ホーム(国道沿いに移転し現存? 別物件?)。
 国道上の椿温泉停留所は、近くに「バス転回場につき諸車進入禁止」の札が立つ空間があるのみで、営業
所はなかったと思う。また、現在は白浜駅-日置駅の路線に「朝来帰」停留所が設けられているけれども、
昔は違う名前だったのではないか。おぼろな記憶で「椿海水浴場前」というのがあったような気がするもの
の、昔のことであまり自信がない。

 

 

護摩壇山バス停

撮影日不明 護摩壇山バス停
(ケータイ・テジカメ)

 売却準備のため椿通いをした2014年、特急
「くろしお」での往復ばかりじゃつまらないの
で、片道は路線バスで色んな経路を試みた。そ
の一つが竜神温泉~護摩壇山~高野山という乗
継。路線バス減便で北上(帰途)の乗継は困難に
なっている。
 画像はPHS端末からPCへ移動させたもの
で、いつ撮ったものか不明(おそらく2014年)。